ヤン・ケルスショット『ホームには誰もいない』

 
非二元関係の翻訳書をひさびさに読んだ。最近あまり読んでいなかったのには理由がある。訳が気になるのだ。「これはうまいなあ」とか「ちょっとこれはどうだろう」という感じで、本の内容よりも訳の方につい目がいってしまう。

それで、原書ですでに読んでいる本だけでなく、まだ読んでいないものも手にとらないことが増えていた。でも、ヤン・ケルスショットの『ホームには誰もいない』には、刊行前から注目していた。

彼のことはトニー・パーソンズ一派というイメージで僕は見ていたから、トニーのメッセージが好きになりだしたころに、今回のNobody Homeと、The Myth of Self-Enquiry (真我探求という虚構) という本を読んでみたことはあった。でも、当時はトニーが言う「エネルギー的なシフト」を求めていたせいか、あまりピンとは来なかった。

でも最近になって、ダグラス・ハーディングの関連本を探すなかで、ヤンのThis Is Itという本のことを知り、それを読むと同時にこのNobody HomeとComing Homeという本を読みなおした。それで、これが今あるものをそのまま見るという、ハーディングやダイレクトパスと共通の表現であることにやっと気づいた。

それで、こういう「非待機モード」系の本が日本語でどう表現されるのか、という点に興味を持って、発売を心待ちにしていた。で、手元に届いて、すぐに最後まで読んだ。

やはり、面白い。日本語もまったく違和感なく読めたのはもちろん、ハーディングの実験について語っているところは、かなりクリアだ。「これをたしかに見ました。でもそれがなんだっていうの?」というよくある反応に対しても、マインドの性質や自己の本質についての説明にからめてうまく説明している。

最初の方に出てくる、人間が生まれてきて自己についての概念が形成されるまでのストーリー的説明は僕はあまり好きではない部分で、それが単なるストーリーであることは最後まで読めば自明ではあるとはいえ、一言書いてほしかった感じはする。それと、セクシャリティとタントラのところは他ではあまり語られないから面白いのかもしれないが、この本の中では唐突な感じはした。

あと、ホームという言葉の使い方は、場合によってはホームではない何かがあるという誤解につながりかねないのかなという印象もある (本書の実験を実際にやってみれば、そういう誤解は出てこないはずだが) 。

それでも、ハーディング自身の独特な文章を直接のみ込むのに苦労している人にとっては、これはありがたい別の入り口になりそうな気がするし、笑える箇所はほとんどないものの、前半で紹介されている鏡の実験などは実際にやってみると相当楽しい (ちょっと怖いけど)。

ちなみに、僕は彼の名前の読み方がわからずにそれが気になって、何箇所かに問い合わせた (サイト経由で本人に質問したが返答がなかった)。彼の作品を展示している美術館、本を出している出版社、それから彼が施術をしている施設にも 。で、全部答えが違った。ヤン・ケルショット、カーショット、クルスショット。それで途方にくれていたら、本人から別件で突然連絡があり、結局本人が発音している動画を送ってもらって解決した。と思って喜んでいたら、「ヤン・ケルスショット」という正解がすでに出版社のサイトに出ていた…。

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ヤン・ケルスショット『ホームには誰もいない』」への5件のフィードバック

  1. こんばんは。
    『ホームには誰もいない』は、Amazonで見かけてから ちょっと気になってました。
    なので、ヒロさんの記事を拝見して 俄然 読みたくなってきました (笑)
    近々 本屋に行ってみよ。
    ありがとうございます !

  2. ネムノキさん、こんにちは。

    ヤンの本はちょっと「遊び」が少ない感じがしたりしますが、ハーディングの実験風のイラストが載っているだけで僕は無条件にほしくなります。

    日本語にしづらいところも多いんじゃないかなと思っていたら、普通の日本語としてすんなり入ってくる本になっていたので、ちょっとびっくりしました。

  3. ハーディングの実験風のイラストが 載ってるんですね~ ! それは見てみたい…(^-^)
    たしかに翻訳者によって 本の読みやすさが全然変わりますよね。
    読んでいて日本語の言い回しが妙に引っ掛かって、
    「読みづらっ!」ってなると、もう読み進む気がなくなる事も…。
    良い訳書は、 ホントに ありがたいですね。

  4. はじめまして。 非ニ元に興味があり、ときどきこちらを読ませてもらってます。 
    「ホームには誰もいない」を読んでいるのですが、74、75ページ、80ページで書いている「スクリーン」の意味がよくわからないです。スクリーンを通して視るとか透明なスクリーンというのが判らないです。スクリーンって映画みたいに、光を受けて映像を見えるようにする白い幕のことだと思ってるので、透明なら、その機能を果たしてないと思うのですが。スクリーンってほかの意味があるのでしょうか? 
    翻訳者でもない方に、こんなこと尋ねるのもなんですが、ブログ主さんはこの部分を理解して読めましたでしょうか?

  5. ルルさん、はじめまして。こんにちは。

    たとえ話なので、読み流しても構わない気もします。「理解できたと思ったら、それは違う」というジョーイの言葉を思い出します。

    このスクリーンの部分はスクリーンというよりも、フレーム(額)とか枠というイメージでとらえたほうがわかりやすいのかもしれません。スクリーンが透明だというのはたしかに直観に反しますよね。

    ダグラスの実験について書かれた「単一の目」という解説がもしかしたら役にたつのではないでしょうか。
    http://www.headless.org/japanese/the-single-eye_%E5%8D%98%E4%B8%80%E3%81%AE%E7%9B%AE.htm

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