温泉リトリート!

 
この2年ほどは行っていないけれど、以前はいわゆるリトリートに繰り返し参加していた。何度か行ったトニー・パーソンズとルパート・スパイラのリトリートはいつもロケーションが良くて、食事もおいしく、ほかの参加者との交流も楽しかった。

で、こうも思った。「こういうのが日本でもあればなあ。一日中英語を使うのは疲れるし、食事もちょっと単調さが気になってきた。それから、こういう感じの余裕があるスケジュールの合間に温泉にでも入れたらまさに最高だろうな」

だから、2年前だったか、中野真作さんが海の近くでのリトリートの計画をほのめかしたときには食いついた。それ以降、ことあるごとに「いつ実現しそうですか?」と聞いていた。

もっとも、温泉と和食を楽しめるリトリートならすでにある。たとえば女神山ライフセンターや穂高養生園で行われているワークショップなら、温泉とすごくおいしい食事がもれなくついてくる。でも自分の関心と重なるプログラムとなると、これがなかなかない。

だから中野さんが開催してくれるのを待っていた。ところが、中野さんが昨年腰をひどく痛めてしまうという予想外の展開になった。それでリトリートは何年かは無理に違いないとあきらめていた。

でも思いがけないことに、今年6月に実施されるという知らせが!

【速報】癒しと目覚めのお話会 皆生温泉3daysリトリート 開催決定!

飛びつくように参加申し込みをしたのは当然 (定員もあるので)。ホームページの案内文「皆生温泉リトリート 2015/6/26~28」を読むと、こんなことが書いてあって、「ついにだなあ」と嬉しくなる。

目の前に広がる日本海の受容的なエネルギーを感じながら、人間として生きる苦しみを真摯にわかちあい、お互いのストーリーを敬意を持って認め合うことで、「自分=人間である」という根源的なストーリーから抜け出す道を見つけられるのではないでしょうか。

心に浮かんでくることがあれば、どんなことでもお話してみて下さい。あなたがそれを話したくなるということは、その場にいるすべての人がそのお話を必要としているからです。参加者の皆さん同士が深く関わっていく中で起こる癒しと変容のプロセスも大切にしていきます。

各セッションの中では、誘導瞑想やグレッググッド、ダグラスハーディングなど「それ」に直接気づいて行く簡単な意識の実験なども行います。やってみようと思っていることはいくつもありますが、はっきりと決まったメニューはなく、そのときどきの皆さんのエネルギーを感じながら進めていきます。

今回のリトリートでは身体を動かす簡単なエクササイズを行ったり、お天気の様子を見ながら、浜辺をウォーキングメディテーションする時間も作りたいと思います。また、アロマテラピストの妻のアシストを受けて、マッサージオイルを使ったハンドorフットマッサージなどもできれば、と構想中です。身体と心の繋がりを実感することが、大いなるものを意識する助けになります。

今回のリトリートは、当初から私の中にイメージとしてあった「海が見える会場でのお話会」にこだわった結果、先日ブログで書いた構想よりも参加費用が少し高くなってしまいましたが、この「海が見える会場でのお話会」に加えて、全室オーシャンビューの客室、全館畳敷きの心地よいホテル、豊富な山陰の海の幸、海からわき出す皆生温泉(塩味でちょっとピリピリした最高の温泉です)、そして、言葉と沈黙を通した癒しと自己探求は何ものにも代え難い貴重な体験になるでしょう。

なんとなく海の幸と温泉だけを楽しみにしているように聞こえるかもしれないから、ちょっと書いておきたい。

しばらく前に「講義モデルに飽きた」という記事でも触れたように、何かを達成したとされる教え手がその同じものを目指している学び手に何かを教えるという形には、非二元について言えば少し違和感を感じだしている。(自動車教習所ならいいけど)

そもそもエンドゴールが想定されているというのがわからないし (ダグラス・ハーディングの実験の会に出たあと、その感覚は強くなっている)、教え手にどうしても不必要な焦点が当たってしまうし、「持てる者 vs 持たざる者」という不自然な図式も気になる (そもそも所有なんて不可能なはず)。

これは最近感じるようになったことだけれど、その点について言えば中野さんのミーティングは違う気がする。もちろん中野さんという人、中野さんのストーリーに対する一定のフォーカスはある。でも、主役はそっちじゃなく、何かを目指すプロセスでもなく、その場そのものという感覚が強い。もっと言えば、想定されている正解もないという感覚。

そのオープンさは、もしかしたら人によっては物足りないかもしれない。グル的人格とかわかりやすい指針を求めているのであれば特に。でも、「君はまだまだだね。私の境地まではまだ遠いな。でも私の教えに従っていればもしかしたら…」というような分離感が気になりだすと、「目指す式」よりも「場」のほうが真実のような気がしてくる (真実なんてないというのは置いておくとして)。

そう考えると、この分野ではかなり稀なスペースになっているように思う。(もちろん僕の限られた経験から言っていることだけど)

あと、それに加えて、腰痛という「トラブル」の後で中野さんの語ることにも関心がある。最近じつは、ジャン・クラインの弟子のBilly Doyleという人の本を読んだり、自分の凝りや痛みについて考える中で、身体への興味が出てきた。というよりも、頭偏重、言語偏重だったことにいまさらながら気づいた。

もともと中野さんの新大阪でのお話会に初めて出たとき、しょっぱなから身体の話になって面食らった記憶がある。非二元と身体??身体って幻想なんじゃないの??という感じで反応した。それ以降はあまり意識はしていなかったものの、ここにきてそうやって興味が出てきて、そんなことも思い出した。だから、そういう話もゆっくり聞いてみたい。

といろいろ書くと先入観を増やしてしまうかもしれないから、これくらいでやめておこう。とにかく楽しみだということが言いたかっただけ (笑)

広告

温泉リトリート!」への2件のフィードバック

  1. 私は止むを得ず身体への関心が先行したタイプなのですが、その必要のない方もいらっしゃるんですよね。
    頭ではわかっていても、こうした個体差にいつも衝撃を受けます(苦笑)。

    個人的には身体が調うにつれて身心共に無駄な力が抜け、頭の中の不要な枠が勝手に外れて行くのを経験して来ているので、「身体と心の繋がりを実感することが、大いなるものを意識する助けになる」というのはとても納得出来ます。

    それにしても、温泉、しかも皆生温泉とは!なんとも羨ましい。
    今から感想を楽しみにしています!

  2. inglewolfさん、こんにちは。

    身体をまったく無視していたということ自体がかなり奇妙だというのは本当に最近感じるようになりました。ジョーイが身体の感覚のことをあれほど書いていたのに、それもたぶん観念的に読んでいたんだと思います。認知フィルターの見事さには感心してしまいます。

    温泉リトリートはずっと夢みていたので、中野さんには感謝、感謝です。

コメントは受け付けていません。