教える側の透明性と過去

 
10日ほど前にAmazon.comで非二元関連本のレビューを眺めていて、Fred Davis (フレッド・デイビス) という著者の本に厳しい批判が寄せられていることに気がついた。そのレビューによると、フレッドは複数の子どもに対する性的いたずら (molestation) の容疑で逮捕されて有罪になり性犯罪者のリストに登録されているものの、それを明らかにしてこなかったという。(その批判的レビューはすでに削除されている模様)

本当なのかなと思ってフレッドのウェブサイトを見てみると、本人による説明と謝罪の言葉が綴られていた。(Glass Houses)

対象となった犯罪の詳細は明らかになっていないようだが、彼自身の説明、それから調べた人がAmazonに書いているレビューによると、45年前、フレッドが17歳のときに複数の姪に性的いたずらをして、その件で2004年に逮捕されて有罪になって服役したらしい。

その行為そのもの、それからそれをクライアント等に対して明らかにしてこなかったことに対して、激しい批判が起こっているようだった。

いわゆるグルによる性的スキャンダルはよくある話だ。ただし、被害者が子どもだという点がこれは根本的に違う。でも、それほど著名な教師でもなく、個人的に気に入っていたわけでもなく、本人はすでに厳しい社会的な罰を受けているしとも感じて、僕はそのまま忘れかけた。

けれども、ジェリー・カッツのインタビューサイト Nonduality Talkに数日前に掲載された記事を見て、この件が大きな議論を呼んでいることを知った。

#5263 – Portrait of a Nonduality Teacher: Ethics, transparency, forgiveness, and other themes arising from recent events

そもそも、フレッドが高い成功率を謳いながら1回300ドルの目覚めセッション (Awakening Session) を提供しだしたのが、彼に対する批判のはじまりだったという。そのあと、この性犯罪歴をだれかが見つけたということだ。

この展開を受けてジェリー・カッツが提示した問いは、「フレッドに対するインタビューをNonduality Talkのサイトから削除すべきだろうか?」というもので、それに対して各方面から意見が噴出し、その問いを超えて議論が拡大したようだ。

上記のページはそのまとめで、全部を引用することはできないが、主な意見、それから名前を知っている人たちの見解を訳して紹介したい。長いものが多く、それぞれのコメントはかなり略している。議論の流れによって複数回出てくる人もいる。

== 以下、訳 ==

ゲイリー・フォーク (クライアント)
多くのクライアントを目覚めさせたというフレッドの言葉に魅力を感じてSkypeセッション (5回のセッションで計750ドルの「目覚めパッケージ」)を受け始めた。最初の導入セッションで、フレッドはアルコール依存でホームレスだったこともある過去を率直に語っていた。彼は犯罪で服役していたとも言っていたが、その内容は言っていなかった。そのあとは目覚めセッション (Awakening Session) だった。そこで言われたことはすでに知っていたことが多かったものの、なぜか以前ほかで受けた同様なセッションとは違って効果があるように感じた。そしてそのとき、自分の本質を「見た」。それから明晰セッション (Clarity Session) が3回続いた。以前の自分は、悟りを金で買うという考えに否定的だったし、バカにもしていた。でもフレッドのセッションはなぜか受ける気になったのだった。そのあと、フレッドの高額「覚醒」パッケージを問題視する人たちによる批判がFacebookで始まり、その過程で彼の犯罪歴が明らかになった。彼の目覚めビジネスが今後どうなるかはわからない。今は私はジェフリー・マーティンのFinders course 3を楽しんでいる。

ジェン・ピア・リッチ
どれだけ歪んでいて正道を踏み外した行為だとしても、それを心の中で徹底的にたたきのめすことは私にはできない。なぜなら、そんなことをすれば痛みはそのままになるし、非難することで分離が維持されてしまうから。見抜く力? イエス。裁き? ノー。

ウェイン・ファーガソン
犯罪を過小評価することはできないが、その犯罪のあと起こったこともすべて考慮すべき。でもそれと同時に、人間の心が悪賢いことも忘れないようにしないといけない。というのも、これが明るみに出ないようにフレッドが工作していたという可能性もあるのだから。

