トニー・パーソンズの邦訳新刊の「訳者あとがき」

 
僕は高木悠鼓さんの訳者あとがきのファンだ。昨秋何かの集まりのときに、ご本人にそうお伝えする機会があったのだが、どこがどう好きなのかをまともに説明することができず、もどかしい思いをした。

本文をきわめて簡潔にまとめながらも、その内容に執着したくなる読者の動き、それを金科玉条として崇めはじめそうな雰囲気にやんわりとクギを刺しながら、最後は自分の感覚、自分が実際に本当に見ていることに戻りましょうという当たり前の基本を爽やかに思い出させてくれる感じ。そこが僕はたぶん好きなんだと思う。

今回、トニー・パーソンズの初めての邦訳書『何でもないものが あらゆるものである』を出版社のご厚意で一冊届けてもらい (ありがとうございます!)、さっそく訳者あとがきに飛びついた。トニーの本が高木さんの翻訳で出版されると聞いたときから、どんなことが書かれるんだろうとずっと楽しみにしていたのだ。

「訳者あとがきに手こずっている。」という一文から始まる今回のあとがきも、期待に違わず素晴らしいものだった。

水戸黄門や近所のスーパーのチラシが登場する訳者あとがきが書かれているとはトニーも想像してないだろうな、と思うとちょっと可笑しかったが、トニーの言っていることはじつはまったく特別なことではないんだ、という基本に立ち返らせてくれる感じがとても良かった。

(シャノン・ディクソンという人が書いている序文は、それに対してトニーのメッセージの優位性、特別性をいささか強調しすぎているようにも感じられ、それが高木さんの訳者あとがきに見られる力の抜け具合いと対照的で、また面白い)

ちなみに、この本の原書 Nothing Being Everything は、トニー・パーソンズの対話集の中では最新のものだ。彼に「どの本がおすすめですか?」と誰かが食事の席で質問していたのを横で勝手に聞いていたところによると、用語が今の彼自身のスタイルにもっとも近くなっているこの本がベストらしい。次点は All There Is というひとつ前に出た対話集で、あとはもっとも頻繁に内容が改訂されているThe Open Secretというエッセイ集。As It Is とか Invitation to Awaken は表現が古くて混乱するだけだから読まなくていい、と言っていた気がする。(最後に「本は屑だから、どれも読まなくていいよ」とも言っていた)

訳者あとがきの話に戻ると、高木さんの訳書の中で、今回の本以外で僕の好きなあとがきベスト3はこれ。

(1) あなたの世界の終わり (アジャシャンティ)

アジャシャンティというと、ものすごい覚醒体験をした禅のスーパースター、超人的なカリスマといったイメージがあって、その賢者っぷりが悪い意味での投影を生むというのはたまに指摘されることだ。それに対し、この本に書かれた訳者あとがきは、「失敗」ということをひとつのキーワードにしていて、この本がアジャシャンティの素晴らしいストーリーでも、未来にやってくるはずの素晴らしい超越体験の話でもなく、今ここにいる自分の話なんだというところに見事に戻してくれる。

(2) 顔があるもの 顔がないもの (ダグラス・ハーディング)

『今ここに、死と不死を見る』の方も、ダグラス・ハーディングとの出会いについて、彼の方法のポイントについて、詳しく書かれていてすごくいいのだが、こちらはもう少し読者側に近いところから、ハーディングの方法がいかに「革命レシピ」「究極シンプル・ハッピーライフのレシピ」であるかが面白く具体的に語られている。冒頭のスピリチュアルな関心、探求の本質についての指摘も、いつ読んでも新しい。残念ながら、この本は「シンプル堂」ウェブサイトでの販売も終了してしまった模様。

(3) 誰がかまうもんか?! (ラメッシ・バルセカール)

ラメッシの教えとどのように出会ったのか、それがどういった衝撃をもたらしたのか、そして自由意志信奉からいかにして離れることになったのか、という高木さんのストーリーが簡潔に、かつ丁寧に語られている。探求の性質がどういうところで変わっていくのか、という洞察も、他では見かけたことのないかたちで示されていて、すごく良かった。

