ジャン・クラインのインタビュー (3)

 
その2からの続き。

== 以下、訳 ==

Q. あなたの教えているヨガ、「ボディワーク」と呼ばれているものですが、それについて聞かせてください。どのようなもので、どのようなかたちで教えられているのでしょうか。

A. あなたは身体でも感覚でもマインドでもありません。身体、感覚、マインドは、時間を超えたあなたの気づきの表現です。けれども、自分はどのようなものでもないということを完全に理解するためには、自分ではないものをまず見なければなりません。身体とは何かを知らずに「私は身体ではない」と言うことはできないのです。ですから、問い、調べ、見て、聞きます。そして発見するのは、自分が知っているのは身体の特定の部分、特定の感覚だけだったということです。そうしたものは、言ってみれば反応、抵抗です。そのうちに、これまでに一度も経験したことがないような身体感覚に出会うことになりますが、それは、耳を傾けているとそういった感覚が姿を現し、微細身、エネルギー体が現れるからです。エネルギー体を感じ、接することは何よりも重要です。なぜならば、最初の段階では身体はほとんどマインド内のパターン、あるいは皮相的な構造体のようなもので、反応や抵抗から作られているからです。それでも身体に本当に耳を傾けていると、あなたはそういった反応の共犯者ではなくなって、身体はその本来の感覚になるわけですが、それは空(くう)です。本来の状態にある真の身体とは空、つまり完全にからっぽの状態です。そうなったとき、伸縮自在の身体の姿を感じますが、それがエネルギー体です。「ボディワーク」について言えば、このエネルギー体を見つけ出すのがその主な目的になっています。エネルギー体を一度でも経験すると、物質的身体はまったく違ったかたちで動き出します。筋肉構造、皮膚、肉は完全に新しい感じられ方、見られ方をすることになります。筋肉や骨さえ、違うかたちで作用します。

Q. あなたの教えられているヨガはどのようなものですか。

A. 本当のヨガとは違ったものです。カシミールの教えにもとづいた身体へのアプローチです。カシミールの方法では、主として身体を循環する微細エネルギーを目覚めさせることをします。微細エネルギーは身体を霊化させるため、身体をよりサトヴィック (「純粋」または「精密」の意味) にするために使われます。サトヴィックな身体においては明け渡しがすでに起こっています。自分が何でないか、つまり緊張でも観念でも執着でも反応でもないということがはっきりとわかります。偽物が偽物であることがわかったとき、そこに残るのは私たちの時間を超えた存在です。身体を霊化するとは、したがって、偽物に属している散らばったエネルギーすべてを調整してまとめるという意味です。私たちがとっている方法では、意志を持たず努力もせずに調べます。それは真理そのものによって動機づけられています。自然な身体とは、この真理の表現、延長部分なのです。

Q. とはいえ、伝統的なハタヨガのアーサナもあなたは使われているようですが。

A. 身体のどのような動きもどのような姿勢もアーサナです。ハタヨガの古典でも言及されていない原型がいくつかありますが、そうしたものは身体とマインドに調和をもたらす上でとりわけ有効な原型的姿勢です。ただし、そうした原型にとりかかる前に、まずは身体の準備を整える必要があります。条件付けられた身体でこの原型的姿勢をとるのは無意味です。条件付けを放っておくとしたら、ヨガは単なる身ぶり手ぶりにすぎません。欧州や米国のほとんどでおこなわれているのは体操や身ぶりであって、身体の統合とはまったく無関係です。

Q. 「ヨガ」という言葉を使わないことには他にも理由があるのでしょうか。

A. ええ。「ヨガ」というのは「つなぐ」という意味です。つまり、つなぐ何か、成し遂げるべき何かがなければなりません。でも誰をつなぐというのでしょうか。何をつなぐというのでしょうか。ある意味で、ボディアプローチは静かに耳を傾けるのを助けてくれます。身体に本当に耳を傾けることを通じて、マインドと身体の真の落ち着きに到達します。

Q. これは毎日実践しなければならないことでしょうか。

A. これは訓練にすべきことではありません。なぜならば、訓練ということには期待があるからです。すでに目標が強調されてしまっています。そのようなものは探究とは呼べません。具体的に言うと、身体そのもののエネルギーに誘われるまで待っていてください。私たちの本来の状態をそのように思い出すということは、記憶ではありません。それは身体の要請からやってくるものであり、自動的に現れます。夕食に招かれるときのように、招かれてから行ってください。そうでなければ、身体に暴力を加えていることになります。

日常生活において、何もなすべきことがなく、避けたいこともなく、達成すべきこともないという絶対的な静けさの瞬間を経験することがあるかもしれません。そうした瞬間、あなたは何の努力もなしにこの静寂に完全に調和しています。このような時間を超えた瞬間、思考することができない瞬間に気づく機会を増やしてください。思考をすると、その瞬間はもう去ってしまっています。どのような思考からも解放された今の瞬間です。何かの行動を終えたとき、考えごとが終わったとき、夜に眠りに落ちる前、朝最初に目覚めたときなどにそういった瞬間を頻繁に経験するでしょう。ふたつの思考のあいだ、ふたつの行動のあいだのこうした隙間に慣れていってください。思考が不在になっている隙間ではなく、実在そのものである隙間です。こういった時間を超えた瞬間と自分が調和するのにただまかせてください。そのような瞬間を迎え入れることが増えていき、ついにはこの無時間の中に確立することになります。あらゆる知覚の背後にある光を認識しながらです。

Q. 日々の修行として瞑想することはすすめないということでしょうか。

A. そうです。

== 訳は以上 ==

ここで語られているボディワークについては、しばらく前に紹介したことのあるビリー・ドイルが一冊の本にまとめている (Yoga in the Kashmir Tradition)。とても実践的でありながら、ジャン・クラインの美しい言葉も散りばめられた、独特の雰囲気のある作品だ。

次がこのインタビューの最後。

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