ハーディングの実験とジョーイ・ロット

 
ジェリー・カッツによるインタビューの感想をジョーイに送ったついでに、ふと思いついてダグラス・ハーディングの実験について彼がどう考えているのかを尋ねてみた。

「ハーディングの実験をしたことがありますか? どのようにとらえていますか? 頭がないことに気づくということを強調しすぎてしまうと、頭がないことに気づいていない状態は完璧ではないというとらえかたが生まれる可能性もあると感じますが。どうでしょう?」

いつものようにすぐに返事が来た。

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自由とか悟りを探し求めていたときにはいろいろなことを学んだり読んだりしたけれど、その大半と同じように、ダグラス・ハーディングの実験も最初にやってみたときは「そうか!」ということにはならなかった。バイロン・ケイティのワークについてもそうだった。何度もやってみたけれど、期待してたような劇的な体験はなかった。

今あるものの単純さに「僕自身」で自然に気づいたときに初めて、ハーディングやバイロン・ケイティや他のひとたちのエクササイズや実験がまったく同じ単純さを指していることがわかった。その意味では、当然だけど、エクササイズも実験もまるで必要なかった。まあちょっとは面白かったかもしれないけれど。

結局のところ、ハーディングの実験にはヒロが言うとおり限界がある (少なくとも「頭がないこと」を発見する実験には) 。でも、それはどんな実験にもエクササイズにも指し示しの言葉にも言えることだ。もちろん、僕が書いているどんなことにも限界はある。指し示す上では役に立つとしても、それは指し示されているそのものじゃない。つまり、指し示すやり方に執着すれば、それはかならず限界を生む。でもそれは簡単に解決できる。指し示されているものを見て、指し示しのやり方は手放してしまえばいいだけだ。

顔を指差しながらそこに何もないことに気づくということを残りの人生を通してずっとやり続けなくちゃいけないと考えるとかなり窮屈だけど、空っぽさを一度でもはっきりと垣間見ることができれば、(顔を) 指差すことはやめてしまってもいいし、まったく同じその空っぽさが存在するすべてだってこと、どんなものにも実体はないけれどそれでもすべてが存在しているということにただ気づいていることはできる。

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面白い。グレッグ・グッドの本を訳すことになったとき、ジョーン・トリフソンにダイレクトパスのことを聞いた。彼女はあまりピンと来なかったということだった。

トニー・パーソンズのミーティングで会った人にハーディングの実験のことを聞いたときは、その人は「ああ、70年代にあの実験をやったよ。あの衝撃がきっかけになったのかもしれない、今考えれば」と遠くを見る目で言っていた。

どれが最善のやり方なのか、とつい考えてしまうこともあるけれど、それぞれにきちんと違ったやり方が用意されているというのは面白い。

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追記

ジョーイ・ロットがQ&A動画シリーズを始めるらしく、質問を募集しはじめた。ここ

いつまで募集を続けるのかは知らないが、英語がOKな人は質問してみるといいかもしれない。英語が得意じゃないけどどうしても質問したい人は、僕が訳してジョーイに送るので、3行以内くらいでこの記事のコメント欄かメールで。と言っても、質問に対するジョーイの答えは英語の動画になってしまうから、それをまた訳すことになるけれど。それと、質問が全部採用されるのかは不明。

さらに追記

Q&Aシリーズについては、ジョーイの回答を訳すのが異常に大変だということに気づいた。だから、質問を訳して代わりに送るというのは、あっという間におしまい。

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ハーディングの実験とジョーイ・ロット」への10件のフィードバック

  1. こんばんは、はじめまして。
    貴重な翻訳をいつもありがとうございます。
    記事を楽しくかつ興味深く読ませていただいています。

    ジョーイに質問があります。
    いわゆる「わかってしまった人」というのは、政治的、社会的問題には無関心になり、異議申し立てをしたり、デモなど何らかのアクションをとったりはしないのでしょうか。自分に火の粉がふりかかって来ないかぎりは見過ごすのでしょうか。政治や社会の問題は歪んだ心が生み出したものだから、まずは自分の心を解放することが重要で、心が解放されていないかぎりは、どんな異議申し立てもアクションも歪んだものにならざるをえない、と現に存在するをやり過ごすのでしょうか。

    例えば、日本でいうなら原発の再稼動問題や立憲政治を破壊する憲法解釈の変更による集団的自衛権の容認問題、密告社会につながる特定秘密保護法などが現在大きな問題になっていますが、こうした問題には自分に被害が及んで来ないかぎりは見過ごすのでしょうか。こうした政策に抗議するのは自分の心が歪んでいるからでしょうか。

  2. フーケさん、こんにちは。承知しました。

    ちょっと長いので、適当にはしょって(もちろんポイントはしっかり書きますが)質問を彼に送っておきます。

    追記: 質問を訳して送ったところ、ジョーイから「質問くれた人に、ありがとうって言っておいて」とのことでした。

  3. ヒロさん

    いつも、ありがとうございます。
    深い感謝とともに。

    わたしも、ジョーイ・ロットに質問があります。
    //////「質問」///////
    >そして、止まったときに何が起こるかを見る。ただ完全に歓迎する。抵抗せずに。抵抗すら歓迎する。抵抗にも抵抗しない。
    >で、つぎは?
    >これに終わりはあるんだろうか?
    >僕の知るかぎり、終わりはない。
    「別のなにか」より

