押田成人神父のことば

 
夏のはじめから秋にかけて、いくつかのワークショップに参加した。何泊かの合宿にも行った。どれも楽しく、たくさんのものごとを味わった。

単に楽しかったというよりも、ものの見方に大きく影響を受けた気がしている。いずれも非二元と呼ばれるものとは関係ないのだが、自分がここ何年かこだわっていた非二元という切り口、表現スタイルをうまいこと相対化できたような感じがある。

そういう変化を求めていた自覚はないが、結果的にそうなったのだから、求めていたのかなとも思う。ひとつ言えるとしたら、狭いところにこだわっていたことに体感で気づいたということかもしれない。ダイナミックさ、自由な動きがすっかり失われていた。

そんなことで読む本の傾向も少し変わりつつあるなか、押田成人 (1922 – 2003) という神父さんを知り、一冊の本を読んだ。彼の語った言葉をまとめた『遠いまなざし』という本で、そこにある著者プロフィールにはこう書かれている。

大正11年生まれ。
第一高等学校を経て、昭和26年に東大哲学科を卒業。昭和18年に応召。昭和26年から修道生活に入る。
現在、信州八ヶ岳の山麓で農耕生活を営んでいる無行の行者。

Youtubeには彼の動画をまとめたプレイリストがあって、その語り口、ことばに触れることができる。

プレイリスト「押田成人神父@高森草庵」

独特の用語が使われているせいで、すぐに意味がつかめない部分もけっこうあるが、今までに接したことがないところから出てきていることばだということだけはわかる。

『遠いまなざし』から、惹かれた部分を少し紹介してみたい。

== 以下、引用 ==

教会でいう法律っていうのはどういうものかというとね、一人の人間が全く自我が無くなって、神様と全く一つに生きている。その人が生きているんじゃなくて、神様が生きているっていうふうに、そういう姿になった時に、その人の存在の中に現われる恵みの実りの姿が、神の法律なんです。その神の法に導くものとか、妨げを除くものとか、あるいは神の法の響きとか、そういうものが法の名に値するわけ。みな根源は神からくる響きにある、存在の響きにあるわけ。

みな我々の生活が意識の世界に、西欧的教育のお陰でそういう世界に入っちゃったから、根を忘れちゃったんですね。それでこの意識の世界というのは、現象を見て、現象だけと対話することであり、やはりそれは自我を表現する世界なんです。自分の立場からの見方、自分だけの聞き方、自分だけの意見を表現する立場です。意味やなんかでも、全部自分でしょう。そんなところには存在の奥からの響きはないんです。

たとえば信濃境の考古館にいってみますと、縄文土器だけが並んでいて、あるところからはこの土地で発掘された弥生式が並んでいるんですが、弥生式の世界はもう意識の世界だってことがひょっとわかりますね。だからほのぼのとほどこされる世界、開放される世界ではないですね。意識の世界です。すぐわかります。その意識の世界が歴史家によって文明として評価され、謳歌されてきたわけです。それが意識の世界なのです。意識の世界は意識で評価するのです。存在の世界は評価しない。意識の世界は宣伝する。
 けれども不思議なことに、存在の根源につながる人類の地下流というのがいろいろな形で流れてきたわけです。これは消せないんです。聖書なんて否定しようと思って随分多くの人が努力したが、結局は続くわけですね。
 地下流は量的なものではないと思います。深みにグーッと入ると、何か回りにワァっと出てくるんです。考えられないですよ。たとえば二十年の間にこんなにあちこちにここと同じようなものが出てきたということは、もしも私がそういうものを作ろうと思って飛びまわっていたら何もできなかったと思います。そんなものじゃないんですよ。何か存在の深みがあると、グーッと入ると、グアーっと広がるという性質が人類の中にはあるみたいですね。意識の世界よりももっと深いところで何か働くんですね。
 そういう深い世界、存在の世界では、どんなに忙しくても存在していればいいんですよ。そうすれば忙しくないですよ。ありがたい世界、存在の世界にいれば、忙しさもただ存在の表現だっていうわけです。

自由なのは、神様と仏様位しか自由にならない、その神様の自由になり切った人が自由なんですね。あとは全部影ですね。影というか、それを実現した程度だけ自由なわけですね。
 影の自由は今の観念ことばで言えば、自分の自我の響きしかないんです。自由とは神様、仏様 ― あるいはアラーの神でもいいんですが ― とのかかわりにおいて出てくる姿を言うのであり、同時に人とのかかわりにおける姿を言うんです、自由っていうのは。
 人とのかかわりにおける自由とはどういうことかというと、本当に自分を受け渡して相手の神秘を、相手の立場で、神様の中に味わえるということです。自由っていうのはこれなんですね。

== 引用は以上 ==

氏の別の本もこれから読んでみようと思う。

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