恐れよさらば、不安よさらば (1) ジョン・シャーマン

 
一区切りと言いながらさらに訳しているが、これはジョンとカーラがごく最近改訂した、わりと包括的な解説テキストだ。

これだけ読めば、メソッド自体も含めてほとんどのことがカバーされている (じゃあ最初にこれを訳せ? そうですね 笑)。逆に言うと、これまでに訳したものと重複しているところも多い。

ただし今回の改訂では、回復期についてのかなり詳しい説明が追加されている。回復期の苦痛の軽減方法についての前の記事では触れられていなかった、解説的なものだ。読みやすいとは言えない文章だが、メソッドをやってしまった(※)人には参考になるかもしれない。

長いから三回に分けることにしたい。

(※) 何度も書いているけれど、このメソッドは感情面、心理面、現実のいろいろな側面において極度に混乱したり、不安が増大したりする可能性がある (境界線上の人が恐慌状態に陥って精神の安定を失う可能性、うつ状態の人が命を断つ可能性についても数日前にフォーラムで議論されていた) 。そういった事態に自力で直面する覚悟がある人にしかすすめられない。することは恐ろしくシンプルで、そんな反応が起こるようにはとても見えないから、しつこいようだが書いておきたい。試す場合はあくまでも自己責任で。シンスケさんのこの記事も参照 (最後の部分)。

原文: No More Fear, No More Anxiety (JustOneLook.org)

== 以下、訳 ==

恐れよさらば、不安よさらば (ジョン・シャーマン & カーラ・シャーマン)

単純なメソッドを学ぶことで、生に対する不満の根本原因、完全に満たされることは絶対にないように思える平安と充足への苦痛に満ちた切望の根本原因が取り除かれるだろう。

2015年7月24日改訂・更新

これをpdfで無料ダウンロード (訳注:英語)

《私たちの約束》

私たちがここで示しているのは、極めて単純なメソッドであり、これをすることで、生に対する不満の根本原因、完全に満たされることは絶対にないように思える平安と充足への苦痛に満ちた切望の根本原因が取り除かれるだろう。

ここで紹介するメソッドは、世界中の人々とワークを続けてきた16年にわたる経験の成果だが、彼らは自分自身の生との関係が良い方向に劇的に変化するのを体験してきた。

ここでは2種類のやりかたを紹介する。両方を試してみることをすすめる。どちらも同じ結果を生むはずだ。どちらの方法も、まず注意を内側へ向けることから始まる。これは誰にでもできる。注意を内側へ移したあと、心躍る発見の時間がスタートするが、そこでは自分の生をどう見るか、どう考えるかをコントロールする方法が身につくことになる。ひとつめの方法を私たちは「直接見る(Direct Look)」、ふたつめを「幼少時記憶 (Childhood Memory)」と呼んでいる。

私たちふたりはこのメソッドを偶然別々に見つけたが、それはそれぞれが精神的な危機に陥っていたときだった。私たちは1999年6月に結婚した。それ以来16年間を共に過ごすあいだずっと、私たちの活動が目指してきたのは、自分たちに何が起こったのかを理解する方法を見つけること、そしてそれを、ひとりの人間としての生には欠陥があり、人間として生まれてくることにはたぶん価値がないんだろうという感覚にうんざりしている人たちすべてに伝えることだった。人生なんて何もいいことはないし、あとは死ぬのを待つだけだ、という誰かの言葉のもとになった感覚にうんざりしている人たちに。

約束できるのは、私たちがここで提案していることは、それをただやってみるだけでうまくいくし、そうすると自分の生との関係が永遠に変わるだろうということだ。このプロセスは生きているかぎりは終わることがない。人生で出会ういろいろな状況との関わりかたにおいて、正気さ、明晰さ、有効性といった面で成長が続いていくだろう。深まり続ける満足を見いだし、人間と生きるということの真の意味がよりはっきりと理解できるようになる。

ほとんどのケースで、注意を動かしたあと、混乱と心理的困難がしばらく続くことになる。私たちのウェブサイトには、そうした期間に起こることを理解する助けになったり、生とのこのまったく新しい関係の中を歩んでいくための理解と技能を磨く手引きになったりするような情報がたくさんあるし、コミュニティフォーラム (訳注:日本語無し) にも助けてくれる人たちが大勢いる。

皆さんの幸運を祈りながら。いつでも連絡歓迎だ。

《直接見る》

「見る」とはどういう意味か?

