奇妙なのはどちらか?

 
今月トニー・パーソンズのレジデンシャルに参加した際、ある参加者の女性と何度か話した。彼女とは帰りの列車も同じだった。イングランドの地方都市に住んでいる人で、以前2年ほどムージのサットサンに通っていたらしい。

彼女は最近覚醒が起こったということだった。その語りに耳を傾けながら様子を見ていると、まるで赤ちゃんのようで、世界の驚異に本当にびっくりしている感じがありありと伝わってきて、楽しかった。

何度か言っていた言葉の中に、bizarreという言葉がある。辞書によれば、「怪奇な,奇異な;とっぴな,奇妙な」という意味だ。

ただし彼女がbizarreだと形容していたのは、覚醒後の認識や知覚のことではない。

その逆で、覚醒前の認識や知覚がとてもbizarreだと言うのだ。個人というのが身体の中に存在していて、その内側の人間が外側にある世界を見ているという(一般的な)世界観をどうして信じていられたのか、それが不思議で仕方ないという風だった。

「だって、そんなことありえない・・・」と言いながら、窓の外の緑の丘や、暖炉の揺れる火を見つめる彼女の目は、本当に赤ちゃんそのものだった。

そのことを思い出していると、昨年フィンドホーンで出会った二人の男性のことが頭に浮かんだ。

ロジャー・リンデンのリトリートで会ったのだが、二人とも、リトリートの終わり頃に何かが起こったらしかった。

食事のときに、そのうち一人からその変化について話を聞いた。彼は、「とても奇妙だ。だが、とても自然だ。この認識に何も新しいことは無い。だが、全然違う」と、言っていた。言葉自体は覚醒が起こった時に人々が言うことと大差ない気がする。だが、彼の目が語っていたことに僕は興味をひかれた。

僕が質問をするたびに、彼の目は、「変化の前の感覚を思い出すのが難しい」という風に宙を泳いだ。方向感覚を失った人のようだった。奇妙な夢から醒めたけれどまだその余韻が残っている、という感じを受けた。

彼はbizarreという言葉は使っていなかったが、strangeと何度か言っていた。

もう一人の男性は、僕のしつこい質問にやさしい微笑みを返しながら、あまりそのことについては答えてはくれなかった。ただ、朝起きたら自分がなくなっていたというようなことを言っていた。

そして、彼の目は「君が見ている世界は、実は君が思っているようなものではないかもしれないよ」という感じで、ときおり奇妙な光を放った。

***

トニーのレジデンシャルで会った彼女は、面白いことに、自分の子どもや夫、仕事の話になると、普通の主婦の表情に戻り、しばらく話した。まったく普通に。

そして、ふと話が止まり、「bizarreだわ。こういうストーリーを信じてしまうんだから」と言って、本当におかしそうに笑った。その目はキラキラに戻っていた。

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