変化しないもの

 
高校1年の冬だったか、近所のセブンイレブンで、「コガだよね」と呼びかけられて振り返ると、どこかの高校の制服を着た男が立っていた。でも、まったく見覚えがない。一生懸命記憶をたぐるが、そんな奴は見たことがなかった。

「え、俺のこと忘れてる?」と驚くその男の顔をじっくりと見ても、まったく思い出せず、これは何かのドッキリか?とか思っていると、「オレだよ、Yだよ」と言う。

Yという名前の奴なら中学2年、3年と同じクラスだった。でも目の前にいるのは…、言われてみればYだ。ところが全然違う。

自分より10cmは身長が低かったはずが、今はなぜか見下ろされている。少しオドオドした感じや媚びるようなニヤニヤは消え失せて、漫画の主人公のような爽やかな笑顔があった。姿勢も別人だ。

というか、顔の骨格まで変わってるぞ。

「え、ずいぶん変わったな」と言うのが精一杯だった。中学の卒業式から1年程度でそれだけ変化してしまうという現象を目の当たりにして、店を出て自転車をこぎながら呆然としていた。「なんだ、あれ?」

そこまで強烈ではないが、じつは自分自身でも同じような体験をしたことがある。それは20代の終わりころにアバターコースという一種の自己啓発セミナーを受けたときだった。

コースが終わって当時の彼女 (今の奥さん) と待ち合わせしたとき、会うなり「え!?どうしたの?」とびっくりされた。自覚はなかったが、それくらい変わっていたらしい。

ただ、それは自己啓発セミナーだったから一時的なもので、たぶんその後ほぼ元に戻ったのではないかなと思う。

もう少し強烈だったのは、30代の終わりに参加した寺山心一翁さんのワークショップで、たしか2泊3日だったが、すっかり変わってしまった。見た目は何も変わらないが、自分を動かしていた原理が入れ替わったか、あるいは行動の元になるプログラムが突然オフになったような感覚だった。

そのコースから戻ったあと、かなりの時間を家のソファでボーっと過ごすようになり、当時していた仕事に対する関心が一気に失せ、結局何ヶ月か後にその仕事から離れることになったのだった。

その変化については後日談があって、それからしばらく経って新宿で参加した寺山さんの講座で、「ヒロさんにはすごいのがついてたからなあ」という感じのことを言われたのだった。憑いていたらしい。金がもっと欲しい、人に認められたい、という動機で突き進んでいたせいで、妙なエネルギーというかエンティティがくっついていたのだろう (寺山さんの用語でいうと「幽霊」)。その何かがワークショップで急に脱落してしまい、混乱したのだと思う。

だから、ある種の浄霊、除霊というものには、その対象を霊と呼ぶかどうかは別として、かなりリアリティを感じている。面白いのは、その経験以降、変なものが憑いてそうな雰囲気に自分でも敏感になったことだ。すぐに逃げたくなってしまうことが今でもけっこうある。それとは逆に、宇宙人的というか天使的な雰囲気を感じて、妙に興味を持つこともある。

ジョン・シャーマンのメソッドを初めてやってみたときも、じつは同じ種類の混乱を感じた。何かの軸を失ったような印象。失った快感、自由の気持ちよさが最初はあったのだが、そのあとやって来たのは混乱だった。不安や恐怖はなかったが、ともかく足場を失った不安定さがあって、それがけっこう続いた。

今はその不安定さに慣れたのか、あるいは何かの足場がまた完成したのか、そこまでの混乱はなくなった。単に慣れただけかもしれない。その点についてはたまに考えるが、どうもよくわからない。このわからなさが鍵だという気もする。または、鍵なんてありえないということだろうか。

ジョン・シャーマンといえば、 Self-Directed Attentionというエクササイズがどれほど重要であるかを彼がちょっと前にブログに書いていた。自分の呼吸に10分間注意を向けるということを1日に1度か2度やるというもの。これを続けることによって、注意の向け先を自分でコントロールする力を取り戻せるという。それでメソッドの「後遺症」は軽くなるし、メソッドの恩恵も増すらしい。マインドフルネスとは違うぞ!と力説しているが、どう違うのかはよくわからない。注意点は、このエクササイズをする前に一度は自分自身を見るメソッドをやっておくこと (文字どおり一生に一回だけ)。

(追記: Self-Directed Attentionは、以前はDirected Attention Exerciseと呼ばれていたもので、ここで訳して紹介していたことに気がついた。さらにその前はPractice of Focused Attentionという名前だったようだ。このエクササイズについては最近ジョンがいろいろ書いているので、訳して紹介していきたい)

見るメソッドを自分でやってみてからもう2年以上が経過したが、何か変わったのだろうか。ただ、変化という文脈で語ろうとするのは違うんじゃないか、という思いも、これに関してはいまだに強い。人が変わってしまうという現象に対する関心と、変化という文脈に対するぬぐえない違和感。

どうもわかりませぬ。

でも面白い。
 
 
【追伸】ナチュラルスピリットからダリル・ベイリーの邦訳新刊を送ってもらった。僕はそれほどファンではないのだが、ジョーン・トリフソンは彼の作品をとても高く評価している。溝口あゆかさんによる翻訳。『ファンタジーの終焉 ― 生命の充全さへのいざない』

【追伸2】「とあるカワユイ娘」が『わかっちゃった人たち』を読んでくださったという嬉しい情報をタクさんブログで発見 (誰も行ったり来たりしてませんよ) 。

【追伸3】 8月に京都に行く用事ができて、書店めぐりをする予定。恵文社一乗寺店と烏丸御池の大垣書店以外でおすすめの本屋さんがある方、よかったら教えてください。連絡はこちらから

【追伸4】 ビリー・ドイルの翻訳本の作業が完了した。8月に発行される予定で、タイトルは『カシミールの非二元ヨーガ ― 聴くという技法』になった。発売日が決まったらまた告知します。

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