非二元の全体主義 ガイ・スミス

 
ガイ・スミスというイギリス人がいて、2004年に現実の本質に気づき、そのあとThis is Unimaginable and Unavoidableという本を出した。序文はトニー・パーソンズが書いている。

2年ほど前に彼についての記事を書いたこともあった。(何に妥協しないか)

「非二元」というラベルの貼られた単なる一方的な世界観に最近また嫌気が差してきたこともあって、ガイ・スミスのことを思い出し、ちょっと調べてみたら、2012年のインタビューを見つけた。

Happy to be a Person (beingordinary.org)

このインタビューの時点で、本のベースになっている原理主義的な立場からの決別を彼は明確に表明し、身体やセラピーについてかなり情熱的に語っている。

インタビューそのものを訳すことはしないが、インタビューに寄せられたコメントと、それに対するガイ・スミスの返事が興味深かったから、訳してみた (適当に改行を入れた)。

== 以下、訳 ==

聴いた人からのコメント:

非二元に関して明らかに問題なのは、それがすぐに「何らかのもの」に変質させられてしまい、それに対して反対したり賛成したりできるものとして扱われたり、場合によっては重要性を与えられて、退けられたり声高に主張される何かになったりするということです。

非二元というのは、「これ」、「今あるもの」、何であれあるものを指す相対的な呼び名にすぎません。でもこのインタビューで、ガイ・スミスは一体何を言おうとしているのでしょうか。「僕はひとりの人間であって、それを大事に思っている」ということですか? なるほど。でもだから何だって言うのでしょう?

「非二元」というのはそれの反対ですか? 私はそうは思いません。「私」にとっては、非二元というのはつねにand/and (and/orではなく)で、現実と非現実、個人と非個人の両方、すべてを含むものです。

それからついでに言っておくと、「絶対的な言葉」というものはありません。どんな言葉も相対的で二元的です。非二元に関してよく見られる誤りは、非二元は個人性を否定するものだという誤解です。でも非二元が実際に言っているのは、個人はみかけで、それは別に悪いことではなく、すべては見かけだということだけです。だから、自分のしていること、したいことをすればよくて、人生を生き、楽しみ、人間であることを祝福すればいいわけです。非二元はそういったことに反対してはいません。

ガイ・スミスのコメント:

現在「非二元」と呼ばれている考え方については僕もよく承知しています。以前はそれについていろいろ書きましたし、話もしました。僕が言っているのは、そういう考え方に今では同意していないということ、それからもっと言えば、そういう考え方が非二元的だとは思っていないということです。

いわゆる「非二元」について僕がもっとも問題だと感じるのは、その考え方を通じて人々が占領行為をしているという点です。何かが「すべてを含んでいる」という主張がありますが、そういった主張は必ず全体主義的な活動として機能します。それ以外のすべてはその秩序に屈することになります。そしてこのいわゆる「非二元」には、もうひとつ有利なポイントがあります。それは「いや、それは別に何も意味していないし、そもそも言葉では表せないことだ」という言い方ができるという点です。見事な逃げ口上です。都合に応じて「ごまかしボタン」を押すことができます。

自分の直感を無視して、既製のノンデュアリティ・ブームに便乗して稼ぐことも僕には簡単にできました。でもそうせずに、他の考え方に対しても柔軟な態度を保って、いわゆる「非二元」にはまらずにいられたのは幸いでした。

非二元はひとつの説、ひとつのイデオロギーです。どう否定しても、隠しても、それは変わりません。その「メッセージ」が真実であると人間に思い込ませる効果がいわゆる「非二元」にあることは確かです。でもだからといってそれが真実だということになるでしょうか。僕はそうは思いません。

僕に言わせれば、いわゆる「非二元」というのは、現実の中でほとんど光を当てられることのないひとつの小さな要素を法外に広い範囲に敷衍しただけのものです。価値はありますし、僕にとっても今でも価値はありますが、それでもたくさんの要素の中のひとつの要素にすぎません。僕が以前信じていたのとは違って、根本からすべてを説明できる唯一の真理ではありません。自分は究極の現実に触れているんだと信じていれば安心は得られるでしょうが、気がつかないうちにひどく制限されてしまうことにもなります。

僕はそう考えています。この意見が客観的な真実だと言うつもりも、いわゆる「非二元」に代わってすべてを説明できる体系を示せると言う気もありません (それに、これは体系ではないなどと偽る気もありません)。そんなことをするよりも、むしろ他のいろいろな感覚や考えが現れて花開くことのできる余地を残しておきたいと思っています。

== 訳は以上 ==

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