苦しんでいる人はどこ? ジョーイ・ロット

 
またまたジョーイ・ロット。彼はブログやFacebookでいろいろな質問に答えている。最近のやりとりの中からジョーイがピックアップしてブログに掲載したものをひとつ訳してみた。

文脈がいまいちよくわからないが、パワフルでクリアなメッセージ。

原文: About The One Who Suffers

== 以下、訳 ==

自分はいつもひどい混乱に巻き込まれてしまって悲しい結末を迎えることになることが多い、という考えについて言うと、それが本当かどうかを調べてみる価値はある。というのも、ちゃんと調べてみれば、そんな考えは単純に成り立ちようがないってことがはっきりするからだ。たしかに、つまらないことは起こる。不快に感じることだって中にはある。でも、起こることの中には受け入れられないものもあるとか、そういう目にあっている人が存在しているとか、受け入れられないことが起こらないようにその人は努力をしなきゃいけない (努力できる) とか、受け入れられないと感じることが相変わらず起こり続けているのはその人がだめなせいだというような空想があるとしたら、それこそがまさに苦しみだ。

僕が言っているのは、見かけの上で起こるように見えていることはすべて見かけの上で起こるだけで、それが何かを参照していることはないし、かつて参照したこともないし、参照しようもないってことだ。自己と呼ばれるような中心的な参照点も存在していない。悟りが虚構なのは、それが、存在していない架空の自己が見かけ上のできごとから逃れられるとか、見かけ上のできごとをコントロールできるといった嘘だからだ。「目覚め」とは実際には何かといえば、そういう虚構が間違った概念を前提にしている以上、そんな虚構が実現する可能性はゼロだってことをただ認めることだ。

誤解のないように言っておくと、「目覚める」人はどこにもいない。逃れられる人は存在しない。何かをコントロールできるようになる人もいない。つまり、変わらなきゃいけないものは何もない。達成したり、手に入れたりしなきゃいけないものもない。さらには、認識すべきことも何もない。というのは認識があってもなくても、見かけの上で何が起こっていてもそれは見かけの上で起こっているだけというのが実際の現実で、それは誰に起こっているわけでもないからだ。これははじめからそうなっている。

僕らはいつも見逃してしまっているけれど、探求するのを本当にやめようというアドバイスがある。もちろんそれは、自分で探求をやめることができるっていう意味じゃない。でもそういうアドバイスがひとつの手がかりになって、今すでに真実であることが明らかになったりもする。真実というのは、探求は起こっていないし、探求している人はいないし、何も起こっていないし、いられる場所も向かう場所も逃れるべき場所もないってこと。探そうという衝動、逃げたいという衝動、もしくはどんな衝動であっても、それにただ気づく。そして緊張をとく。やわらげる。衝動が実際に何かを自分にさせたがっているなどと考えてはいけない。というのも、実際のところ何もさせようとはしていないからだ。そんなことはできない。何かをさせようにも、そこには誰もいない。この衝動はここにいるこの人を参照しているはずだと思い込んでいるとしたって、そんな人はどこにも見つからない。そんなのは思い込みでしかありえないのだ。やわらげると、はじめからそうだったことがただ明らかになるかもしれない。

これによって変容がもたらされるとか、そんなことを言ってるわけじゃない。もしかしたら、はじめからそうなっているってことがわかるかもしれないと言ってるだけだ。つまり、どんな変化も起こる必要はない。というよりも、変化は不可能だ。今あるとおりのこれがある、それだけだ。

== 訳は以上 ==

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苦しんでいる人はどこ? ジョーイ・ロット」への9件のフィードバック

  1. はじめまして。
    私は、動物愛護活動をしています。
    同時に、悟・目覚めということにも関心があり、本を読んだり、ちょっと前までは瞑想などもしていました。
    私は存在しない、苦しんでいるものはいない、変えなければならないことなどないということをよく本などで目にしますが、いつも思うのです。

    苦しんでいる動物たちもまた、自分というスクリーンを通して映し出しているもの。
    「そのような現実などない」し、「変えようと努力するものはない」のであれば、このような活動は無意味なのか…?と、ふと思ってしまいます。

    けれども、苦しんでいる動物たちは実際いるわけで、まだまだ「在る」ということを理解していないので、やはり活動をして、少しでも多くの動物たちを救おうと行動します。
    今の私には、それが現実だからです。

    本を読み、そのときは納得し、安心したりもするのですが、やはりいざ現実と対面してしまうと、どうしても「変えようと努力するものはない」とは思えません。

    このような矛盾を、どう受け止めておられるのでしょう?

