ディープ・ルッキング (1)

 
最近はそれほど話題になることがないようだが、Liberation Unleashedという名のグループがあって、「個人は幻想であり存在しない」ということをシステマチックに見抜く仕組みを提供している。

Liberation Unleashed

ネット上のフォーラムを使って、認定されたガイドとメッセージのやり取りをする。その形式はダイレクト・ポインティングと名付けられていて、見抜いたと認められると「ゲート通過」と相成る。「グローバル・ムーブメント」と銘打っているだけあって、英語だけでなく、ドイツ、フランス、オランダ、ロシア、スペイン、ポルトガルなど多くの言語でガイドしてもらえる。すべて無料だ。

このLUについて知ったのは、グレッグ・グッドが中心となっていたダイレクトパス関係のクローズドなグループに参加していたときだった。そこに「元LUガイド」の人たちが何人かいた。彼らによると、ゲートを通過したとしても、まだ二元性や個の感覚は「再発」するし、探求が終わらないケースもあるらしい。そういう話を聞いていたせいだと思うが、LUに関しては偏見の混じった先入観を持つことになった。それで、いまだにトライしたことはない。

LUを始めたのは二人の女性で、ふたりとも東欧の出身。そのうちのひとり、Ilona Ciunaite (イローナ・シウナイテと読むのかな?) というリトアニアの人は、ダイレクト・ポインティングの対話事例が豊富に掲載された Liberation Unleashed という本も出版していて、ブログもある (Marked, Eternal)。夫と一緒にイギリスでタトゥー・スタジオをやっている。

彼女のサイトの過去記事を見ていたら、僕の最近の関心にマッチするページがあった。ディープ・ルッキング (Deep Looking) という一種の心理療法的なワークに関するものだ。コア・トランスフォーメーションの前半のステップに似ている気もする。イローナはこのワークの個人セッションもSkypeで有料で提供している。

LUのプロセスは頭や理解に少し偏りすぎているのではないかと (自分で体験もしていないくせに) 感じていたのだが、この記事を見ると創始者自身がそうした限界は認識している感じだ。その上で、このディープ・ルッキングという心理ワークの重要性、有効性を語っている。

ちなみに創始者のもう一人、エレーナという人も、今は活動の幅を広げて心理、エネルギー、身体等を含めた総合的なセッションやミーティングをしているようだ。

前置きが長くなってしまったが、翻訳の許可をもらったので、訳して紹介したい。

(余談だけれども、「訳して紹介していいですか?」とメールすると、本当にいろいろな返事のパターンがあって、なかには「原作者の権利は一切放棄しない。誰が書いた文章なのかを原記事URLと共に必ず冒頭に明示すべし。その条件を守るというなら許可を与えよう。しかしそれよりまず、お前にはこれを訳す能力があるのであるか?」といった返事が来て、すっかり訳す気が失せることもある。今回のイローナの返事はコンパクトなのに愛があって、とても楽しい気分になった)

原文: Deep Looking (Marked, Eternal)

== 以下、訳 ==

「ディープ・ルッキング」

いま、やすらいでいますか?

もしそうなら、よかったです。そうでないとしたら、やすらぐことのできるとても単純な方法を紹介させてください。このテクニックを私はディープ・ルッキングと呼んでいます。これは解放するためのテクニックをいくつか融合させたもので、主にパメラ・ウィルソンのワークとセドナ・メソッドを土台にしています。

やり方はとても単純なのですが、詳しい説明に入る前に、マインドがあらゆるものにラベルを貼るということにまず注意を向けてほしいと思います。注意がどこかに向けられると、それに続いて思考が起こります。いま左側を向いてみましょう。そしてそこに何があるかに気がついたとき、思考に何が起こるかを見守ってみてください。見えたものに思考はラベルを貼って説明しながら、形や色を言ってみたり、物の名前を言ったりしますが、そういうラベルは何かの記憶を呼び覚ますこともあって、そうするとちょっとしたストーリーが頭に浮かぶかもしれません。そこにあるものに意識の焦点が合うと、言葉が流れ出します。(はっきりと見えると、見えたものを言い表すことができます)

たった今、どんな感じがしているかに注意を向けてみてください。その感じをいくつかの単語を使って心のなかで言い表してみます。注意がその感じの方に向かうと、気分を表す言葉が出てくるということを意識してください。どんなふうに起こるのか、それをちょっと観察するという遊びをしてみましょう。

探求を終えることと、今あるものに抵抗しなくなることはまったく別

目覚めには複数の層があるようで、とらえがたさの度合いがそれぞれ異なっています。行為したり思考したり個別の存在として人生を生きていたりする人はどこにもいない、ということが認識できたとしても、すべての抵抗が自動的に終わったりはしません。「抵抗が二度と起こらないカード」を一度引けばおしまい、ではないのです。おなじみの思考、思い込み、「べき」、感情の傷、恐れ、癖、ストーリー、人の性格。そうしたものすべては1日で出来上がったわけではありませんから、1日で済んだりはしません。人生を振り返ってみれば、ストーリーがあります。しつこいストーリーもあれば、ぼんやりしたストーリーもあり、なかには深いところにある感情的な痛みを呼び覚ますストーリーもあります。私たちを麻痺させ、同じパターンに捕われた状態にする痛みです。悲しみをもたらすこうしたものをすべて手放すことができたら、存在することの純粋な歓びとやすらぎだけが残ることでしょう。

抵抗が終わるとき、明け渡しが起こりますが、そのふたつは実際にはひとつの動きであり、違った側から名付けているだけです。抵抗をひとつひとつ手放すことは、行為として示された明け渡しです。手放しながら、古い「自分の一部」、すでに役目を終えてもう必要ではないものが落ちていきます。

最初のステップではこう言います。「うん、それでいい」

それでいい。役目を終えたすべてのものが解体され、存在しなくなり、手放され、分解され、溶け去り、消えてしまうのをそのままにします。あの恐ろしいパターンの数々が必要な人がどこにいるでしょうか。そのままにしておきましょう。手放すプロセスで起こることは、どんなことであれそれでOKです。

恐れが出てくるとしたら、それは単にこれまで探ったことのない領域に今から入っていきますということを知らせているだけです。恐れというのは、守られていると感じていた何かが「見られたくありません」と言っているサインです。それもまたOKとしましょう。

つぎのステップ ― 迎え入れる

これはとても大切なステップですが、馬鹿馬鹿しく感じられたり、おかしい感じがするかもしれません。でも出てくるものすべてを迎え入れることが、ここでの「鍵」です。親切さ、開かれた姿勢、優しさ、思いやり、柔らかさ、正直さ、愛が扉を開きます。押し進めようとするのをやめると、認めることが始まります。それは弱さではありません。行き詰まりから抜け出すというミッションにおいて、何よりも強力で何よりも過小評価されているツールです。でも、もし使わないとしたら、ツールが何になるというのでしょう。

== 訳は以上==

ディープ・ルッキング (2)へ続く。

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