ミーガン・キング・シルヴァ
許しは? 誰かが過去を乗り越えるのを認めてはどうだろう? 彼の立場に自分がもしいたとしたら、そういう機会が与えられたら感謝するはず。フレッドに対する嫌悪と被害者に対する思いやりは同じことではない。それに許しと思いやりは有限な資源じゃない。

ポール・マクギリヴレイ
10代のときの行為が教えの質やクライアントの目覚めに影響するかどうかはわからない。今回のことには誰もが学ぶべき教訓がある。もしかしたら、フレッドの過去についてもっと知ることが、目覚めと贖罪の愛の本当の力を見ることにつながるのかもしれない。

スコット・ミラー
〈真理〉を伝える人の不完全さのために〈真理〉の真実性が損なわれると考えている人がいるとしたら、その人は〈真理〉を十分には理解していない。

コリン・ドレイク
今回の件で思い出したのは、親の代からのグルの不道徳な行いについて不満を言う人とシュリ・ラーマクリシュナの対話だ。ラーマクリシュナは、「霊的生活の質と理解を深める上でそのグルの教えは役立ったかね」とたずねた。「はい」という答えに対して、ラーマクリシュナは「それなら、そのグルの教えに従うのに何も問題はない」と答えた。目標に到達するのに役立つものはどんなものでも役に立つというのが彼の言いたかったことだ。教え手が完璧でないからといって教えを信用しないのであれば、教えはひとつも見つからない。

ジョジー・ケイン
フレッドのインタビューはすでに起こったこと。歴史を書き換えて、そのインタビューを削除して、誤りをおかした別の人のものと変えてどうする? すべての人は過去の誤りをほかのすべての人たちに対して明らかにすべきだとか、過去の行為は現在の価値を損なうなどと信じている人たちもいる。でもここで大切なのは、人々の発した非二元に関連した言葉を分かち合うことのはず。

グロリア・リー
ほとんどのセックススキャンダルには弟子と寝る聖人たちが絡んでいる。でも、意志に反したかたちでその状態に置かれている女性たちはほとんどいない。子どもの場合はわけがちがう。ただ、今回の件にはもうひとり子どもがいるのを忘れてはいけない。そう、フレッドだ。フレッドは裁判所が罰したよりもはるかに厳しく自分を罰しているように見える。今回もっとも顕著なのは、フレッドがこの件について以前グレッグとルパートにすでに伝えていたという点だ。つまり隠してもいないし、否定もしていない。それに被害者に直接会って謝罪もしている。だから十分以上のことをしていると私は思う。ただ、セッションの代金についての話はまったく別。

エリック・グロス
聖人はいない。誰にでも影はある。自分の内部の悪魔のために「他者」を悪魔にするというのは偽善だ。もっともひどい「罪」がもっとも偉大な思いやりを生むこともある。

リン・フレイザー
人に教える人たちには権威があり、信頼を受ける立場にあるから、情報公開については通常よりも高い基準が求められる。今回もっとも嫌なのは、そうせざるを得なくなるまでフレッドが言わなかったということだ。たしかにずいぶん前に起こったことではあるが、彼の姪たちが受けたトラウマが、時間とともにあるいはフレッドの謝罪によって魔法のように消えたりすることはない。フレッドがこの件を隠していたのは先生としてのキャリアに影響するからだろう。これが明らかになったのは良かったと思う。

ミシェル・アッシュボー
私は同じような乱暴を3人から受けたことがある。そのうちひとつは4歳のときで、何度も。私は彼らを許している。彼らも被害者なのだ。もちろんその行動は見逃せるものではない。でも許すことはできる。こうしたことで他人を「傷つけた」人たちの大半は、自分もこうしたかたちで傷つけられている。それは考慮してもいいことかもしれない。

ジュディス・ニコラス
あらゆる分野に規制があるが、この分野には何もない。スピリチュアル・ビジネスにおける倫理規定についてはこれから話し合ってもいいように思う。お金も支払われているのだから。

(訳注: 上の意見に続いて倫理規定の議論が続くが、すべて割愛)

エリック・グロス
たぶん誰もがわかっておくべきことは、悟った人間という概念、すごく特別で素晴らしい悟った人という概念は、単に私たちの心理的な困窮の反映だということ。単なるショー。どんな人もただ人なだけで、小さな秘密、大きな秘密を抱えながら、恐れとエゴによってたいていは下手に動かされている。

