その一歩、交通整理、セラピー

 
しばらく前まで、トニー・パーソンズのThe Open Secretという書籍の翻訳をしていた。彼の本はそのほとんどが対話の記録だが、これは書かれたもので、短いエッセイが集められている。

トニー・パーソンズというと、「私はいない」「何も起こっていない」というのがメッセージの核心であるようにも聞こえるが、どうなのだろう。

《それ》はどこか別のところにある超越的な何かじゃない。この部屋から出るときの君の一歩がまさに《それ》なんだよ。その一歩がね。

ミーティングでトニーがそんなふうに言っていたことがあった。

その言葉を聞いた瞬間、仕事のことで頭がいっぱいになっていたあるとき、小さな息子が何か話したそうな雰囲気で近づいてきたのに、顔も見ずに「ちょっと忙しいから、またあとでね」と言ってしまったときの感じを思い出して、泣けた。

よそで探してしまうことの哀しさ。呼びかけへの鈍感さ、見逃し、後回しという罪。

「私はいない」「非二元」は何かの方便であって、「ほら、これなんだよ、ちゃんと見てよ」という単純な訴えがトニーのメッセージの中心なのではないだろうか。どうだろう。

ところで、だいぶ前のことになるが、高木悠鼓さんが出された『動物園から神の王国へ ― サルの惑星のような星で、平和に生きるために』という本を読んだ。

『人をめぐる冒険』が気に入っている人であれば、間違いなく楽しく読めると思う。僕はリチャード・ドーキンスや竹内久美子的な整理の仕方はあまり好きではないから、第一部はそれほど楽しめなかったのだが、第二部が大当たりだった。

第二部「サルの壁 人の壁」の一章「知性の7段階」は目ウロコそのもので、高木さんの洞察に唸った。非二元の認識を得ているはずのグル同士の対立がなぜ起こるのか、感じが悪い人が一瞥をするとさらに感じが悪くなるのはなぜなのか、一見矛盾した行動を平気でとれる人がいるのはなぜなのか、といった僕の抱えていた疑問にすっきりと答えている。

自分自身についても、何かに開かれるような経験が起こったあとで、条件付けがどことなく強まったり、何かに戻されるような現象が増えたりすることに不快感を感じることがたまにあったのだが、そういう動きについてもだいぶ納得した。

洞察の鋭さが光りまくっている本で、読んでいると「イタタタタ」という部分も多いから、全部が愉快かというとそうでもないが (それにここまで鋭く見られていると思うと、つぎにお会いするのが怖くなる 笑)、『人をめぐる冒険』でもそうだったように確実に楽になった。

それと同時に気づいたのは、こうした「交通整理」を非常にありがたく思う反面、そういうものを全部投げ出したいという気持ちもどこかにあるということ。

なんでしょうね。整理されずに (自分でも整理せずに)、無条件に受け入れられたいという気持ちが強く残っている気がする。自分とは何であるかを一度見るだけで解消するような話ではなく、心理的なセラピーの出番なのかもしれない。(などと考えるのは、「知性の7段階」を読んだ影響もありそう)

トニーは普段は心理的なセラピーを全否定しているが、The Open Secretでは意外なことに自分とセラピーの関わりについてけっこう書いている。非二元云々は抜きにして、その部分はけっこう面白かったです。

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