トミコ〜!

 
どのくらい前か正確には覚えていないけれど、たぶん二か月くらい前に、

「探求なんてありえない。あるものがあるだけ。先生とかって、あるものがあるだけなのに、何を教えるっていうんだ!? まったく冗談にもなんないでしょ」

「悟りとか覚醒とか、そんなものあるわけなかったじゃん。目覚めるって、いま現に目覚めてるのに何から何に目覚めるっていうんだ!?」

という感じになったことがあった。

それですっきりした。ああ、変なことに夢中になってたな、と。

それが、最近になって探求モードがいつの間にか戻ってきていた。

というのは不正確で、ばっちり戻ったことを今日はっきりと確認した。

ある人に久しぶり (2年ぶり?) にメールをしたのがきっかけだった。魔が差したという感じ。ふと思いついて近況報告をしようとメールをしてしまったのが運の尽きで、いくつかのやりとりのあと、こんなことが書かれたメールが今日届いた (無断転載。すみません。読んでいないと思うけど) 。

「求めているものは、すでに目の前に、それよりももっと近くで、近すぎて見えないだけです」

これでスイッチが入ってしまった。「それ何なの?? わかりたい!!」というスイッチがバシッとオンになった。

『トミーとマツ』の「トミコ〜!」というセリフのようにパワフルなスイッチ。(注: 30代以下の人たちには意味不明な比喩ですみません)

いつも目にしている表現のはずなのに、なぜかツボにはまった。

飛んで火に入る夏の虫。

ああ!

(といっても、「正師」を求めているわけではないので念のため)

追記: この記事の「ある人」(大和田菜穂さん) から、非二元について公の場で語り始めたという連絡を受けた。ウェブサイト http://nahoowada.com

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トミコ〜!」への4件のフィードバック

  1. ヒロさん、初めまして、こんにちは!
    ブログをいつも楽しく読ませて頂いております。
    私はここ数年、いわゆる悟り、覚醒系の本を読みあさってたんですが、やっぱり途中で「こんなに本ばかり読んでも、何も結局わからないや」とか考えたりして、しばらく探求熱から背を向けたりしてました。
    でも結局気付いたら、内なる衝動というか、自分の存在の真理っていうのを知りたい好奇心が蘇って、の繰り返しで…。
    最近ようやく、自己の記憶に悟りの知識をいくら詰め込んでも、それだけでは自我に栄養を与えるだけで、実践しなければ意味がないという思いが芽生えました。
    ヒロさんの訳されたご本は、とても勉強になり、私の探求魂に火を着けてくれました。
    ありがとうございます。これからもブログを楽しみにしてます!
    長文失礼致しました。

  2. トミコー!
    ぎりぎり知っています(笑)あの熱くほとばしる感じも!
    わたしも今だ、探求熱がでたりひっこんだりです。
    「日曜日に読む荘子」も、ヒロさんの影響でちゃっかり買ってしまいました。
    ただ、以前のように「探求でもしてなきゃ、平気で生きていられない!」っていうよりも
    「やっぱり探求くらいしか、心の底からやりたいことがないなあ」という感じです…
    なんて報われない趣味でしょう(苦笑)

  3. ネムノキさん、はじめまして、コメントありがとうございます。

    「探求熱」と言いますが、本当にそうですよね。本棚に並ぶ本を見ると、こんなに読んだのか、と我ながら呆れてしまいます。

    僕は週末に海に釣りに行って太陽を浴びていたら、探求??という感じにまたどこかに飛んでいってしまい、その変化の適当さにびっくりしています。

    訳している本は、探求熱を冷ますことを意図しているもののはずですが、そうはならないところが面白いところかもしれません。

    ひかりさん、こんにちは。

    トミーとマツの松崎しげるのような熱すぎる探求熱は嫌ですが(笑)

    心の底からやりたいことがあるというのは、考えてみれば素晴らしいことのようにも聞こえますが (実際、そこに完璧に同一化できれば逆に幸せなんだと思います) 、ほんとうに報われませんね。「報われるって誰が?」とかつっこまなきゃいけないというのは、けっこう病気なのかもと自分でも思います。

  4. 探求熱を冷ますため…うーん、面白いですよね。
    ヒロさんの訳が丁寧で読みやすいので、私の場合逆にスイッチが入るのかもしれません(スイッチ入る人自体幻想だとしても;)。

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