言葉を超えたもの? レオ・ハートン

 
レオ・ハートンについては、インタビューを以前訳したことがある (これ) 。ウェブマガジンのamigoによるインタビューがもうひとつあって、その中で面白かった部分を訳して紹介したい。

原文: Amigo talks with Leo Hartong

== 以下、訳 ==

Q. それは言葉を超えたものなのでしょうか?

A. そういう言い方をすると、なにか難解なことについて話しているように聞こえます。バラの美しさを測定することはできませんし、定規はもちろん使い物になりません。測定しようとしてやってみたとしたら、バラの美しさを測定するのはかなり大変だと思うかもしれません。でも実際のところは、定規を使って測定するのは大変ではなくて不可能です。道具を間違えています。それと同じで、マインドは〈それ〉をつかむことができません。マインドは〈それ〉の中に現れているわけですから。

水の中に魚がいるのと同じように、マインドは〈意識〉の中に現れます。マインドは気づいているのは自分だと思っていますが、それはあべこべです。マインドが気づかれているんです。何かがマインドに気づいています。マインドは、自分が行動を起こしている、自分がコントロールしていると信じながら、そういうふりをしているだけです。

***

Q. 「ダイレクトパス」はどんな手法も示さないという点でダイレクトです。「プログレッシブパス」はいろいろな手法、エクササイズ、修行のやりかたをすすめるという意味で間接的で、ダイレクトパスの逆です。もし誰かがあなたのところにやってきて指導を求めたとしたらどうしますか?

A. どの手法も幻想です。面白いかもしれませんし、別に悪くはありません。でも、誰がどこに向かうと言うんでしょうか? 自分はどこかに向かっている誰かなんだと思い込んでいるあいだは、ほかから独立した個人の存在を肯定しつづけることになります。〈それ〉にたどりつこうとして一歩進むたびに、分離は事実だと確認し、何かを達成しなくてはいけないと自分に言い聞かせることになります。この仕組みが見抜かれるとき、何かをする誰かはいません。自分自身へ導いてくれる道はありませんし、自分自身に近づく方法はありません。霊性のレベルを高めるプロセスを通して功徳を積むことによって最終的に霊性の頂点である「悟り」に至れるような「私」はいません。

Q. でもそういうふうに考えている人は多いですよね。

A. それはまったく問題はありません。そういうのはそれ自体として美しいゲームですし、今ここにあるものを見るかわりにそういうのを好む人たちはたくさんいます。マインドにとっては「今あるものを見る」というのはそれほど面白くはありませんから。空間や静寂のようなものです。どうしたら空間や静寂を言い表せるでしょうか? マインドは言葉や音や画像や感情や説明を処理するのに向いているはずですが、どうやったら空間を言い表せるでしょうか? 静寂を言い表す方法があるでしょうか? マインドは言います。「退屈だ、そんなことをするより面白そうな道を選ぶよ。瞑想をして歓喜の状態に到達して、素敵な経験をするんだ」。もちろん素晴らしい経験はできるでしょうけれども、それはこのこととは関係ありません。どんな経験が現れていても、それがつま先をぶつける経験であっても素晴らしい瞑想体験であっても、そのことに気づいている完全に静かな何かがあります。その静寂は、知覚されていること、経験されていることが何であれ、つねにその一歩手前にあります。このことをただ認めて、「面白い経験ではあったけど、こういう探求のすべては無益だった」と言うこと。それは誰にでもできるようなことではありません。「何かを達成した私」としてあり続けたいと思っているうちは、それを認められる状態にはないわけです。

== 訳は以上 ==

彼の別のQ&Aも読み返してみた (これ) 。ジョーイ・ロットのメッセージに出会ってから読んでみると、最初のときよりもまっすぐ伝わってくる気がした。

レオのUrban Guru Cafeのインタビューからの抜粋はつぎの記事で (たぶん)。

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言葉を超えたもの? レオ・ハートン」への4件のフィードバック

  1. ヒロさん、こんにちは。

    本当にマインドは、退屈したがり屋ですよね。

    自分が「探求」と称して集めてきた体験、経験から築き上げた「私」のストーリーに、知らず知らずの内に溺れてしまって、もう自分自身が完全に疲れきってしまったとき、「私」が滑り落ちて、いつの時もそこに在るままの「それ」に気づくことが起きるのかもしれませんね。

  2. 過去何回かここにコメントしている、ブログ自愛メモをやっている者です。
    過剰に恐れていて防衛的なので隠していましたが、何だかわかりませんが、自分のために明かす気になりました。
    この記事に私が反応したところは、
    「マインドが気づかれているんです」
    「何かを達成した私」としてあり続けたいと思っているうちは、それを認められる状態にはないわけです。」
    です。
    ありがとうございます。
    現在の私は、このブログと阿部敏郎さんのブログを毎日更新されたか見ています。
    出来るだけ柔軟に、偏見なく読もうと思っているのですが、残念ながら自分の条件付けに気付かず反応しまってすみません。
    伝えたかったことはいろいろあるのなのですが、一点に絞るならばいつも読んでいます、ありがとうございますってことです。
    ただのファンレターですね。
    私はゴツゴツと気に入らない誰にぶつかる青い若造(精神だけは)ですけど……まあいいか。
    これはファンレターです。
    とにかくありがとう。

  3. 自分が書いたコメントを読み返して、なんかイタいなあと思いました。
    謙虚な良い人だと演出しようとしている厭らしさを感じました。
    でもこれも自分なんですね。
    つらいけど認めます。

  4. やまさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

    ブログを拝見しています。さらけだすありかたが僕にとってはありがたい刺激になっています。

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