フィリップ・ルナールさんの話 (3)

 
話は戻るが、フィリップの書棚には大量の本や資料が並んでいて、部屋に足を踏み入れた瞬間に、「あなたは大学の教授か何かですか?」と質問したほどだった。

背表紙を眺めていると、最近はこれが気に入っているんだよと言いながら、何冊かの本を見せてくれた。

盤珪の語録の英語版、イブン・アラビー関係の本、トゥルク・ウルギェン・リンポチェのAs It Isといったもの。禅ではなくチャン (Ch’an) の方が好きだとも言っていた。

「ニサルガダッタやアートマナンダについて非常に造詣が深いし、エッセイの中でも、自分はニサルガダッタが属していたナブナート・サンプラダヤの『オランダ分派』にいると言ってもいいと書かれていたので、ヴェーダーンタが一番好きなんだと思っていましたが」と聞くと、「どちらかと言うと、非二元の普遍性を重視している。だから、インド系だけ、スーフィーだけ、ゾクチェンだけという接し方は自分はしていない。とても豊かな世界だから。逆に文化的なカラーリングが強すぎると、それによって失われたり隠されたりする要素もある」という答えだった。

そのあとで、前の記事で書いた Holy Sequence の話に入ったのだが、第一に優先すべき点については具体的にどのように教えているのか?という質問に対しては、こんな感じの答えが返ってきた。

「教えるというよりも、今そうなっていることを真剣に見ることだ。自分はどこから見ているのだろうか、と問う。しっかり見る。見ている対象ではなく、見ている元、それがなければ絶対に見ることは起こらないそれを見ることだ。そこから外れないようにするのが私の役目だ」

フィリップ自身はアレクサンダー・スミットのサットサンに通っていた80年代に、真剣に探求しようと決め、家族からしばらく離れ、数冊の本だけを持ってスペインの田舎を一人で旅したらしい。その途中で決定的な体験をして、自分が何であるか、そして世界の本質がわかったそうで、それは深まるということが絶対にありえない理解、認識だったと言っていた。

その話しぶりからすると、真剣さ、情熱が何よりも大切だというふうに聞こえたが、実際この「第一に優先すべきこと」に関する話をするときにだけ、フィリップの声は急に熱を帯びて、人が変わったように力強く響く感じがあった。

その4へ続く。

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