あとは、これもご本人にはお伝えしたのだが、ダグラス・ハーディングのOn Having No Head (絶版邦訳書名『心眼を得る』) が高木さんの新訳で出版されるのを僕は勝手に期待していて、そこにどんな訳者あとがきが書かれるんだろうと考えると、楽しみでしかたない。

ジョン・シャーマンのメソッドをやってみてから、非二元関係の情報から急速に遠ざかっていたのだが、今こうやって考えていると、ダグラス・ハーディングだけは自分の中で違うくくりになっていることに気づいた。「くくり」なんて、自分の勝手な解釈だからどうでもいいけれど、ちょっと面白い。

トニー・パーソンズの『何でもないものが あらゆるものである』はナチュラルスピリットから7月23日発売予定。

(追記: 高木悠鼓さんがブログでこの本の紹介を書かれている。こちらこちら)

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トニー・パーソンズの邦訳新刊の「訳者あとがき」」への3件のフィードバック

  1. 確かにダグラス・ハーディングだけは特別に違うくくりに感じます。

    神秘的なものとして片付けずに自分で触れられるところまで持ってきてくれるので実際的というかなんというか・・・う~ん、うまく表現できませんね。

    だから同系統のヤン・ケルスショットの本はいまだに好んで読み返したりしますね(ヒロさん訳ではありませんが・・・)

    あ、もちろん『つかめないもの』は購入しましたよ(笑)

  2. 「本は屑」 (^^)♪
    一見、取りつく島もないことをスッパリ言い切っちゃうところが良いですね。

  3. 七年以上も前までの私は、非二元とかノンデュアリティは論理や哲学の範囲だと、食わず嫌い的に思い込んでいて、

    そのときまで、傾倒していたことは、死後の世界やそこでの生活、この三次元的世界の他にも別の次元世界があり、そこにもこの次元と同時に自分の身体が存在しており、

    四次元にサイキカル体(感情体)だとか、五次元(思考対しての)にノエティカル体があるとか、人が生み出す感情や思考がそれぞれが存在出来る次元世界で、

    エネルギーや形となり、生命体となり、それを発した相手や関連のある人に影響をあたえるとか、

    天使や悪魔や人格の無い絶対神(全存在性)、守護霊や指導霊、動物霊、自然霊などがいるとかなどを信じて探求していました。

    もっと前は、不幸にも自殺して死んだしまった私に取っては恩人の、そして“真理の探究”のキッカケを与えてくれた人に恩返しがど~しても(^^;)したくて、

    釈尊の仏教やイエスのキリスト教などに、人間の世界や自然界の仕組みや真実を知ろうと頑張っていました。

    しかし、そこでは、結局人間の存在や人間目線、人間同士の思い込みやしがらみのことしか、ほとんどテーマになっていなかったので、ずーっと傾倒していられず、

    そこで始めてニサルガダッタ・マハラジの「アイ・アム・ザット」を手にしたのですが、なんとその内容がスルスル入って行くではないですか!

    そして、そして私の知っていることをまるで代弁しているように思えるところも沢山あり、ほとんど悩むことなく、自然体で読めました。まるで私の理解者が現れたみたいで、感涙したことも沢山ありました。(かなりオーバーですかね。今も時々読み返すと共感して胸のあたりが動揺してしまいます)

    マハラジの通訳だった?(かなり後で知った)ラメッシ「誰がかまうもんか」は、その次に読みましたが、当時は、これは、なかなか頭の中を二転三転させて、しかも(集中しないと把握出来ませんでした。(バカだったのですね)

    マハラジの「アイ・アム・ザット」が、やはり後にですが、これが難解だとWeb上でよく目にしましたが、「どうしてこれが難解なんだ!」とか憤ったり、不思議に思いましたが、

    逆に自分の異端さや、本来の色づけされていない自分や普段の私の傾向を見つめる機会にもよくなりました。

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