ジョン・シャーマンのメソッドその後

 
ジョン・シャーマンの「自分自身を見る」をやってみてからしばらくの間、感じたこと、考えたことをいろいろとメモしていた。何かがわかったような気がして、それをどうにか言葉で残そうとした。

二ヶ月くらいのあいだに何度か書いていたのだが、そのメモの存在を昨日ふと思い出し、読んでみた。それは、まったく外している言葉の羅列だった。抽象ではないものを抽象にしようとする虚しい試み。

「はい、自分の体を両手で持ち上げてみてくださいー!」

「無理です!」

「つぎは、はい、自分の目を目で見てみましょう!」

「無理だって!」

「はい、じゃあ、つぎは自分がいま動いているその動きを動きで表現してみましょうねー!」

「え、こうやって、こう、って無理!!」

ジョンは、メソッドを薬にたとえる。抗生物質を飲むと、それが作用する仕組みは知らなくても、効果はちゃんとある。それと、見事に効くせいで、病気だったことすらさっさと忘れてしまう。

たぶんそんなことが起こっているようで、見ることに対する関心もほとんど消えかけている。もともと自分でメソッドをやってみたときから、これを他の人に紹介したいという思いはほとんど出なかったのだが、それが今では完全にない。どうでもいい感じ。何かが起こらなくてはいけないという嘘が嘘すぎて話にならない。

ジョンの書いた文章で訳そうかなと思ったものがまだいくつかあって、途中までやりかけたのだが、たぶん放置になりそうだ。

自分自身を見ることをしてみた人たちのシェア会をやったら面白いかな、などと先月くらいまで考えていた気もするけれど、それも今では「う〜ん」という感じで面倒くささが先に立つ。(回遊魚シーズンに入って釣りのことで頭がいっぱいになっている影響もあるかも)

メソッドについて最近メールをくれた方も、メソッド自体に対する関心はたぶんなくなるだろう、と書いていた。探求関連の本を全部さっぱり捨てるという、見かけ上はけっこう劇的な変化が生まれたにもかかわらず。

ディスカッションフォーラムでも同じ傾向について書かれていた気がする。メソッド実行直後はわりと興奮気味に投稿する人たちも、たいてい数週間で消えていなくなる。だから、ジョンのNPOに一度は寄付をしたとしても、その後も寄付を続ける人が少ないのも無理はない、と。

そんなことで、何がどうなったのか、何がどうもなっていないのか、その辺を整理したいというような抽象的な関心は消えてしまって、何事もなかったかのように進む日々だ。というか、何事もなかったのだろう。

広告

ジョン・シャーマンのメソッドその後」への9件のフィードバック

  1. こんにちは、ヒロさん。
    読んでニタニタと笑ってしまいました。
    たぶん、メソッドした人は同じような感じになってるんでしょうね。
    おっしゃる通り、探究もメソッドも至福体験も伝えたいという原動力が、すぅ〜っとフェイドアウト。。どうでもええなぁ〜って、感じです。元々してた趣味や昔からしたかった事への興味が再びわいています。
    ほんと、何事も無かったかのように、至って普通です(笑)
    今も落ちてる人には、申し訳ないですが、多分ちょっと熱が出てたくらいなもんでしょうか(笑)

  2. とっくんさん、こんにちは。

    ニタニタですか。気味悪いですね 笑(息子が読んでいる怪人二十面相の表紙絵もちょうど横でニタニタしてます)

    至って普通というのは僕もそうなりつつあります。気づいてなかった故障が気づかないうちに直っていたとか、そういうたとえ的な表現が頭をよぎったりすることもありますが、そうでなければ本当にメソッドのことは忘れてます。

    衝撃だったのが嘘のようです。(衝撃だったのかどうかも今では自信がありません)

  3. ということは、ジョンもこれを見たら、ニタニタと笑うんでしょうか?

    これは私の場合なのですが、脅迫観念や義務感が無くなるのは、意識の私には自由になれて良いのですが、

    こだわりや意欲がなくなると、現状を知ろうとか、注意自体も起こらなくなり、そのまま無意識になってしまい、人間社会や社会生活の範囲内ですが、不快な思いもしてしまうので、

    私はメソッド(ジョンのメソッドだけはないですが)を、メソッドの効力をたまに気をつけています。

  4. ヒロさん、こんにちは。
    まさにその状態です。
    メソッドに関心がなくなりました。

    そのメソッドから不自然なくらい急速に興味が引くのも、「抗生物質」に内包された効果の一環なのかな〜と感じてます。根拠は「なんとなく」(笑)
    興味が湧かない、というのも下手に意識で判断したり引っかき回されないよう、お薬がそう持っていってるのかも、と。風邪薬飲んだら身体を安静にして休めるよう、眠くなるのと同じイメージ。
    関心が薄れたというより、意識がそちらに向かないよう、抵抗すら感じますもの。意識的な注目と行動は邪魔にしかならないから、向こう行ってろ的な。ほとんど認識できない、かすかにですけど。
    水面下の見えない・手の届かないところで鍋がじっくりコトコト煮えているような。どんな料理がいつできあがって出てくるのかはお楽しみ(笑)

