心について ジョン・シャーマン

 
mindという英語の訳はけっこう難しい。精神、心、頭、マインド、知性、それから文脈によっては思考作用などと訳したこともある。

どの日本語を選んでも、そこでmindという言葉が示している意味から外れてしまうから、苦し紛れに「マインド」とルビをふって済ませたりもする。

ジョン・シャーマンの場合、非二元の世界で言われるマインドとは少し違ったニュアンスでその言葉を使う。最初は戸惑った。マインドは幻想であるとも言わないし、マインドは不要な概念を作り出す混乱製造マシンであるというようなことも言わない。だから、素直に心と訳してもいいような感じがして、ジョンのこの The Mind と題された文章では、心という訳語を選んでみた。(と言いながら、括弧つきのマインドも併用)

ところで、訳語関連で言うと、ジョンの言うfear of lifeを「生の恐れ」とこのブログでは訳してきたのだが、これを「生に対する恐れ」と改めた。「生に対する恐れ」はちょっと長ったらしいような気がして (何度も出てくるので)、「生の恐れ」にしていたが、やはり「生に対する恐れ」の方が意味が明確だ。

原文: The Mind (JustOneLook.org)

== 以下、訳 ==

心が生において果たしている中心的役割については、とっくの昔に理解していなければならなかった。

私の心は私が全世界を経験する場であり、あらゆる関係、それがどれほど短いか長いかには関係なく、心の中に現れて消えていくものごとや人々とのあいだで私が持つ関係のすべてを経験する場だ。自分の身体を生々しく経験するときも、身体の状態を理解するときも、それは私の心の中でのみ起こる。

私の心は生きている集合であり、それは、私と私が生きている世界のあいだ、私と私の知り合いのすべてのあいだ、私と私が見聞きしたことのあるすべての人々のあいだの関係そして理解でできている。感情や心の状態 ― 恐れ、満足、不満、欲求、嫌悪、上機嫌、意気消沈、苦痛、喜び ― を私が経験するとき、そのすべては私の心の中でのみ起こり、それは私の心を構成するものとして起こる。あらゆる感覚、あらゆる経験、そして経験についてのあらゆる理解と誤解は、私の心の中で私の心として、現れては消えていく側面、特徴であり、私の心の中で私の心として、判断され、忘れられ、思い出される。

普通、日常生活においては、私の心と私のあいだに境界線は見つからない。心は私が自分の生を生きる場だ。それでも、これが普通の経験であるにもかかわらず、私たちは生に対する人間ならではの不満の何世紀にもわたる歴史を通じて、心の中になんとか足場を建てることに成功し、その足場からものごとを批判し、高め、直し、悪魔化し、崇拝することができるようになったし、また、自分の心から身を引こうとすることにもなった。

この事実だけでもどちらかといえば奇妙なことだが、なぜ奇妙かと言えば、関係性の感覚も、関係そのものも、心の中でしか起こらないからだ。自己の感覚も、自分の心と関係を持っている自分という経験も、そして心そのものの出現も、心の中での出来事だ。心は、すべての喜び、満足、不満、幸福、不幸が起こる場所であり、そうした状態の認識や定義もまた心の中で起こる。何世紀もかけて、私たちは、人間として直面しているあらゆる苦悩は心 (マインド) の責任であるという非常に魅力的な考えを生みだした。そうした考えから、いろいろな形をとって現れる心 (マインド) を悪魔として扱う古くからの根深い風潮が湧き出る。

このワーク、このコミュニティにおいては、心 (マインド) を嫌うことはしないし、心 (マインド) を消そうとしたり、黙らせようとしたり、変容させようとしたりはしない。私たちがしようとしているのは、心を歪めてきた恐れ、自分の生の経験、そして自分そのものの経験をだめにしてきた病的な恐れから心を癒やすことだけだ。

自分自身を見るという行為は何をするのだろうか。それは心を癒やす。自分の注意を (心の中において) それが向きたい方向に向けてそこに集中させるために、持っている力を行使するという、集中的で自立的できっぱりとした努力によって、私たちはそうした病的な恐れの作用から解放される。

心は問題ではない。実際の問題によって心理状態が害されることがあるとしても、心理状態は問題ではない。

排除する必要があるのは、静かにそこにある恐れの感覚、何かが間違っているという感覚だけだ。それがなくなれば、心理状態はみずからを癒やす。

私たちのワークを使ってここで一緒に実現しようとしているのは、静寂でも沈黙でもない。私たちが求めているのは、そして実際にここで見つかるのは、生とその荒々しい予測不可能性との、そしてときおりやってくる生の退屈さとの、直接的で媒介のない知性的な関わりだ。生は、私たちがここにいる理由なのだ。

ジョン・シャーマン
2014年1月24日

== 訳は以上 ==

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心について ジョン・シャーマン」への2件のフィードバック

  1. いつも楽しく読んでいます。いろいろ教えてもらって感謝しています。訳されたご本も、みな面白く、とても刺激を受けます。文章がすごくうまいのでびっくりです。
    私も、マインドの訳は困って、ある本では、「頭のなかの出来事」などと、長ったらしく訳しました。難しいですね。
    私は、鹿児島にも住んでいましたので、ヒロさんには、勝手にものすごく親近感があります。今後も素晴らしい文章、ご本、楽しみにしています。ありがとうございました。

  2. NBLさん、こんにちは。そんなに褒められると身の置きどころがありませんが、どうもありがとうございます。

    「頭のなかの出来事」とはうまいですね!

    意味を明確にしようとすると、逆に限定しすぎてしまったりすることもあって、本当に訳は難しいです。この何年か、これまで使っていなかった頭の部分を酷使しているせいか、1行訳すごとに髪が1本ずつ抜けていっている気がします…。なので、本の翻訳を今後も続けるかどうかは、鏡の中の人と相談して決めることになりそうです。笑

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