  2. ゆったんさん、はじめまして、こんにちは。

    お書きになったことを読んでまず思い出したのが、ジョーイ・ロットが社会的な活動についての質問に答えた内容です。もしまだでしたら読んでみてください。こちら

    あと、ラメッシ・バルセカールもそうした問いに対して何度か答えていると思うので、もしまだでしたら著作は参考になるかもしれません。

    どちらもすでに読んでいるということでしたら、僕にはあまり言えることはありません。が、矛盾をそこに感じているとしたら、その矛盾を解かなくちゃいけないと感じているのは誰か、どの部分か、ということに目を向けてみるというのはよく言われる方法です。実際にそれが問題だと感じている部分 (たとえば腹のどこかや目の後ろ) の感覚を感じると、ジョーイが言うようにやわらぐことがあります。緊張が解けます。そうすると、J・ジェニファー・マシューズの本にあるように (と宣伝しておきますが) 、「窓の外でカーカーと鳴いているカラスの群れ、あれはずっとあそこにいたんだっけ?」という新鮮な驚きがやってきたりもします。

    と、偉そうに書いてしまいましたが、僕の場合、非二元の表現と金儲け (あるいはグルごっこ) を両立させようとしている人たちに対して「そこ、矛盾してるじゃないか!」と思わずイラっときたりすることはよくあります。そういうときはだいたい呼吸が止まっていたり浅くなっていたりしますが、それに気づくと、やっぱり緩みます。

    それと、グレッグ・グッドの『気づきの視点に〜』では、矛盾というものの性質についてQ&Aのなかで触れられていますが (「どう話すべきか」の項) 、僕にとってはそれもかなり参考になりました。

    ちなみにですが、『わかっちゃった人たち』の (本の宣伝が多いですね!) 最後に出てくる看護師のKさんは、熱心に動物愛護活動をしています。動物実験に対してはかなりストレートに憤りを表現しています。それを見ると、行動は行動であって、意味づけは意味づけでしかないのかなとも感じます。

    少しでも参考になればいいのですが。

  3. ヒロさん、お返事をありがとうございます。
    ジョーイ・ロットの社会的な活動についての質問に答えを読んでみました。
    行動は行動であって、わたしとは関係がない…ということなのかしら…。
    ああ、なんだか読めば読むほどにカオスになりそうです(笑)。

    緊張を解く、そんな方法があったんですね。
    やってみます。
    カラスの存在について、緊張が解けて新鮮に感じるということは、それが
    そこにあるということさえ神秘なのでしょうね。
    それが、気づきというものなのでしょうか。

    つまり、動物愛護活動をしているわたしを、「わたし」が観ているだけ…
    そこには行動があるだけで、意味はない。
    う~ん(笑)。

    そういえば、ラメッシは、「心に考えさせるのではなく、何かをしなさい。
    機能する心に何かをさせなさい」と言っていましたっけ。

    『わかっちゃった人たち』は前から気になっていました。
    熱心な動物愛護家のお話もあるようですので、読んでみようと思います。

    せっかくお返事いただいたのに、あまりピンときてなくて申し訳ないです;。
    けれど、この理解しよう、矛盾をなくそうとしている誰か…そんな誰かなど
    存在しない、思考でしかないと思うと、したいように行動していこうという気に
    なります。

    本を読む楽しみが増えました。
    ありがとうございます!

  4. ゆったんさん、昨日の自分のコメントをいま読んでみたら、偉そうなので恥ずかしくなってしまいました。

    僕がたぶん言いたかったのは、動物の苦しみを感じて、そのために実際に行動しているなんて素晴らしいなあ、ということです。そして、悟りとか非二元とか、そういうことは本当に余計なんだなあということです。

    それと、看護師のKさんは、『わかっちゃった人たち』では動物に関する活動のことは何も語っていません。言葉が足りず、すみません。そういう活動を熱心にしているということを知ったのは、本ではない別の場所です。

  5. 偉そうだなんて感じませんでしたよ。
    ただただ一生懸命に伝えようとしてくださっているんだなあと、有り難かったです。
    動物愛護活動を、素晴らしいと言ってくださったこと、とても嬉しいです。
    ありがとうございます。

    「わかっちゃった人たち」、実は今日本屋さんでぱらっとめくってみました。
    愛護活動のことは語っていなかったけれど、Kさんという人の語りがとても面白く、
    何よりも「普通の人たち」の言葉が直に聞けて、よかったです。
    ご購入です(笑)。

    自分の心の感じるままに、活動を続けていこうと思います。
    今のところ、一方で目覚めや気づきというものを意識しつつ、それはそれ、
    これはこれという感じにしていこうかと。

    そっちが気になって、動物たちのために何かをしてあげたいという欲求を抑えるのも
    おかしな話ですものね。

  6. はじめまして。
    ネットで、検索、サーフしているうちに、
    こちらに辿りつきました。
    今朝、“からっぽになって見守っておきましょう…”
    と、自分を観たときに出てきた言葉でした。
    (こんなことも、余計なことなんでしょうか…)
    ここのところ、体も心も頭も苦しかったのですが、
    ブログを読ませていただいて、スーッと通った感で、
    呼吸が楽になりました。
    読みたい内容がいっぱいです!
    じっくり読ませていただきます。
    また、たびたび来させていただきます。
    辿りつけて、ほんとによかったです。
    どうぞ、よろしくお願いいたします。

  7. makoさん、はじめまして、コメントありがとうございます。

    「余計なことなんでしょうか」というところを読んで、失礼ながら笑ってしまいました。「余計なことなんでしょうか」が余計じゃん!と。

    最近更新が滞り気味ですが、過去記事もけっこうあるので、何か面白いものを見つけていただけたらと思います。

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