よくある質問 ジョン・シャーマン

 
自分自身を見る、自分に注意を向けるというジョン・シャーマンのメソッドについての「よくある質問と答え」を訳してみた。

原文: Questions About Looking at Yourself (JustOneLook.org)

== 以下、訳 ==

1. 私はあれこれやり尽くしてきました。私がこれまでに手をつけて断念してきたすべてのことと、これは何が違うのでしょうか。これを私が試さなくてはいけない理由がありますか?

試してみたらどうでしょう。一回見るだけでいいわけですから。単純で簡単で、訓練も理解も何もいりません。お金もかからず、時間もほとんどかかりません。

2. 自分自身を見ると、どんないいことがあるのでしょうか?

自分であるというのはどんな感じがするかに気づき、今あるとおりの自分の人生こそがずっと求めていたものだと発見するでしょう。

3. 何も間違ったことなどないと感じている人にとってはどうでしょうか。それでもあなたのメソッドは役立ちますか?

やってみて、自分でたしかめてください。この単純な方法はすべての人のためのものです。問題を抱えているかどうかはまったくどうでもよく、そして一切どんなことも変える必要はありません。

4. いくらかかりますか?

まったくかかりません。すべて無料です。(訳注: この1年ほどは、一部のミーティングの録画、録音、個人セッションなどは有料で提供されるようになっている)

5. 無料だというのなら、なぜ寄付のお願いがウェブサイトのいたるところにあるのでしょうか?

ほとんどのNPOと同じで、私たちのNPOもこのワークに価値を認めて支援しようと考えている人たちからの寄付に依存しています。そうした寄付は米国内では税金から控除されます。寄付は必須ではありません。

6. どういった努力が必要でしょうか。時間を割かなければいけませんか。どのくらいの時間が必要でしょう?

というよりも、一度見るだけでおわりです。必要なのは、自分であるというのはどんな感じがするかを感じようとする真剣な気持ちだけです。そのあとは、思い出すことがあれば、また自分自身を見てください。それくらい単純な話です。

7. あなたはカルトの教祖なのではないか、と妻が心配しています。私は以前カルトに関わったことがあり、それは苦い経験となりました。カルトなのですか?

違います。自分自身を見るときには、何かを信じたり、何かに忠誠を誓ったりすることはまったく必要ありません。会員になる必要もありません。ここですすめているのは、自分の注意の光線を内側に向けて、自分であるというのはどんな感じがするかを一度だけ見るという、ただそれだけです。新たな知識を身につけることも、古い知識を捨てることも、新たに何かを信じることも、信じていることを捨てることも、見ることには一切必要ありません。見ることそのものを信じることさえ必要ありません。必要なのは試してみるということだけです。

8. あなたと直接話すことはできますか?

はい。オンラインミーティングパブリックミーティングがあり、それ以外に個人セッションもあります。 (訳注: 最近はパブリックミーティングはおこなわれていない模様)

9. 私は神を信じていません。あなたの言っていることが私にできるでしょうか?

まったく問題ありません。この単純な行為をするにあたって、何かを信じたり、信じていることを捨てたりする必要はありません。(質問7を参照してください)

10. あなたのアプローチを採り入れるときには、自分の宗教的信条を捨てる必要があるのでしょうか?

この単純な行為には、何かを信じることも必要ありませんし、信条を捨てる必要もありません。(質問7を参照してください)

11. ジョン・シャーマンさん、あなたは宗教に反対しているのですか?

いえ、反対していません。

12. あなたがわたしに言っているのは、わたしを見なさいということですか? どうやったらできるのですか?

実際のところ、自分という感覚は自分の経験のすべてに浸透しています。ですから試してみればわかりますが、それを少しのあいだだけ味わうというのは完全に実行可能なことです。私たちが何を「見る」ことを勧めているかと言えば、それはやはりあなた自身で、それだけです。試してください。子どものころの記憶を思い浮かべて、そのときに自分であるというのはどんな感じだったかを感じます。それは、今この瞬間に感じている自分という感覚とまったく同じではないでしょうか。それが「自分」の感覚です。絶対に変化しないものです。

13. 自分自身を見るというのは、自己探究 (セルフ・インクワイアリー) と同じものですか?

違います。自己探究は古くからあるスピリチュアルな実践です。自分自身を見るときに実際に生じる結果を手にするための試みのひとつだと言ってもいいでしょう。ですが、自己探究はそれが登場してから何千年もたっているのに、成果をほとんど生んでいません。古くから伝えられている自己探究は極端にもどかしくて複雑で、形式もさまざまです。本当に結果を生むのは、まったく簡素なやりかたです。自分自身を見てください。それだけです。

14. 「自分自身を見る」と言いますが、それはどういう意味ですか?

自分自身を見るとは、注意の光線を内側に向けて、自分 ― あなたが「自分」と言うときに参照している何か ― であるというのは実際どんな感じがするかに直接触れることです。

15. 私は自分が誰であるかをすでに知っています。その私にとって、あなたの方法にはどんな利点があるのでしょうか?

これは、自分が何者であるかを知るということではありません。これは、自分であるというのはどんな感じがするかを感じてみるという単純な行為に関する話です。注意についてのこの単純な行為は、自分の人生をどう見るか、どう関わるかを永久に変えるでしょう。

16. 見るというこの作業をどれだけ続ければ、結果が現れるのでしょうか?

