ビリー・ドイルのアプローチ

 
Yoga in the Kashmir Tradition (カシミールのヨガ) という本を2014年に出したビリー・ドイル (Billy Doyle) というヨガの先生がいる。

プロフィールによると、現在ロンドンや英国内外各地で教えていて、フェルデンクライス、アレクサンダー・テクニック、クラニオセイクラル・セラピー等も広く学んだ人だが、もっとも長く師事したのはジャン・クラインだという。

江國まゆさんという方が、ビリー・ドイル氏のもとで瞑想とヨガを学んだそうで、日本語の記事を書かれている。

倫敦びと彩々 【第9回】宇宙はひとつ (2017年現在リンク切れ)

また、Conscious.TVによるインタビュー動画もある。

Billy Doyle ‘The Mirage of Separation’ Interview by Renate McNay

そのビリー・ドイル氏が自身のアプローチについて解説した文章があって、訳す許可を得たので、ここで紹介したい。

原文: http://www.billydoyle.com/approach.html

== 以下、訳 ==

ジャン・クラインの教えから着想を得たアプローチ

耳を傾けること: エナジーボディ

このアプローチは、耳を傾けるという伝統的技法にもとづいたものです。私たちはじつは真の身体というものを知りません。多くの緊張を積み重ね、頭の中、概念と観念の世界の中で生きてきた結果、身体もまたひとつの観念となってしまっています。生きている何か、感じられている何かではなく。

身体の精妙なエネルギーは、神経と筋肉の緊張の中で麻痺しています。何も予期せず、選り好みもせずに耳を傾けるときにだけ、この本来のエネルギーの感覚が現れはじめます。

そうして耳を傾け、そして身体感覚が徐々に開くのにまかせるとき、私たちはもはや反射作用の共犯者ではなくなっています。このエネルギーは最初は身体のどこかの部分で感じますが、やがて私たちは全身を感覚のひとつの塊、全体的感覚として感じることになります。

このエネルギーの感覚こそが、身体内で癒しをもたらす本当の要素です。だるさ、抵抗、濃密さといった古いパターンのかわりに、私たちが発見するのは軽やかで透明で空間に広がった身体です。中心を持たず、境界もなく、空間とひとつになったものとして自分自身を感じます。

この開放の感覚、広がりの感覚が、エゴ中心の世界から私たちを解放し、より深い次元へ開かれた状態にします。そうした感覚がなければ、身体は主に私たちのエゴを維持するための防衛機構として働くことになります。エナジーボディを最初に目覚めさせないかぎり、さまざまなポーズをしたとしても、それは古いパターンを強化するだけです。つまりヨガの実践は無意味になります。

 
ポーズ

ヨガのアーサナをするとき、私たちは一瞬一瞬を身体感覚の中で生きながら感覚と一体になっていて、そこにはマインド、つまりエゴからしか生じない意図や目標は存在しません。ポーズは自然に展開するままになり、よく見られるような身体に対する支配的態度や乱暴さがそこに伴っていることはありません。

筋肉、構造全体がまったく異なる方法で動きます。そこにあるのは完全な統合です。繰り返しはありません。ポーズをするとき、それは毎回新しく、今起こっています。

物質としての身体を動かさずに、エネルギーのレベルでだけポーズをすることもよくあります。これは、さまざまなパターンや制限から自分を自由にするのに役立ちます。

各ポーズは身体の特定の部位を刺激しますが、本当の効果、つまりエネルギーの再編成はポーズのあと、静寂の中で起こります。

 
瞑想

ポーズが本当の意味で理解されたとき、それは瞑想になります。そうなると、物体、つまり身体が強調されることがなくなり、気づき、つまり今あるということに焦点が移ります。アーサナが私たちの気づきの中で完全に展開し、静寂の中にふたたび吸収されるとき、ある種の切り替えが起こります。この瞑想においては、瞑想する人も瞑想の対象も存在していません。これは精神集中ではなく、選択のない気づきです。

 
呼吸

身体が制限されるようになったのと同じように、恐れや緊張を通じて私たちの呼吸もほとんど反射的作用になってしまっています。私たちは吸うときに息をしっかりとつかみ、吐くときには息を押し出す傾向がありますが、それは絶え間のない心理操作です。

私たちの実践では、呼吸に「耳を傾ける」こと、身体の各部位、そして全体的感覚の中で呼吸を感じることを学びます。幼少期と同じように呼吸が自然に起こるようになる機会を作ります。

いくつかのヨガのテクニックにおいて、脳を落ち着かせて、身体のエネルギーを刺激し方向づけをするために私たちは呼吸、プラーナを使います。それよりもスピリチュアルなレベルでは、すべての呼吸の背景と呼吸のあいだにある空間に焦点を合わせることによって、私たちはみずからの本質のかすかな感覚に導かれることになります。

 
感覚を感じる

この教えの重要な側面は、感覚器官、つまり皮膚、口、鼻、耳、目、脳をゆったりとくつろがせることです。意識されてはいませんが、感覚器官はつかもうとする状態になっています。つまり収縮し、緊張しています。

感覚が姿を現すのにまかせながら、視覚化し、耳を傾けることによって、開かれた状態とくつろぎがやって来ます。対象は五感に届くことを許され、私たちはマインドの干渉がないところで純粋な知覚とともに生きることを学びます。五感が本当の意味で自由になったとき、身体すべてが見ること、聞くこと、感じること、味わうこと、嗅ぐことに関わるようになります。

 
教えを実地へ移す

実践を通じて得られた理解は、私たちの生のあらゆる側面に適用することが大切です。イメージ、対象と一体化しなくなり、状況に心理的な意味で縛られることがなくなると、私たちは全体性の中で生き、みずからの全体性から行為することになります。そのとき初めて私たちは本当の意味で機能します。

エナジーボディを感じ続けていると、私たちは自分を開かれた広大なものとして感じます。恐れや緊張は心をとらえる機会を失います。「自分が不在であるときにだけ、私たちは真の意味で存在しているのです」。

== 訳は以上 ==

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