ディープ・ルッキング (3)

 
ディープ・ルッキング (2)からの続き。これで最後。

原文: Deep Looking (Marked, Eternal)

== 以下、訳 ==

気をつけるのは、焦点を合わせ続けることだけ

ここで少し難しいのは、強く守られている領域に近づいていくときに、マインドがすぐさま防御にまわって、壁をつくったり、気を散らそうとしたり、場合によってはその両方をしたりするということです。壁ができると、急に飽きたり、続けるのがだるくなったり、眠くなったり、やめたくなったり、ぼんやりしたりします。

気が散らされるケースでは、いろいろなパターンの現れ方をします。急に何かやることを思い出したり、まったく無関係でもっと面白そうなことに注意が移ったりします。それは、何かが脅かされていると感じたときにマインドが繰り出す技です。こういうことが起こっていると気がついた場合は、注意の焦点をやさしく戻してください。マインドに対して、これは安全であること、マインドがもっとも求めているものを手に入れるのを助けようとしてやっているんだよと伝えます。見ることを続け、迎え入れることを続けながら、声を上げたがっている何か別のものがないかどうか注意を向けてみます。

子どものころの光景が浮かんでくるケースは多いです。小さな子どもだった自分が、愛されていないとか、捨てられてしまったといった気持ちでいながら、誰かに話を聞いてほしがっているかもしれません。何かの出来事が起こって、その傷がまだ残っていたり、注目や処理や受容を求めている何かが未解消のままになっていたりすることもあります。その子どもをハグして、その子がどれだけ大切か、どれだけ美しくて、自分がその子をどれほど愛しているかを伝えてください。もっとも求めているのはどんなことなのかをその子に尋ねて、それから、今は安全だし愛されているんだよと伝えて安心させて、その子の気分が軽くなるまで一緒にいます。

これがなぜ効果を生むかは謎ですが、効果があるのは間違いありません。ディープ・ルッキングのプロセスによって、滞ったエネルギーの根源にまっすぐ向かい、そこにある思い込みや感情を詳しく調べることができるようになって、そしてそれを手放すことが起こります。それは根本的な解放となって、問題の周辺にあるスペースがきれいになります。そしてそのスペースは、窮屈さや気持ち悪さのかわりに愛と感謝で満たされます。

マインドとハートがやすらいで安心しているときに、マインドに対して、ハートがマインドの住まいになっているかどうか尋ねてみるといいでしょう。すでにそうなっているか尋ねて、もし違うという答えが返ってきた場合は、ハートと一緒になりたいかどうかマインドに尋ねます。マインドとハートの両方が同意していることを確認し、それから少し目を閉じて、ハートを感じて、エネルギーの動きを感じて、ただそれとともにいます。好ましく感じられたら、ずっとそうしています。感覚が今あるそのままに感じられ、この時点で言葉の表現はできなくなりますが、その感覚に名前を付ける必要もありません。

こうして解放したあとも、開かれ続けます。手放すべきものが少し残っているかもしれませんが、その場合は数日ほどかけて展開し続けることになります。これはエネルギーのシフトで、今あるものにどう関わるか、普段どう感じるかというあり方の変化です。周波数基準が新しくなります。

これをひとりでする場合には、我慢強さとある程度の時間が必要になるかもしれません。ディープ・ルッキングをするたびに少しずつ解放が進んでいき、何日かたち、何週間かたつと、違いに気づくことでしょう。集中を保てるように助けてくれる人、ワークのパートナーと一緒にこのテクニックを使う場合は、すごく大きく思いがけない解放が起こる可能性もあります。パートナーと一緒にやることの意味は、最後までやめずに続けられるように手伝ってもらうところにあります。

私はこのテクニックを1年ほど使っていて、最初は自分に対してやっていたのですが、そのあとは友人や一度も会ったことのない人たちと続けてきました。マインドの仕組みが内側でどう働いているかがわかるのは素晴らしいことです。マインドはハートを守ろうとするのですが、その崇高な務めのなかでマインドは混乱して、苦痛が生み出されました。その根本原因を見つけ出して解除するかわりに、マインドはハートを苦痛から守ろうとしてもっと安全な構造をつぎつぎに作り出しますが、それは更なる苦痛を生むだけです。ついには、ハートは肩身の狭さ、傷ついた感覚、どうにもできないという感覚を感じるかもしれません。ハートが求めているのは愛することだけです。ハートは自由に愛することができるのですが、マインドはハートを危害を加えられる危険から守って「安全」にしておこうとします。念のためといいながら、守ることが役に立つのか、それとも緊張を高めるだけなのかを確かめずに、そうすることもあります。

ハートがやすらぐのは、広がっているとき、愛するものを愛する際に制限や条件が何もないときです。そしてその感覚を楽しみます。

苦しみを落とすのはそれほど簡単なことではありません。でも、マインドとハートが何を求めているのか耳を傾けれてみれば、マインドとハートとやりとりを始めてみれば、やがて結び目はほどけて、緊張は溶け去ります。そして開かれたあり方、受容が起こるでしょう。今あるものとの和解です。

身体ともやりとりをすることができます。私の見るところでは、身体は話をしません。声がないのかもしれません。かわりに、「はい」か「いいえ」の質問をして、どのような反応が現れるかを見ることができます。開く感覚や広がりは「はい」、閉じる感じ、窮屈さ、縮む感じは「いいえ」です。とても単純です。ディープ・ルッキングは身体症状に対しても効果があります。身体症状の裏にはマインドがあって、何かに抵抗しながら守るという仕事をしています。

道理があるのなら、守ることは必要だし適切です

内側を見て、「たった今、守る必要のあるどんなものがここにありますか」と尋ねると、出てくる答えに驚かされることがよくあります。マインドがイメージを作り出してそれを守ろうとしていることに気づくかもしれません。イメージに起こりえる最悪のこととは何でしょうか?

