注意を向けるエクササイズとは何なのか ジョン・シャーマン

 
昨日は、なぜ注意のエクササイズをすべきかについてジョン・シャーマンが書いたブログ記事を訳した。

注意のエクササイズが必要な理由

今日は、このエクササイズに関して今月書かれた説明的な短い文を紹介したい。

原文: What Is Self-Directed Attention? (JustOneLook.org)

== 以下、訳 ==

自分で注意を向けるエクササイズとは何か?

「自分で注意を向ける (Self-Directed Attention)」と呼んでいる簡単なエクササイズの性質と目的に関して、このところ私たちのコミュニティ (訳注: ジョン・シャーマンが主宰するJustOneLookのフォーラム等を指す) では看過できない混乱が生じている。

その責任は私にある。この混乱を解消することができるかどうか、ちょっと書いてみることにしよう。

まず第一に、何をどう考えるとしても、私たちが「自分自身を見る」と呼んでいること、つまり内側を見るということを終えておかなくてはならない。まだしていないならば、今すぐにする必要がある(※)。

「自分自身を見る」メソッドの手順

生に対する恐れこそが、精神的な要素による苦悩のすべてを引き起こしている唯一の真の原因なのだが、一度だけ内側を見ることによって、その生に対する恐れは消滅する。それが完了したあとも、恐れが原因で生じていた精神のあらゆる傷が治るにはある程度の時間がかかる。だが、その回復の期間に何をするとしても、生きていくなかで自分の全般的な態度に注目していれば、恐れとそれが引き起こす症状が軽くなっていることに気づき始めるだろう。

いったん自分自身を見れば、そのあとで何をしてもしなくても、回復のプロセスは意識に上らないレベルで続くことになり、自分が恐れから逃れたことがそのうちにわかるはずだ。

だが、自分の人生に関してできることはもっと沢山ある。自分自身の精神を完全に意識的に自分のものとして取り戻すことができる方法がある。そうした考えに興味があるとしたら、そして最初はいくらか難しく感じられるこの心のエクササイズ (「自分で注意を向ける (Self-Directed Attention)」と呼んでいる) をやってみようと思えるのであれば、この練習をすることで、いま自分を悩ませているほとんどすべてのことに関する受け止め方、心のあり方がゆっくりと変わっていくことだろう。

「自分で注意を向ける」エクササイズの手順

== 訳は以上 ==

※ このメソッドを紹介するときには毎回しつこいくらいに書いているが、メソッドの実行は十分な考慮の上、自己責任で。あまりにも単純なメソッドのため、気軽にやってしまうかもしれないが、少なくない人たちが (僕自身も) その結果としてかなりの混乱や不安定さを経験している。酷いケースではそれが何年も続くらしい。ジョンの言うことが本当であれば、それを補って余りある効能があるはずだが、不安定さが歓迎されないような時期 (就職活動中、新婚、出産前後、闘病中、親しい存在を喪失した直後、責任ある立場で重要なプロジェクトを実行中など) におこなうことは僕としては勧められない。

次は、この注意のエクササイズの手順説明の最新版を訳そうと思う。

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注意のエクササイズが必要な理由 ジョン・シャーマン

 
ジョン・シャーマンの関係はここのところあまり読んでいなかったが、ちょっとチェックしてみると彼はけっこうな量の記事をサイトやブログに書いている。昨日の記事でも少し書いたように、「自分で注意を向ける (Self-Directed Attention)」エクササイズに関するものが特に多い。

実践している人たちからのフィードバックが良好ということなのだろうか。僕自身は全然やっていなかったが (どんな練習もしない主義、というか単にできない) 、そういう記事を読んでみると、彼がこのエクササイズを非常に大切に感じていることがよくわかる。

それに、このエクササイズをやらないとどんな恐ろしいことになるかも書いてあって (そこまで大げさじゃないか)、「早く言ってよ」とは思った。それでも、いま気がついて良かったのは確か。

なので、その最近のいくつかの記事を訳してみたい。エクササイズそのものはかなり単純で、いきなり手順だけを読めば、「なんだ、こんなのか」で終わってしまう人がほとんどのはず。なので、まずは前提や背景を説明する文章をふたつほど紹介しようと思う。最初はこれ。

原文: Why Practice Self-Directed Attention? (JustOneLook.org)