ジェイムス・トラバース
本当の明晰さがもしあれば、フレッドがこの件をずっと隠し続けてそれによって苦しみ続けるという事態は起こらなかったと思う。問題は明晰さだ。

ロイ・ウェナリー
製品やサービスがグルが必要だと感じる人は、売り手やグルの掌中にある。売り手が信頼できるかどうかは自分で確かめなければいけない。フレッドは過去の件については適切なことをすでにしているように見える。だが、ネットで「悟り」を買うことができるだろうか? 系統だてられたプランや体系的な手法にしたがうことで? 2時間のSkypeセッションでほかの人たちを目覚めさせることができなかったブッダもキリストもラマナもニサルガダッタもジャン・クラインもパパジも全員間違っていたというのだろうか?

ヴィッキー・ウッドヤード
大口を叩きながらたっぷりと宣伝したからといって、先生になれるわけではない。私に言わせればちょっとした社会病質者だ。この道を歩む人がまず多少は意識すべきなのは、相手からどんなエネルギーを感じるかということだ。それを忘れていれば、魅力的な詐欺師に騙されてしまう可能性は大いにある。

グレッグ・グッド
教え手の人格、性格、気質は、つねにその人の教えの一部だ (それが私にも当てはまることは自覚している) 。フレッドが教える人として行動するのであれば、教えを受ける人に対して過去を明らかにすることが必要だ。フレッドの非二元の教えを支持できないもうひとつの理由は、彼の教えには「フレッド」や「フレッド性」があまりに多すぎるというところにある。そういうかたちでメッセージを曇らせている教えや教え手を私は推奨しない。

(訳注: スコット・キロビーによる過去の告白とそれに続くコメントは省略)

(訳注: チョギャム・トゥルンパの品行とその評価についての議論は省略)

アナミカ・ボースト
私はほかの人たちと一緒に4人で同じクラスの2人の女の子をいじめたことがある。それから30年後にその一人に謝罪した。12歳のときには、男の子の赤ちゃんのおむつを変えながら、好奇心からその子のおちんちんに一瞬だけ触れてみたことがあるが、私は性犯罪者なのだろうか。自分を圧倒したその好奇心のために私は罰せられるべきなのだろうか。人に親切であろう。誰もがその人なりに闘っているのだから。

ジュリアン・ノイス
フレッドの本の出版準備をしているとき、犯罪歴について彼から伝えられた。それがかなり古い話であること、すでに彼が代償を払っていることを考え、またAAについてその本が優れた情報源であるのは明らかだと思い、出版は進めた。でも彼が教える人になろうとしているとは当時は知らなかった。この件について今もっとも嫌なのは、この犯罪の詳しい内容とそれがどのくらい続いたのかをいまだに知らされていないという点だ。出版の前に詳しい記録を請求すべきだったと今は考えているし、今後はそうする。そのあとフレッドは安い電子書籍を何冊も自分で出したが、私たちの出版社から出した本が事実上彼の宣伝活動に使われていることを不快に思い、すでに絶版にしていた。絶版以降、彼の教え手としての活動には注意を払ってこなかったが、彼が過去を明らかにしていないということが彼の教え手としての立場にどう影響するかを見なかったことを反省している。

スコット・キロビー
先生に対する投影というのは大きな問題だ。どんな生活を送っているのかを教え手が明かすことなく非二元の本を書くというのは、今では本当に簡単なことだ。でもシフトはすでに進みつつある。グルの時代の終わりについてグレッグが書いたが、そのときにはじまった動きだ。

ジョージナ・Y・ジョンソン
分離した自己に対する中毒が続いているということを今回私たちが学んでいるのは素晴らしいことだ。その中毒は拒否する態度から生まれたものだと思う。どこかに置き去りにしてきたものの、何かの目的のために短いあいだとは言っても今ここにある分離した自己を拒否してしまう態度から。そういう拒否の態度は無数の投影を生む。自己愛的で、仰々しく、排他的で、独占的で、あきれるほど嫉妬深く、絶望的に孤独な投影を。

== 訳は以上 ==

すべての情報を公開しろというのが実際には無理な要求である以上、先生を選ぶときには自分の感性を信じるしかない。でも、「覚醒」というキャンディを追いかけて欲に目が眩んでいる状態になっている探求者にとっては、そこは難しい点でありつづけるような気はする。

