オママゴト?

 
寒い日が増え、早朝の釣りがちょっとつらくなってきた昨今、ようやく晩秋恒例の探求祭りが今年も始まった気がする。

ダグラス・ハーディングの『存在し、存在しない、それが答えだ』が面白くて、その影響もあるのかもしれない。探求というのか、探究というのか。ここにない何かを探してしまう動きだから、探求の方だろう。ハーディングは探究を勧めているはずなのに。

そんなことで、ウェブの見回りをしていると、ジョン・シャーマンつながりでシロネコヤマトというブログを見つけて、何かすごくいいなあと読んでいた。

その流れでタクさんという人のブログに行き着いた。

Life is like children playing house. 人生はおままごとのようなもの。

非二元系と言われるようなメッセージの中には、「聞いてもいないのに勝手に説法するなよ」と言いたくなるような暑苦しさ、変な圧、粘着性を感じるものもあるが、これは違う。親切なのにクドさがなく、真正面勝負なのに面白い。

少しだけ勝手に引用。(ちょこっと「それ」を垣間見る。一瞥体験について)

僕がこのブログでよく、
わからんままでおったらええんやで。
ってね。
言ってますけど、

これは、一瞥体験のこともわからんでええんやで。
ということなんです。

自分が戻ってきとるんです。
自分というのは概念だってわかってるはずなのに、
そのわかってるという働き自体がもう自分なんですね。

何かを理解して、自分のものにして、
よりよくなろうとする。
この動きが自分です。

自分とはエネルギーのようなものなんです。

エネルギーとは動きです。

ただの動きなので、実体はありません。

そして、ただの動きなので所有者も行為者もいません。

外に吹く風と同じなんです。

意識という空間の中で
風が吹いたり、自分とかつて定義していた
何かしらの働きが動いているように見えます。

そしてあるのは「それ」だけです。

何かしらの働きに行為者という概念を付け加えたのが、
自分です。

エネルギーの働き自体がなくなることはなく、
その行為者がいないという見抜き。

それが「それ」であり、そこに何かを体験する誰かはいないと見抜かれます。

そこでようやく一瞥体験という幻想から抜けられるんです。

何も分かる必要がなかったんです。
わからんでよかったんです。

深刻さや重さが抜ける感じがどの記事にもある。これこれ、それからこれもすごく好きな記事。

僕のブログを読んでいるような人なら、すでに存在を知っているかもしれないけれど、ミナトさんのブログを知ったとき以来の久々の衝撃だったので、つい嬉しくなって書いてみました。「知らなかったの!?今さらかよ!」とか言われるかもしれないが、探求一時休止中だったということでお許しを。

あと、トニー・パーソンズの『オープン・シークレット』が12月中旬頃に発売になるとのこと。発売日がわかり次第、また告知記事を書く予定。

おまけ: 訳書の中では好きな方から何番目かのジェニファー・マシューズの本について書かれたばかりの良記事発見!
いま、思い煩うのをやめてみる。『ただそのままでいるための超簡約指南』

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