見るとは、意識にのぼるものが何であれ、それに対して注意を向けるときに私たちが自然におこなうことだ。たとえばこの瞬間について言うと、自分の注意のほとんどがこの文章に向けられていて、それ以外のことはほとんど無視しているということに気づくだろう。

注意を思いどおりに動かせることに気づこう

はじめに、自分の注意を少しのあいだこの文字から離して、呼吸の感覚に焦点を合わせてみる。息が鼻を通って出たり入ったりする感覚に。

息が鼻孔を通り過ぎながら出ていくときに生じる皮膚の感覚に焦点を合わせる。目を閉じた方がやりやすいかもしれない。

これを自分で1分続けてみる。終わったら、ここに戻って続きを読もう。

注意を「自分」の感覚に向ける

いまやってみて、注意を動かして任意に選んだ感覚に集中させるのは比較的易しいということに気づくだろう。

では、注意を呼吸に集中させたのと同じように、今度は注意の焦点を内側に向けて、自分であるというのはどんな感じがするか、「自分」と呼んでいるものとしてあるそのかすかな感覚を探してみよう。

ここで探すのは、単純に自分が自分だというその感じだ。自分を通り抜けていく思考でもないし、自分の内側で戯れている感情でもないし、自分の内側に現れては消えていく感覚でもないし、どこかで聞いたか読んだかした自分の本質に関する観念でもない。自分とは、単にいつでもここにあるものだ。それ以外のすべて ― 思考、感情、感覚 ― は自分の中にやって来て消える。

動画と音声による指示 (訳注:英語)

《幼少時記憶》

まず、ただ座り、少しのあいだくつろごう。目を閉じて、自分の呼吸をしばらくただ見守る。特別なことは何もない。息が身体に入ってから出ていくその感覚に注意を向けておくだけだ。目を閉じたまま。息を吸って… 息を吐いて…。鼻から空気が入ってきて出ていくその感触に注意を集中する。これをだいたい1分ほど続ける。つぎに、幼いころの出来事の記憶を頭に思い浮かべよう。特別な出来事である必要はない。ジョンの例だと、8歳のころ、ニュージャージーの暑い夏の日に何かの午後の興行が終わって外に出てきたときの記憶といったものだ。

ただゆったりしながら、記憶が浮かぶのを待つ。はっきりとした記憶が現れたら、その記憶が頭の中で展開しつつあるとき、それを自分が映画を観ているように、映画の中にいる登場人物としての自分を外から眺めるように思い出していないかどうか、確認してみる。もし映画を客観的に観ているような感覚がある場合は、その場面の内側、記憶そのものの中に入って、その主観的な感じを感じてみよう。

そして、出来事の記憶が繰り広げられているとき、その当時の経験を主観的な感じで味わえているかどうか確認する。その中に入り込もう。たとえば、皮膚の温度を感じてみる。温かい感じか、冷たい感じか? 明るさはどんなふうだったか。暗かったのか、かなり明るかったのか。何かはっきりとした匂いはあるだろうか? 何かに触れたときのその質感を感じられるだろうか。音は何か聴こえるだろうか。当時の経験のその感じを感じてみよう。そのようにはっきりと記憶が感じられなくても大丈夫だ。別の記憶で試してみてもいいし、もうひとつの「直接見る」の方をやってもいい。

主観的に記憶を感じることができて、その感覚の中に入り込めたらすぐに、そのすべてを経験している自分であるというのはどんな感じかに注意を向けてみよう。

それができたら、もう一度注意を動かす。こんどは、自分であるというのはどんな感じがするか、いまの時点のその感じに注意を向ける。

これで全部で、言葉にして書くよりも実際にやってみる方がはるかに簡単だ。

今はこれ以上ほかにすべきことはない。内側を見るというこの単純な行為は、ほとんどの人間が生きる上で経験している不安、不信、不満という背景を自動的に解消するだろう。

内側を見ている状態にとどまろうとする必要も、その状態でくつろごうとする必要もない。見ることは非常に短いあいだに起こる。あまりにも瞬間的で、ほとんど気づくことはないはずだ。

自分自身を見るというこの単純な行為は、自分に合うやりかたで、したくなったときはいつでもしてよい。

このあとは?

自分自身を見ると呼んでいることについては、これで全部で、一度やるだけでいい。この行為がしばらく繰り返されることになるかもしれないが、そうなったらそれでいい。必要に応じて自然にこの行為は繰り返され、やがて単に起こらなくなる。

そのうちに、自分の生との関係が変わってくる。以前なら気がどうにかなりそうだったことに対する反応も変わるだろう。神経質なふるまいや自滅的な態度が消えて、否定性が影を潜め、前向きな行動パターンが現れる。

自分と自分の生のあいだの距離がなくなり、自分の生との親密さが新しい質でゆっくりと現れはじめるだろう。

あまりに簡単で、話がうますぎる? そう思えるかもしれないが、世界中の何千もの人たちが、この単純な行為が生との関係を変容させる力をすでに経験している。疎外と不信と恐れという関係から、生きるということの終わりのない驚異にまるごと自然に没入するという関係への変容だ。

== 訳は以上 ==

その2に続く。

(追記: ジョン・シャーマンのウェブサイトで、この和訳のebookが無料で提供されている。こちら)

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恐れよさらば、不安よさらば (1) ジョン・シャーマン」への1件のフィードバック

  1. ジョン・シャーマンさんのサイトでヒロさんの日本語翻訳が掲載されていてびっくりしました。どうもありがとうございます。

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