「過去はない」「自分はいない」と言い続けてきた人が自分の過去にこういうかたちで出会わされたというのは痛烈な皮肉というほかないし、問題発覚以降のフレッドのかなり言い訳めいた対応を見ていると、スピリチュアル・バイパシングというのはまったく簡単な問題ではないということを痛感する。

今回の件を、海の向こうの一個人の特殊な事例として片づけられるのか、それとも上で誰かが言っているように誰もがひとつの教訓として自分の問題として受け取らなければいけないのか、それはわからない。でも、これを他人事として片付けたいという気持ちが自分にあることにも気づいている。つまり、片付いていないもろもろをどこかで確実に意識している。だからやはり自分の問題としてとらえるしかないのかもしれない。

それから、AAの12ステップのひとつとして、過去の罪を償うというステップがあることを今回初めて知った。AAはアルコールに関連するものだが、ほかから分離した自分というストーリーに対する中毒という広い意味で言えば、それをちゃんと見るためのひとつのステップとして償いが重要ということなんだろうと感じた。

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教える側の透明性と過去」への9件のフィードバック

  1. ヒロさんこんにちは。
    フレッドという人の件、色々と考えさせられますね。覚醒してようがいまいが、個人の人生で全く間違いを犯したことのない人間は存在しないとしても、このフレッドという人が、自ら悟ったということを明らかにして、有料の目覚めセッションとやらに熱を入れていたというのは、やっぱりエゴに囚われていたという気がします…例えグレッグやルパートら極一部には伝えていたとしても、自分の中に過去に犯した重大な犯罪から来る罪悪感を払拭したい、教師として名声を得て、エゴを満足させたいという欲望があったんじゃないかと思いました。
    非二元的に見れば、個人が世の中で行う事と、気づきの認識は何も関わりなく、気づきは気づきとして在る、というのが基本としても、これだけ沢山の教師がいると、ちゃんとした教え手を探すのも難しいなぁって感じですね…見る目と、自分の中の非二元センサーを磨かないと…(笑)
    長文失礼しました。

  2. ネムノキさん、こんにちは。

    ジョーン・トリフソンがいつも言うように、生まれと環境の無数の要因から行動が決まるのであって、同じ場所にいればその人と同じことをしているはず、ということが本当なのだろうと思います。

    子どもの虐待のニュースを最近良く目にしますが、それも同じように自分がその親の立場にいれば同じことをしていたのかもしれない、と思うと、非常に重いことではありますが、一方的に断罪して済ませる気にもなりません。

    フレッドがどうこう、あの親はどうこう、というかたちでつい考えてしまいがちですが、究極的にはそれを見ている自分が今それを見ているということこそが、考えるべきことなのかもしれません。実際は考えるべきことなど何もないのでしょうが、そこをジャンプしてしまう (概念としての非二元を踏み台として使いながら) のはどうなのということが今回問われている気がします。

    ちなみに、フレッドのブログのコメント欄を見ると、この件についてはクライアントからの激励の言葉がかなり多いです (非難は削除している可能性もありますが)。クライアントの数の多さにはちょっと驚きました。

  3. ヒロさん、お返事ありがとうございます。
    同じ環境、要因、その場所に居たら、全く同じ行動を取っていたはず、というのは、私も同意です。…多分、もし非二元論に出会わなかったら、こういう風には考えなかったんだろうなぁとも思いますが、その「もし」っていうのもありえないんですよね;
    子どもの虐待事件は、私も胸が痛みます。
    以前、仕事で児童養護施設に行っていた事があるので、初めて実際に傷ついた子ども達を見て、その時かなりショックを受けました。
    この「罪」っていう問題は難しいですね…私は普段の生活で、頭が痛くなる問題がある時、非二元について頭を巡らせると、あぁ、このままで良いんだって、少し気持ちが楽になります。クリアになっていく感じで…そういう意味でも、非二元の教えには感謝です。
    ヒロさんのブログを読んでると、心がなごみます。
    それと、フレッドとかいう人のファンだったら、やっぱり弁護、激励したくなるんでしょうね。
    もし私がその立場でも…