結果が見られるまでの期間は人によって異なります。ディスカッションフォーラム (訳注: 日本語無し) で、それぞれの人たちがどんな経験をしてきたのか、さまざまな体験談を読んだり聞いたりできます。

17. 自分自身を見ていると、自己認識や悟りにつながるのでしょうか?

見ることは、何らかの好ましい状態、理想的な状態を実現することを目的とはしていません。自分自身を見るという行為は、生に対して人間が持つあらゆる不平の根本原因を除去するものです。その不平が消えてしまうと、今あるとおりの自分の人生こそがじつはずっと求めていたものだったのだ、と次第に気がついていきます。

18. 私は忙しい生活を送っていて、自由になる時間はほとんどありません。それでもこれをすることができますか?

はい。必要なのは、自分であるというのはどんな感じがするかを一瞬でも味わってみようという真剣な気持ちだけです。自分自身を見ることは、皿を洗っているときも、道を歩いているときも、おむつを替えているときでも、できます。してみようかという気になったときにやってみるだけで十分です。

19. きちんと見ることができているかどうか、どうしたらわかるでしょうか?

うまくできているかどうかを判断するための目安として、もっとも確実で信頼できるのは、何度も繰り返し見てみたくなっているかどうか、という点です。もしそうなっていれば、何も起こっていないように感じられるとしても、うまくいっています。

20. 自分自身を見ることで私の人生は改善されますか?

そのうちに、自分の人生で起こる出来事との関わり方が変わっていき、問題のように感じられていたことがあまり気にならなくなるでしょう。

21. どのくらい頻繁に見ればいいのでしょうか。見ることが繰り返されない場合、初回に失敗していたということはありえますか?

こちらを参照してください。

22. 私は「我あり(I am)」の感覚に注意を向けなさいというニサルガダッタ・マハラジのアドバイスに数年間したがってきました。今、あなたについて知り、そのメッセージに出会いました。あなたの言っていることとニサルガダッタが言っていることの間には違いがあるのでしょうか。あるとしたら、それはどんな点ですか?

こちらを参照してください。

== 訳は以上 ==

「カルトですか?」という質問にはちょっと笑ってしまったが、じつは僕自身にも同じ疑問がやってきたことがある。ジョン・シャーマンのリトリートDVDに毎日のように没頭していたとき、「洗脳されているのではないか? なにかとんでもないことを注入されているのでは?」という恐れが突然グワッと襲ってきた。トニー・パーソンズのミーティングでも体験したことのない種類の戦慄だった。何だったのだろう。

「これがすべてを解決する」、「唯一の問題は〜だ」といった、カルトに典型的な表現に対して拒否反応が起こったのかもしれない。

それから、ラマナやニサルガダッタの教えがほとんど結果を出していない、というジョンの主張にも、頷けないところはある。今と違ってそのころはインターネットもないし、何らかの結果が出たとしても、それを世界に対して表現する手段を持っていなかったり、あるいはいちいち報告する気も起こらなかったりした人もけっこういたはずだ。

だから今は、ジョンがこれを伝えて続けてきた長年の経験には敬意を払いつつも、そういう独善的にも思える部分だけは勝手に割り引きながら聴いている。結局、見るということの前では、「唯一」も「すべて」も言葉のあやでしかありえない気がする。

このあとは、見ることについての少し長い解説記事を訳してみたい。(本の翻訳が滞り気味だからジョン・シャーマンのシリーズはペースダウンしようかとも思ったが、気がつくとこっちを訳してしまっている)

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よくある質問 ジョン・シャーマン」への2件のフィードバック

  1. ヒロさん

    今回もジョン・シャーマンの翻訳記事の更新ありがとうございます。

    >19. きちんと見ることができているかどうか、どうしたらわかるでしょうか?

    うまくできているかどうかを判断するための目安として、もっとも確実で信頼できるのは、何度も繰り返し見てみたくなっているかどうか、という点です。もしそうなっていれば、何も起こっていないように感じられるとしても、うまくいっています。

    ↑この記述を見て安心しました。
    どうやらうまくいってるようです(笑)

  2. 色々な“気づいちゃった”人たちや、その人たちのワークやリトルートなどを開く人たちがたくさんいますが、

    その人たちは、こういのは本当じゃないとか、自然じゃないとか、不自然だとか、病だとか、異常だとか、暗示だとか、概念だとか言いますが、

    私には、昔から何が自然で、何が不自然なのか、自然と自然じゃないことの定義が分かりません。起こっていることはみんな自然だと思っているのですが、

    それから異常だとか、正常だとかの判断も、明らかにある立場にたってじゃないと出てこない印象ですね。でもアイデンティティがなければ、みんな、どんな存在性だって、無いわけでしょうから、

    気づいている意識たちも、気づけない意識たちも、こちら側も、あちら側も、

    それから、自分“存在感”に気づいても、気づかされても、そこから外側に?流れようようとする★自分の注意だとか、自分の気づきだとか→の“自分自身の流れ”も、

    どんな感覚へも、想念へも、思考だとか、内側だとかへ→“流れ込む”現象じたいがやはり、皆→自然じゃないかと思えてしまいます。

    私は、マハラジの「アイ・アム・ザット」“私は在る”を読んだときも、特に解らないところもなく、悩むこともほとんどなく、心から“頷けてしまったりしましたので、感性がズレているのかもかのかも知れないですね。(^^;)

    でも、やはりというか、これも不自然でなく、自然な現象や状態と見えてしまいます。

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