スコット「大佐」のこと

 
ネイサン・ギルの『すでに目覚めている』が、1月15日に発売になった。週末に地元の大型書店に行った際はまだ置いていなかったけれど、各オンライン書店ではすでに販売されている。

ひとつ思い出したことがあるから、忘れないうちに書いておきたい。それは対話の8月の部分に出てくるスコット大佐のこと。

この人はネイサンの知人で、じつは軍人でもなんでもない。原書の出版社から聞いたところでは、単に名前がスコットで、南極探検隊のスコット隊長 (スコット中佐、後に大佐) にちなんで「スコット大佐」とまわりに冗談半分で呼ばせていたらしい。

訳注で「大佐はニックネームであり、実際は大佐ではない」とか書くのも余計かと思って、そのままにしておいたが (原文では ‘Captain’ Scottとなっていて、大佐あるいは隊長ではないことはわかる) 、「すごい! イギリスでは軍人も非二元に関心があるんだね!」といった誤解をされてもあれなので、一応。

なお、「明晰さ」に出てくる西洋人のグル (トニー・パーソンズに出会う前にネイサンが教わっていた人) とは、アディ・ダ・サムラジ (本名フランクリン・ジョーンズ、ほかにもダ・フリー・ジョンなど頻繁に呼称を変えた) のことらしい。これもどうでもいいような話だけど、思い出したので。

ネイサン・ギル『すでに目覚めている』発売日

 
ネイサン・ギルのAlready Awakeの日本語版の発売日が2015年1月15日に決まったようで、Amazonで予約が開始されている。

『すでに目覚めている』 ネイサン・ギル著

しばらく前に訳は終わっていて、そのあとはお任せ状態だったから、そういう日本語タイトルになったのかとAmazonで知ったという感じ。

目次

 まえがき
 明晰さ
 2004年夏 対話
 6月
  ケンジントン (ロンドン) 午後のトーク
  イースト・サットン (ケント) 一対一の対話
  イースト・サットン (ケント) 1日リトリート
  イングランド北部の女性との電話
 7月
  イースト・サットン (ケント) 1日リトリート
  カウボーイ映画から出てきた女性
  ケンジントン (ロンドン) 午後のトーク
 8月
  ケンジントン (ロンドン) 午後のトーク
  お気に入りのエイボンレディーを訪ねて
  イースト・サットン(ケント) 1日リトリート
  スコット大佐がやってきた
 訳者あとがき

以前訳した彼の文章 Clarity (明晰さ)は、日本語版出版権の関係がありそうだからこのブログからはそのうち消しておこうと思う。(追記: 1月10日消去済)

批判的な意味をこめて「ネオ」を付けて呼ばれることも多いネイサンのメッセージだけど、こういう表現に初めて接する人にとっては面白いんじゃないかという気はする。2000年以降人気になった表現様式の典型とも言える。

それから、本のほとんどがミーティングやリトリートでの対話の書き起こしだから、現場の雰囲気が伝わってくるし、なによりも読みやすい。

ただし、わかりやすいかどうかは別で、非二元の話だけにやっぱりつかめない点は多い (理解がいかに的外れで関係ないかということも対話の中で繰り返されているけど)。

それでもこの本を初めて読んだときは、いくつか本当に衝撃を受けて、唖然としたのを覚えている。

それにしても、この分野の日本語の本の出版ラッシュには驚くほかない。

ネイサン・ギルの死 その2

 
ネイサン・ギルの死について、パートナーだったアンジーとネイサンの娘のルーシーが短いメッセージを寄せているのを見つけた。

アンジーのコメント

「ネイサンの死は、きわめて勇気のある行為でした。私はネイサンのパートナーでしたが、彼は愛する人たちを思いやっていました。彼にどれほど愛されていたかということについて、残された人たちには何の疑いもありません。彼は穏やかに静かに亡くなりました。流れ出ている愛はひとつの美しい生命の証です。その美しい生命は、今も、そしてこれまでもずっとふるさとにいます」

ルーシーのコメント

「ネイサン・ギルは私の父でした。とても素晴らしい人でした!!

父を失って私の心は打ちのめされていますが、父が去らなくてはならなかったのはわかります。父があれ以上苦しまなくてもよくなったということに私は慰めを見いだしています!! 父はとても勇気があって、これ以上は無理というところまで頑張ったのです!!

もちろん私たちは気づきであるわけですが、「私/自己」が割り込んできていて、今にいるということは私にとっては現在のところは簡単ではありません!!

Already Awakeを再読しているのですが、この本は助けになっています!!

私の父、エイミーの父、アンジーのパートナーに対するこの素敵な追悼記事に感謝しています!!」

(追悼記事というのは、Advaita Visionに掲載されたこれ)

nathan-gill

ネイサンの死を知ってから一週間、気がつくとそのことについて考えていた。喪失感が出てきたり、「生も死もない」という理屈が出てきたり、再開したミーティングをやめた後の彼の沈黙について考えたり、安楽死だったらよかったのかなと納得しようとしたり。

解釈は解釈でしかない。でも自分のものとして出てくる解釈には敬意を払いたい気が今はする。「現象にすぎない」と却下するような態度にティム・フリークが批判的コメントを繰り返し述べていたのを思い出す。それから、ジェフ・フォスターが原理的表現からDeepest Acceptanceで展開しているような姿勢に「転回」したことも。

いろいろと浮かんでくる。