中野真作さん初の著書のこと

 
しばらく前に、中野さんから「新刊の帯に推薦文を書いてくれませんか」という依頼があったとき、ちょっと戸惑った。

帯文というのは、ディーパック・チョプラとか吉本ばななとか、そういう人が書くものだと思っていたからだ。ほぼ誰にも知られていない自分のような人間が推薦をしたところで何の意味があるんだろう、と。それに「推薦」だなんて僭越にもほどがある。

それで、お断りする言い訳を考えたりしながら何日か逡巡していたが、せっかく指名されたのだから、と思って引き受けさせてもらうことにした。早く読んでみたいという気持ちも少しあった。

そして、原稿が送られてきた。

すぐに一読して、また一気に再読した。最近は本を最後まで読むことが減り、半分くらいまで読んだあとはパラパラ読みになってしまうパターンが多いのだが、この中野さんの本は読んでいるうちに最後のページになっていたという感じだった (決して短い本ではない)。

原稿を読み始める前の関心は、「この本には中野さんのメッセージ、あり方のエッセンスがどのくらい反映されているんだろう」「帯にうまい文を書くためのネタが何かピックアップできるかな」といったものだった。それは言ってみれば評論家的な興味で、明らかに斜めから読もうとしていた。

でもページを開いた瞬間から、引き込まれてしまった。そして、自分が救いを求めていること、世界に無条件に愛されたいとずっと切望しつづけていることに気がついた。認めたくなくて必死に否定していたが、どうしようもない苦しみの中にいたのだ。

そんな自分をもそのまま肯定する視点をこの本は示し続ける。肯定する視点というよりも、視点を超えてすべてがすでに肯定されているという事実を事実としてありのままに示している、と言った方が合っているかもしれない。その事実を受け入れることのできない心の状態に対しても、中野さんは優しい。本当にすでに受け入れられているのだという事実を、いろいろな表現で、ときにエクササイズの紹介を交えながら示してくれる。

そして再読の途中、ふと本から目を上げると、驚いたことにそこにはどこかなつかしい世界、何も求めていない世界が存在していた。その美しさをずっと見落としていた愚かさを責めることもなく。

非二元の認識、目覚めを求めていると思っている場合でも実際にそこで追求しているのは苦しみからの解放だ、ということはしばしば指摘される。ただ、そのようなストレートな指摘は僕に関するかぎりは役に立ったことはないように思う。それが、この中野さんの本を読んだとき、自然と素直に認める気になった。それはたぶん、その無意識的なごまかしを指弾するかわりに、そういう求め方に表れている苦しみ、叫びの本質をまっすぐに見つめ続けてきた人の言葉だからだと思う。

こどもの頃、自分が何を求めているかもわからずに泣き叫んでいたことがあった。混乱のまっただ中にあったそのとき、母が急にぎゅっと抱きしめてくれた。そのときの安心と深呼吸。それを思い出す。

と、つい沢山書いてしまったが、非二元や覚醒といったラベルを外して (「これはまさに日本のアジャシャンティだ!」とラベルを貼ろうとしたのは秘密) 、もしくは外さずにそのまま、ぜひ手にとってもらいたい本だと感じる。そして、このような素敵な本に推薦文を書かせてもらった幸運に感謝したい。6月23日発売予定。


「私」という夢から覚めて、わたしを生きる―非二元・悟りと癒やしをめぐるストーリー

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