現われかた、消えかた

 
最近の非二元関係の英文書籍の出版をほとんど一手に引き受けてきたと言ってもいいノンデュアリティプレスの代表、ジュリアン・ノイス氏が最近書いたものを訳してみた。

彼自身は本を書いたりする人ではないが、以前たまにメールをしていたころには、彼の書く言葉の美しさや陰影のようなものに強く魅せられたものだった。

だから、ニューズレターやウェブサイトには新刊の紹介だけでなく何か独自に書いたものも載せてくれたらいいのに、と勝手なお願いをしたりもした。

とはいえ、前に出ることを好まない彼はあまり書かなかった。でも、最新のニューズレターを開けると、こんな文が掲載されていた。(ジュリアンと奥さんのキャサリンの共作となっている)

==以下、訳==

非二元について私たちが書いたちょっとした文を紹介したい。

私はなぜここにいるのか? 生とは何か? 私は誰か? 知性のある人間であれば誰でも、いつかはこうした問いを発します。(ジャン・クライン)

ノンデュアリティプレスの著者たちによる文章や指標や手引きは、こうした問いへの答えを見いだす機会を与えてくれるが、答えは、疑問を持つことが許されない教条的な表現を鵜呑みにすることではなく、自分自身の経験を通じて見いだされる。

非二元とは「二つではない」という意味だ。全体性との合一を経験したり、生起するあらゆるものがもつ根源的な相互依存性を認識したりする人もいれば、探し求めながら苦しんでいる自分という感覚の本質を見抜く人もいる。非二元の正しい経験を仕方を定めた公式承認制度はないが、あらゆる経験に共通しているのは、気楽さと自由の感覚、そして自分と「世界」とのあいだに境界線を引く極端な二元性の自然な脱落だ。それを「自由」と呼ぶ人もいれば、「愛」と呼ぶ人もいる。そして、何も言わずにただくつろぐ人たちもいる。

==訳は以上==

ニューズレターでは、この文章のあと、ジョン・ウィーラーが教えるのをやめる決定をしたと記されていた。ミーティングだけでなく、本を書くのもやめるらしい。読者や出版社のリクエストで少し留まることにしていたそうだが、完全にやめると最近決めたという。

ジョン・ウィーラーは通信機器メーカーの会社員をしながら非二元関係の著作、ミーティング活動を続けていた人で、「プロティーチャー」にならない一例として、グレッグ・グッドと共に注目していた。ある意味では、タバコ屋を続けながらミーティングをしていたニサルガダッタの系譜に連なると言ってもいいかもしれない。(実際にはセイラー・ボブのところで探求を終えた人)

教えるのをやめると決めたなら、それについて何か説明してほしい感じもするが、ウェブサイトはしばらく前から消えているし、何もアナウンスせずに消える感じだ。それもひとつの表現のかたちなのだろうか。

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