悟りはすでにある スティーブン・ノーキスト

 
スティーブン・ノーキストの「悟りって何?」(2003年) と「セックスと悟り」 (2007年) に続き、2010年に書かれた文章を和訳して紹介したい。

Already Enlightened

この文章が掲載されているサイト http://www.hauntedpress.net/

== 以下、訳 ==

悟りはすでにある

いまこの瞬間、ありえるすべての真実があなたには100パーセント完璧に見えている。自分には見えていないと思っている人もいるだろうが、どうやっても見るのを避けることはできない。あなたは完全に悟っているし、そうでないことなど絶対にありえない。

世界に存在している何か、あるいは心の中の何かに気づいているそのなんの変哲もない普通の気づきが真実なのだ。気づきのなかに現れているもの、あなたがそれを自分のものにしてしまうより「前」のその現れこそが真実なのだと直接わかること。それが悟りであって、悟りとはそれだけのことだ。

〈究極の現実〉とは、気づきの対象を自分のものにできるようなあなたは存在していないし、これまで一度も存在していなかったということだ。

自己はない。悟りとは、単純に、瞬間瞬間に現れるすべてに気づいている純粋で自己のない気づきのことだ。それは存在しないことの不気味な感覚に、明晰さの直撃が組み合わさったようなものだ。そしてそれは空 (くう) によって感じられている、地上の言葉を超えたゆらめく美なのだ。

あなたはその空であり、これまでもずっとそうだった。悟りがずっとあっただけだ。存在・気づきがあっただけなのだ。

宇宙が無限へと拡がっている今、その空、自分の非存在を感じるといい。人でいっぱいの部屋に入っても、自分自身を見つけられないはずだ。それがわかったとき、自分はもう悟っていると気づくだろう。そしてそのとき、自分にはずっとそれがわかっていたことに気づく。そして、それをわかることができるような自分は一度も存在していなかったことにも気づくだろう。

無知の中にあろうと、認識の中にあろうと、あなたはすでに到着しているのだ。

スティーブン・ノーキスト (2010年)

== 訳は以上 ==

2003年の興奮が伝わってくる文章、それなりに長い文章と比較すると、この2010年の文章のあっさりぶりは際立っている。

なお、ノーキスト氏本人に、最初のふたつの文章の和訳完了について連絡した際、ぜひ日本の人にも彼の著書のサイトのトップページにあるトレーラーを見てほしいと言われた。ここにある。

僕の好みからすると大仰すぎて、逆に本を買う気持ちが萎えてしまう。それに、上の文章の「悟りはすでにある」という文脈とは矛盾だらけの宣伝文句 (これを読めば何かが起こるだろう、的な) も気になる。だが、こういうのが好きな人もいるのかもしれない。

(2014年7月26日追記: 太郎さんという方から、スティーブン・ノーキストの講演動画に日本語字幕を付けたという連絡があった。彼の言うことに関心がある人におすすめしたい。Steven Norquist Speaks at the 2010 SIG )

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