  4. 受け手によって、どんな犯罪が許せないと感じるかは違いますね。

    わたしだったら性的犯罪、しかもこどもに対して性的虐待をした人にはものすごくアレルギー反応が起きます。

    だから知っていたら、そういう人の教えを学びたいとは思わないでしょう。

    そういう意味では、その情報を隠してちゃだめじゃない、とついおもってしまいます。

    でも、性犯罪、特にこどもに対しての行為、という点で世間的に嫌悪感をもたれがちな事項だったからこそ、隠さざるを得なかったということなんでしょう。

    いえばバッシング的なことが起こると予想したから隠した。逆にアルコール依存やホームレスの過去はいっても構わないと判断したから公表していた。

    例えばこの人が日本で活動する芸能人だったとして、元アルコール依存のスピリチュアルカウンセラー、とか元ホームレスのお坊さん、とかだったら世間的にもOKで活動できるけど、性犯罪で服役したこともある、と公表したらたちまちバッシングされて活動は事実上難しくなりますよね。(推測ですが)

    もちろん、一部のファンはそんなこと関係なくついていくことは間違いないとおもいますけど。

  5. 「非二元」と言いながら、みなさん普通(?)の善悪の判断しているところが面白く感じました。その矛盾こそがこの「世界」の醍醐味なんでしょうね。

  6. ほんと、あれ、非二元って。と思いました(笑)でも、私もいろんな拒否反応があります。
    以前、子どもの性的人身売買や臓器移植の売買をテーマにした「闇の子供たち」という映画を誘われて見てしまったあと、あまりの壮絶さにどうしようもなかったです。誘った友人は女性で、自分にもこの嗜好があるか確かめたかった、という勇気ある動機でした。そして私もその友人も、どこかに体のどこかに反応する部分があって、なぜこんなことになるんだろうと考えました。いろいろ調べて、Oshoの講話集に答えを見つけました。「なぜ幼児性愛者がいるのですか」という問いに対してでした。Oshoは旧約聖書のソドム、ゴモラの町の話に言及して、その経験が今に残っている人もいる、と語っていたと思います。
    ACIMでは、まず自分の中にそれを認めたくなくて、外に投影する、というのがいつも言われていることです。
    ですから、本当はそれも自分なんでしょうね…

  7. 流れで見る生命エネルギーがあまりにも自由過ぎておっかないんでしょうなあ。

  8. この話、非二元じゃなくて非二元ビジネスの話だな、と思いました。

    過去の性犯罪を公表しなかったのは、被害者が近親のため情報公開すると特定され易いから、という可能性もありますね。
    世間に自分の名を出す際に彼がそれについてどこまで意識していたかは疑問ですが。。。

    現在の目覚めビジネスのやり方を見ても、彼が過去に過ちを犯すことになった過度の依存体質を完全に克服出来ている様には私には見えませんでした。

    『目覚め』とか『悟り』が免罪符になることなどあり得ないし、現実のあらゆる事象より価値あるものであることも無いと思います。
    現実には現実で対処するしか無いし、それ以外にすべきことがあるのかなと。

    それにしても。
    彼の動画を見ましたが、ひっきりなしに両眼を裏返さんばかりに上を向ける話し方に一番驚きました(苦笑)。何か病の症状なんでしょうか?
    あれではSkype セッション受けても、私は集中出来る自信は全くありません(苦笑)。

  9. inglewolfさん、コメントありがとうございます。

    「現実には現実で」というのは本当にそうだと思います。概念としての非二元を現実のどんな側面でもふりまわそうとするのは、テレビドラマの登場人物が「でも、これって結局テレビ番組だよね。そこまで真剣に犯人探しする必要あるのかな? 面倒だからやめない?」と言い出すのと似ている気もします。

    オランダ人の某グルが弟子の女性と寝まくっているのを公の場で咎められて、うろたえながら「すべては愛の表現、大いなるものの多様な表現であり、それが誤っているということはありえない」とか言っているのを以前見ましたが、逆にそういう先生にひっかかる方もひっかかる方だなとも思いました。

    目をぐりんとするフレッドの話し方は、セッションの金額やパッケージのしかたと共に、今回のフレッド批判がはじめるきっかけになったそうです。その意味ではこの件には特殊性もあるのかもしれません。(ただ、普遍性の方にも目を向けたいです)

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