== 以下、訳 ==

JustOneLook (一度見るだけ) のプロセスはふたつのパートで構成されている。そのふたつとは、自分自身を見ること、それから自分で注意を向けるエクササイズだ。

自分自身を見ると精神がリセットされて回復期が始まるが、その期間中、精神はそれ自体を再構築することになる。生そのものに対する恐れに基盤を置かない形で再構築は進む。

二番目の部分、つまり自分で注意を向ける練習は、回復の過程では非常に重要だ。

自分の本当の自己 (自分性) を味わったあとで、自分の注意に対するコントロール力を伸ばす努力をする人は、自己信頼と行動する力を獲得し、さらには何が必要か、必要でないか、重要でないかをどんな状況でも自分で判断する能力に対する自信を手に入れる。そして必要な場合はためらわずに他者に助けを求めることもできるようになる。そうした人たちはこのプロセスに積極的に関与するが、回復期はだいたい2年半ほど続くことが多いようだ。

見ることはしたけれども、自分の注意に対するコントロール力を増強するための努力はしない人たちの場合、回復期は最低5年は続くようだ。そうした人たちにとってはその期間は悲惨なものになることが多く、そしてそのプロセスに意識的に関与していないせいで、精神がそれ自体を再構築しているあいだ、その経験について語れることはほとんどない。なかには、このワークはこれまでにやってきたいろいろなスピリチュアル技法の単なる焼き直しだと考える人もいるようで、実際にはこのメソッドは魔法ではなく理解と自己信頼を提供するものであるのに、彼らはJustOneLook (一度見るだけ) メソッドの無二の効力に気づいていない。

そして、このプロセスについての理解を意識的に深め、私たちの勧めている単純な注意のエクササイズを実行してスキルを高める人たちは、思考の主張を受け入れるか、無視するか、または捨ててしまうかを自分で決められるということがいかに簡単か、そしてどれだけ嬉しいことかに気づくだろう。そして、自分の精神や人生との関わり方のすべてを決めていた恐れという文脈に埋もれてしまっていた力を取り戻すことになる。

注意をうまくコントロールすることができるようになれば、そして恐れという覆いがなくなれば、そうした理解の光はこれからの人生を通じて確実な導きとなるだろう。

== 訳は以上 ==

これが本当なら、僕が「自分自身を見る」メソッドをやったのが2年ちょっと前だから、エクササイズをしていない以上、あと3年くらいは回復期が続くことになる。

まだ続いてたのか、とちょっと嫌な感じにもなるが、逆に注意のエクササイズをすればそれが短くなりそうだし、いいこともありそうだ。

あまりに暑くて早起きしてしまい、早朝から訳してみました。

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変化しないもの

 
高校1年の冬だったか、近所のセブンイレブンで、「コガだよね」と呼びかけられて振り返ると、どこかの高校の制服を着た男が立っていた。でも、まったく見覚えがない。一生懸命記憶をたぐるが、そんな奴は見たことがなかった。

「え、俺のこと忘れてる?」と驚くその男の顔をじっくりと見ても、まったく思い出せず、これは何かのドッキリか?とか思っていると、「オレだよ、Yだよ」と言う。

Yという名前の奴なら中学2年、3年と同じクラスだった。でも目の前にいるのは…、言われてみればYだ。ところが全然違う。

自分より10cmは身長が低かったはずが、今はなぜか見下ろされている。少しオドオドした感じや媚びるようなニヤニヤは消え失せて、漫画の主人公のような爽やかな笑顔があった。姿勢も別人だ。

というか、顔の骨格まで変わってるぞ。

「え、ずいぶん変わったな」と言うのが精一杯だった。中学の卒業式から1年程度でそれだけ変化してしまうという現象を目の当たりにして、店を出て自転車をこぎながら呆然としていた。「なんだ、あれ?」

そこまで強烈ではないが、じつは自分自身でも同じような体験をしたことがある。それは20代の終わりころにアバターコースという一種の自己啓発セミナーを受けたときだった。

コースが終わって当時の彼女 (今の奥さん) と待ち合わせしたとき、会うなり「え!?どうしたの?」とびっくりされた。自覚はなかったが、それくらい変わっていたらしい。