    >あるということだけがある。
    「真理があまり好まれない理由」より

    ジョーイのメッセージを読むと、シンプルで、色のないシャワーを浴びるようです。
    嬉しい感覚があり、何かが洗いながされているようです。

    ただし、わたしにとって、それは、今のところ、至福にはつながってはいないようです。
    ただの何もないかんじ、そうであることのつまらなさ、不安定さにつながっている感じです。
    つまり、茫洋として、途方にくれています。

    どのボタンを掛け間違っているのでしょう?
    ////////////////////////////

    質問になっているかしら…。
    質問になっていたら、よろしくおねがいします。

  4. はらふさん、こんにちは。

    感覚を感じるということを続けたときに現れる平板さ、つまらなさについては、ジョーイは僕の知るかぎり2冊の本で触れていますが、このブログで訳した記事にも、それに触れている部分があります。至福と「至福」と題した記事の終わりの部分です。

    なので、質問を訳すのが面倒ということでは全然ないのですが、この至福の記事で言われていることを3年ほど続けてみて、それでもハテナ??という感じでしたら、「いいから聞け!」とまた連絡ください。(3年は冗談です。ちなみに。)

  5. ヒロさん、
    ありがとうございます!
    読んだことはあるものの、スルーしていたようです…

  6. ヒロさん、こんばんは。

    見たらやり方は手放してしまえばいいですか。。。方法との関わり方がすっきりしていいですね。ジョーイって言うこともさることながらライティングセンスが抜群なんですよね。グイッと引き込まれて最後は納得させられてしまいます(笑)

    記事内容からずれるんですけど、ダグラスの「頭がない」という表現はボクにとっては身体が残されてしまいミスリードでした。ボク的には単一の目から見るのが一番好きで、これはグレッグの言っている「視覚と気づきは同義語」と相通じるものがあって嬉しかったりしています(笑)

    ホント、いろんなやり方が用意されていて面白いですよね。ジョーンさんのダイレクトパスの反応は少し残念な気がしますが(笑)やっぱり人それぞれその時その時に自分が好きな方法をやればいいんでしょうね~。ボクは最近ダイレクトパスに夢中になっています(笑)

  7. tetsuyaさん、こんにちは。

    ジョーイはすっきりしすぎて、逆にどうなのかなという印象を持つ人もいると思いますが、明解さの中にも明るさや笑っている感じがあって、僕はかなり好きです。その意味でも、今度のQ&A動画シリーズは楽しみにしています。

    ダグラスの「頭がない」についてのtetsuyaさんの感想は、すごく面白いです。サッカー選手にとっては、「自分」の場所は目の後ろではなく、もしかしたらもう少し下の方にあるんじゃないかな等と考えることがあるのですが、その意味では「頭」の強調は人を選ぶことでもあるのかなと思います。でも、単一の目にしても、境界がない=主体と客体がないということを明らかにする方法をこれだけ提供しているのは、やはり革命的です。

    ジョーンがStanding As Awarenessはあまりピンと来なかったと言ったとき、僕もちょっとアレっとなりました。自分の大好きな音楽を好きな女の子に聴かせたら「う〜ん」と微妙な顔をされたときのように。でも、そのことで「正解」を探そうとしていることに気づいて、逆によかったと今は思っています。

  8. バーナデット・ロバーツについて。
    「自己喪失の体験」を読んだことがあるのですが、特別感たっぷりな印象でした。
    常人には耐えられそうもない、魂の暗夜を通り抜けなければならないような。
    ジョーイ・ロットが知らないなら仕方がないですが、知っているならバーナデット・ロバーツについてのコメントが欲しいです。

    ジョーイ・ロットのバーナデット・ロバーツについてのコメントは、もうありますか?

  9. やまさん、こんにちは。

    バーナデット・ロバーツ等の「魂の暗夜」については、この関係に興味があれば誰しも考えてみるテーマだと思います。もちろんジョーイも例外ではなく、彼とフィッシュという人の共著 (というか対談集) でひとつの章が設けられています。

    ジョーイは、そういうことはすべてストーリーであって、起こることが起こるだけで (しかも実際には何も起こっていない)、魂の暗夜も含めてまったく何の意味もないのは確かだけれども、長年に渡る自分の経験(摂食障害、強迫性障害、そのほかさまざまな病気)とそこからの底打ち体験のこともあり、そういう魂の暗夜の通過的なことには個人的にすごく関心があると、その本で言っています。

    その対談集では、あらゆる概念、ストーリーをけちょんけちょんにやっつけまくっているので、その点だけ異質な感じがして印象に残っています。

    もし、魂の暗夜という概念一般ではなく、バーナデット・ロバーツの特定の側面、特定の経験について具体的な質問があるということであれば、書いていただければジョーイは答えてくれると思います。

  10. お答えありがとうございます。
    今はこれで充分です。
    「自己喪失の体験」は手元に無く、記憶頼りになってしまうので。
    ちょっと質問意図が曖昧なまま気軽に質問してしまいました。

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