    これも思いついたからコメントさせていただいただけで、これが正しいか追おうとか確かめようとかそういう気にはなりません。投げっぱなしです。
    興味が湧かないなら湧かないでいいも悪いもないし、今興味がある事をやろう、と自然と感じてます。
    以前だったら「なんかまずいのかな?変な方向に向かってないか?」などと気にしていたかも知れません。そうしたガツガツした(絶え間ない判断を含む)探求心がなくなったので楽になったのは確かだと思います。

    …とこれも今だから認識できたことで、時間が経てば当たり前になり全く意識に引っかからない→認識できなくなるだろうから、パッと浮かんだタイミングでご報告がてら書きました。

  5. keiさん、どうもありがとうございます。

    回復期のいろいろな混乱についての報告をフォーラムで読んだり、ジョンのリトリート動画で観たかぎりでは、「下手に意識で判断したり引っかき回されないよう、お薬がそう持っていってるのかも」ということをうかがわせるようなレポートはなかった気がしますので、とても新鮮で面白い指摘だと思いました。

    それと、「今興味がある事をやろう」という粘着性の欠如は、このメソッドに限らず、ハーディングのやり方でも、身体関係のいろいろなセラピーでも見られる「効能」のように思いますが、これはいわゆる一瞥後、目覚め体験後に起こる粘着的とも言える反復性想起というかストーリー的こだわりとは対照的な気もします。「すごく楽になりました、私!本当に楽ですよ。ストーリーから完全に完璧に離れたので。前とはすごーく違います。全然、ぜーんぜん!!!!」のような力みがそれほどないような。根本的なメカニズムがどこか違うのでしょうかね。単に、回復期がつらくて力みたくても力が出ない〜、ということかもしれませんが。

    と、こうやってメソッドを分析しているところを見ると、僕の場合はやはりこの記事に書いたほどはさっぱりしていないですね。笑

  6. ヒロさんの分析を読んだら面白くなってきて、私も興味が再燃しました。

    確かに、様々なメソッドやワークを経て、粘着性がなくなるパターンと、逆にストーリーへのしがみつきが増すパターンに大別できる気がしますね。どちらも経験してきたのでその感じよくわかります。どっちに転ぶかの分岐点は何なんでしょうね。何が決め手なのか…?
    理由はわからないけどジョンのメソッドは間違いなく前者で、おかげで一瞥体験のストーリーにしがみついて語り続けたがるうざいやつにならずに済んでて感謝です(笑)

    もしかしてジョンのメソッド実践後のように根底から再構築が始まると、普段の「自分」が認識できないレベルで大量にエネルギーを使っているのかも知れませんね。
    私たちに気づけるのは「余計な事ごちゃごちゃ考えなくなった。行動がスムーズになって、好きな事だけできるようになった〜。」という表面の好ましい変化だけなんであまりそれ以上追求しませんが、高熱時に必要最小限の動きしかできないように、使えるエネルギーが限られてるからこそ一番の望みしか行動に移せない状態なのかも。

    今迄のように、「でも…◯◯」という行動しない言い訳的思考につぎ込む余剰エネルギーがなく、思考ではじめに湧いてきた「何々をしたい!」というシンプルな衝動をキャンセルしないから自然と行動できてる…と。結果オーライですね。

    で、再構築が完了したら、再構築中に馴染んできた行動パターン(余計な事を考えずシンプルにやりたい事に没頭し、楽しむ)に加え、再構築に使っていたエネルギーが解放され、さらにそれも行動に注げるようになり、経験者が語る「生きるのがとても楽になった!」という流れに乗ったスムーズな状態に完全にシフトするのかな…と、そんな事を思いました。

  7. keiさん、それはすごく面白いです。回復期には余剰エネルギーがなくなる、というのはありえる話だと思います。まさに治療の比喩ですね。

    それと、読ませていただいて気づいたのは、ストーリーとか因果にもとづいたメカニズムについての説明が自由に出てくるという点です。非二元の世界ではつねに否定されることがらです。keiさんはどうかわかりませんが、メソッドのおかげで僕は重度の「アドヴァイタ・トーク」(ラクナウ病、ノンデュアリティ話法) から回復したような気がします。書いたり話したりするときだけでなく、考えそのものが非二元の概念に囚われて不自由になっていたようで、それがだいぶ解消しました。「でも、ストーリーはないからなあ」とか「とはいっても、実際は因果とか無いしね」という頭の中のうるさい注釈が出てきません。楽ちんです。

    ただ、これもそのうちまた復活するかもしれませんので、ドヤ顔はこれくらいでよしておきます。笑

  8. ジョン・シャーマンの自分を見るということとダグラス・ハーディングの顔を指差すということはかなり似ていると思ったのですがヒロさんはどう思われますか?

  9. マサさん、その点については一時期けっこう考えました。

    なんとなく興味が失われつつあるのですが、消えてなくなる前に、記事として書いておこうと思います。

コメントは受け付けていません。