ただ、それは自己啓発セミナーだったから一時的なもので、たぶんその後ほぼ元に戻ったのではないかなと思う。

もう少し強烈だったのは、30代の終わりに参加した寺山心一翁さんのワークショップで、たしか2泊3日だったが、すっかり変わってしまった。見た目は何も変わらないが、自分を動かしていた原理が入れ替わったか、あるいは行動の元になるプログラムが突然オフになったような感覚だった。

そのコースから戻ったあと、かなりの時間を家のソファでボーっと過ごすようになり、当時していた仕事に対する関心が一気に失せ、結局何ヶ月か後にその仕事から離れることになったのだった。

その変化については後日談があって、それからしばらく経って新宿で参加した寺山さんの講座で、「ヒロさんにはすごいのがついてたからなあ」という感じのことを言われたのだった。憑いていたらしい。金がもっと欲しい、人に認められたい、という動機で突き進んでいたせいで、妙なエネルギーというかエンティティがくっついていたのだろう (寺山さんの用語でいうと「幽霊」)。その何かがワークショップで急に脱落してしまい、混乱したのだと思う。

だから、ある種の浄霊、除霊というものには、その対象を霊と呼ぶかどうかは別として、かなりリアリティを感じている。面白いのは、その経験以降、変なものが憑いてそうな雰囲気に自分でも敏感になったことだ。すぐに逃げたくなってしまうことが今でもけっこうある。それとは逆に、宇宙人的というか天使的な雰囲気を感じて、妙に興味を持つこともある。

ジョン・シャーマンのメソッドを初めてやってみたときも、じつは同じ種類の混乱を感じた。何かの軸を失ったような印象。失った快感、自由の気持ちよさが最初はあったのだが、そのあとやって来たのは混乱だった。不安や恐怖はなかったが、ともかく足場を失った不安定さがあって、それがけっこう続いた。

今はその不安定さに慣れたのか、あるいは何かの足場がまた完成したのか、そこまでの混乱はなくなった。単に慣れただけかもしれない。その点についてはたまに考えるが、どうもよくわからない。このわからなさが鍵だという気もする。または、鍵なんてありえないということだろうか。

ジョン・シャーマンといえば、 Self-Directed Attentionというエクササイズがどれほど重要であるかを彼がちょっと前にブログに書いていた。自分の呼吸に10分間注意を向けるということを1日に1度か2度やるというもの。これを続けることによって、注意の向け先を自分でコントロールする力を取り戻せるという。それでメソッドの「後遺症」は軽くなるし、メソッドの恩恵も増すらしい。マインドフルネスとは違うぞ!と力説しているが、どう違うのかはよくわからない。注意点は、このエクササイズをする前に一度は自分自身を見るメソッドをやっておくこと (文字どおり一生に一回だけ)。

(追記: Self-Directed Attentionは、以前はDirected Attention Exerciseと呼ばれていたもので、ここで訳して紹介していたことに気がついた。さらにその前はPractice of Focused Attentionという名前だったようだ。このエクササイズについては最近ジョンがいろいろ書いているので、訳して紹介していきたい)

見るメソッドを自分でやってみてからもう2年以上が経過したが、何か変わったのだろうか。ただ、変化という文脈で語ろうとするのは違うんじゃないか、という思いも、これに関してはいまだに強い。人が変わってしまうという現象に対する関心と、変化という文脈に対するぬぐえない違和感。

どうもわかりませぬ。

でも面白い。
 
 
【追伸】ナチュラルスピリットからダリル・ベイリーの邦訳新刊を送ってもらった。僕はそれほどファンではないのだが、ジョーン・トリフソンは彼の作品をとても高く評価している。溝口あゆかさんによる翻訳。『ファンタジーの終焉 ― 生命の充全さへのいざない』

【追伸2】「とあるカワユイ娘」が『わかっちゃった人たち』を読んでくださったという嬉しい情報をタクさんブログで発見 (誰も行ったり来たりしてませんよ) 。

【追伸3】 8月に京都に行く用事ができて、書店めぐりをする予定。恵文社一乗寺店と烏丸御池の大垣書店以外でおすすめの本屋さんがある方、よかったら教えてください。連絡はこちらから

【追伸4】 ビリー・ドイルの翻訳本の作業が完了した。8月に発行される予定で、タイトルは『カシミールの非二元ヨーガ ― 聴くという技法』になった。発売日が決まったらまた告知します。