イメージは守られる必要がありません。というのは、いずれにしてもイメージを傷つけることができるものは何もないからです。それでも守りのメカニズムは起動しようとするでしょう。そこで、ただこう尋ねることができます。「それは本当ですか? まだ守る必要があるのですか?」。もし答えが「はい」なら、本当に脅威にさらされていると感じている主体を見つけ出します。もっと深いところを調べ続けて、恐れの背後にあるものを見ます。そこには何があるでしょうか。

そこには守らなくてはならないものなど何もないことがわかり、そのことが本当に確かめられると、構造は崩壊します。そうやって守ろうとしていたものは実際には存在していないこと、守っていたのは観念だったことが明白になります。どのようなかたちであれ何かが傷つくということはありません。無なのです。空っぽです。

私はたくさんの人たちと数多くのセッションをしてきましたが、大きな解放が起こらなかったケースはほとんどありません。解放されなかったいくつかのケースでは、錆びついた古い鍵を開けるためにはもう少し忍耐が必要だったのではないかと思います。大半のセッションでは、軽やかになったり、至福を味わったりしますが、たまにはクライアントが眠ってしまうこともありましたし、私まで眠ってしまったという経験もあります。そうなったのは、最後まで続けるのには大変な集中が必要になるからです。そして気づいたのですが、クライアントが解放すると、私にも解放が起こります。対話の双方でやすらぎが深まることは、このプロセスに関わるなかでとても面白く感じる点です。

それはともかく、まず理論があって、それから誰かほかの人の事例について読んだり聞いたりすることもできるわけですが、この単純なメソッドに飛び込んで実際に自分でやってみるというのはそれとはまた別のことです。いつでもどこでもすることができます。忙しい日のどこかで、または瞑想中にもできます。マインドとハートがたった今どう感じているか尋ねて、その答えにお礼を言うことで、親密で直接的なつながりが生まれます。

バイロン・ケイティはこう言います。「愛ならどうするだろう?」
私はこう言います。「愛さん、この状況で一番求めるのは何ですか?」

率直さ、直接性、親密さがまさにここに、直接尋ねることのなかにあります。

ハートとマインドに話しかけるというのは、初めは奇妙に感じられるかもしれません。マインドもハートもラベルにすぎないと思っているなら特にそうでしょう。でも試してみてください。探究して、自分で確かめてみてください。もしかしたら深いやすらぎを得ることになるかもしれません。それにこのメソッドをやるときには、恐れるべきことも失うことも何もありません。うまくいかなかったとしても気にしないことです。

でも、もし役に立ったなら、友達に知らせて、さらに誰かに伝えてもらったり、誰かとやってみたりもしてください。

Facebookにはディープ・ルッキングのグループがあります。
https://www.facebook.com/groups/394381180608873/

ディープ・ルッキングの実際のセッションの録音もあります。
http://www.liberationunleashed.com/LU_Audio/LU_Deep_Looking_Worthing_July_13th.mp3

それからディープ・ルッキングについて書いた記事がいくつかあります。
http://markedeternal.blogspot.co.uk/2016/01/going-home.html
http://markedeternal.blogspot.co.uk/2016/01/deep-looking-with-christiane.html
http://markedeternal.blogspot.co.uk/2012/10/deep-looking-session-with-k.html
http://markedeternal.blogspot.co.uk/2012/06/looking-inside-with-n.html
http://markedeternal.blogspot.co.uk/2013/08/deep-looking-session-with-d.html

Skypeのセッションを予約したい人はメールで連絡してください。
markedeternal@gmail.com
1時間のセッションの料金は50ポンドです。

それでは。

== 訳は以上 ==

滞っていたり固まっていたりするエネルギーを解き放つことについては、勝手に起こるから心配しなくていいという言い方もできるんだろうと思う。でも、ちょっと思い出すのはロジャー・リンデンと話したときのことだ。

トニー・パーソンズが「個人とはエネルギーの収縮である」「解放とはエネルギー的シフトである」と言っていることについてロジャーに何かを質問したとき、彼はこう言った (と記憶している)。「緊張があるときにそのことに気づくと、自然に力が抜ける。緊張を解こうとするのではなく、緊張にただ気づく。それには練習がいる」。

で、「それを続けていれば覚醒につながるのか?」と鼻息荒く (でもそうは見えないように装いながら) 僕はロジャーに尋ねたのだが、「う〜ん」と言ったあと、「それが覚醒を引き起こすことはない。ただ、覚醒が起こらない可能性を多少下げるのかもしれない」という答えが返ってきた。何が本当かはわからないし、たぶん目覚めとか解放ということについて言えば、それが起こる可能性が何かによって高くなったり低くなったりすることはないのではないかと今は思っている。(というか、起こることだという理解がちょっとあれだったと思う)

どっちにしても、目覚めや解放を求めてしまう心性というのか、「つかみたがり傾向」「これじゃない病」みたいなものは軽くなるはずだ。緊張やこわばりに気づき続けているうちに、何か重要で深刻なものが自分には欠けているという勘違いもいつのまにか力を失っているのでは。

というわけで、このディープ・ルッキングもジョン・シャーマンのメソッドもそうだけれど、あまり方法や名前にこだわらずに、惹かれるものにはそのときどきで柔軟に接すればいいような気がする。(なんだ、この当たり障りのない平和な日曜日的結論は!?)

あと、「ディープ・ルッキングの趣旨と基本的なプロセスはだいたいわかったけれども、実際にどう進めればいいのかがイマイチはっきりしない」と感じる人もいるかもしれない。なので、このつぎはディープ・ルッキングの実際のセッションの様子を訳してみたい。

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