ラングフォード本 ジョーイ・ロット

 
Michael Langfordという人がいて、Most Direct Means to Eternal Bliss (永遠の至福への一番まっすぐな方法) という本を出している。僕はこの本のことを中野真作さんのおすすめ図書リストで知ったが、買ってはみたものの、最初の数章に目を通しただけで放り出してしまっていた。

内容そのものというよりも、命令形の箇条書きの連発という形式や、まず最低でも3回読めといった指示についていけなかった。そのころは、初めてSANDカンファレンスに行って、ルパート・スパイラの放射するような暖かみと明晰さに夢中になりはじめた時期だったから、なおさらだった。

この本は何度も改版されているらしい。現行版の題名の前はMost Rapid and Direct Means to Eternal Blissというもので、rapid (すばやい、急速な) という単語が入っていた。さらにその前はThe Imposter (ペテン師、詐称者) というタイトルだったようだ。

最後の章が追加される前のバージョン (第5版?) はウェブで全文が公開されている (ここ) 。さらに、知っている人も多いと思うけれど、アセンション資料館のpariさんが本の日本語訳を進めていて、メルマガで公開している。

そんな本について、ジョーイ・ロットがブログに記事を書いていた (Most Direct Means and Poetry) 。彼らしいといえば彼らしい内容。訳してみた。

==以下、訳 ==

今日、楽しいメールを受け取ったんだけれど、そのメールにはマイケル・ラングフォードの本 The Most Direct Means to Awakening (原文ママ) のことが書いてあった。僕の知るかぎりではこれはそんなに知られている本じゃないから、それについて書いてあったってことも、僕にも覚えがある本だってことも驚きだった。それからそのメールには、今あるものの単純さについて伝えられるときによく登場する詩的な表現が引き起こす混乱についても触れられていた。僕が出した返事を紹介しよう。

***

ラングフォードについて書いていたってことを面白く感じた。彼の本を僕は2011年に読んだ。そのころの僕は、今あるものという逃げられないものからどうにかして逃げる方法を探していて、それが正気の沙汰じゃないってことにまだ気づいていなかった。それでもそのころまでには、彼の本のばかばかしさがわかる程度の経験は積んでいた。もし読むのがそれより何年か早ければ、喜んで飛びついていたっておかしくなかったかもしれない。でも、自分が本当に求めているのは、彼が本の中でわめきまくっているようなことよりもずっと単純ですぐそこにあるものだってことは、なぜかわかっていた。

彼の完全に見当違いな点は (僕の見方では)、「気づきに気づいて」いる時間を1日に12時間も確保しなきゃいけないっていう部分だ。そんなこと必要ないし、逆効果でもある。どうして逆効果かと言えば、そんなことをしても分離という偽りの感覚 ― 今あるものとは別に見ている主体が存在しているっていう感覚 ― が強まるだけだからだ。僕に言わせれば、何が起こっているかに関係なくただくつろぐっていうのは、それよりもずっと直接的なことだ。もちろん、それは人が自分でするようなことじゃなくて、すでにそうなってるってことをただ認めるという話だ。何が起こっていようと、これまでに何が起こったとしても、これはいつでもすでにくつろぎでしかないし、平安でしかありえない。そうじゃないと言い張るストーリーがそこにあるだけだ。でもここでの良い知らせは、こういうことについて認識する必要はまったくないってことだ。それというのも、何がどうなっているとしても、これはすでにそれだから。そのことを認識する誰かはいない。それに、見かけの上で認識が起こったとしても、それは誰に起こるわけでもない。わかったときに爆笑してしまうのは、だからだ。わかるのは人じゃないってこと、それにそんなことはまったくどうでもいいってことがわかるから。実際のところ、架空の自己を定義してそれを守ろうという強迫的な探求が起こっていて、それが問題みたいに感じられていただけだ。その強迫的な探求がゆるんでしまえば、たった今それが1秒でもゆるむと、これがそれだったってことがわかる。何も要らない。

それから詩的な表現については、僕も同じように感じる。困ったことに、僕自身もそういう潜行性の病に侵されたことが何度かある。だから僕の書いたものの中にも、詩的なたわごとがいくつか見つかったりするかもしれない。でも、ものごとが次第にはっきりしてくるにつれて、そういう表現は僕の場合減ってきている。というよりも、自分は一体全体なんのことを書いてたんだっけ、とわからなくなったりもする。それは、本当にどうやっても知りようがないことで、自分のものにもできないし、理解することもできないし、持つことも触れることもできない。だからそれについて書いたり伝えたりしても、それで誰かの役に立ったりすることはない。といっても、もちろんだけど、読んだ人をじゃあ自分で実際に見てたしかめてみようかなという気にさせることはあるだろうし、それでずいぶん楽になるなんてこともたまにはあるのかもしれない。

== 訳は以上 ==

米Amazonを見てみると、このラングフォードの本については絶賛がけっこう目立つ。この本のおかげで探求が終わったという声もいくつか見られる。(終える、という概念については『超簡約指南』がバレンタインデーを例にしてみごとにつっこんでいるけれど)

ちなみにこの記事とは関係ないが、『超簡約指南』を読んだことがあるかどうか、ジョーイに聞いてみたことがある。「読んではいないけど、ジョーン・トリフソンが高く評価してるんだから間違いないと思う」ということだった。ずいぶん適当だなあ、と笑ってしまった。

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