ネイサン・ギルの死

 
昨夕、ネイサン・ギルが死んだという知らせが届いた。彼の著書を出版しているノンデュアリティプレスからだった。病気で苦しんだ末、みずから死を選んだと書いてあった。

ネイサンがどういう死に方をしたのかはわからないが、この報に接したとき、彼に会ったことがなくてよかったと思った。

先月までしばらく、彼の著書 (ミーティングの記録) を訳していた。とぼけたユーモアと鋭さが同居した対話が印象的な本で、はじめて読んだのはたぶん4年ほど前だった。でもその頃にはネイサンは教えるのをすでにやめていた。もしやめていなかったら、イギリスまで会いに行っていたはずだ。

そのあと、2年前くらいに彼はミーティングを再開した。2回か3回ほどロンドンでミーティングがあったと思うが、僕はなんだかんだで行かなかった。そのうちにそういう場から彼はまた姿を消した。(スティーブ・フォードという人が先月出した本に序文を寄せたりしているから、ネイサンがこの分野での活動を別のかたちで続けていたのはたしかだ)

ともかくそんなわけで彼に会ったことはなくて、メールでやりとりをしたこともなくて (Clarityの翻訳許可は出版社からもらったから) 、そのことを「よかった」と感じた。

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ネイサンの死のニュースが舞い込んですぐに思い出したのが、リチャード・ベイツという人のことだった。彼も同じ出版社から一冊の本を出しているが、本を出して1年もたたないうちに自殺した。死の数ヶ月前に撮影されたConscious.tvのインタビューを見ると、英国人らしいユーモアと愛嬌が表れていて、とてもみずから死を選びそうな感じには見えない。

リチャード・ベイツの死の報には混乱しただけだったのを覚えている。「目覚めたと言っている人がなぜ?」と。「なぜ?」以外のことはほとんど思い浮かばなかった。

ネイサンの死には「なぜ?」があまり起こっていない。「そうなのか」という感じがしている。再開したときのミーティングの録音を聴いて、なんとなくそんな感じを感じていたのかもしれない。死を選ぶということが驚きにつながらないような何かを。

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この死について、ジェフ・フォスターがさっそく追悼文を書いている。そこには「ネイサンは形をなくし、無限へと、本当の故郷へと戻っていった」という一文がある。

これは単なる上品な言い換えなのかもしれない。でも、逆に残酷な気がする。ジェフはネイサンと何度か長い話をしたことがあるらしく、追悼文を「彼に会うことができてよかった」と結んでいる。

これを読んだとき、彼に会ってなくてよかった、と僕はまた感じた。人の死に接するというのは、その人の生、その人という生を受け止めることのような気がする。

昨年両親を相次いで亡くした僕には、そういうキャパシティがいまだに欠けている。もともとキャパがない気もする。

それに、「誕生も死もない、個別の人間というのは抽象概念にすぎない」とか「非二元」のお題目を唱えてごまかす気にもならないから、ただ「そうなのか」と思っていることしかできない。

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以下は、ノンデュアリティプレスから届いた知らせを訳したもの。

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悲しいお知らせがあります。Clarity、Being: the Bottom Line、Already Awakeの著者であるネイサン・ギルが、みずから選んだタイミングでこの世を去りました。彼は衰弱性の疾患でかなりの期間苦しんでいて、働くこともできず、回復の見込みもないと感じていました。

ネイサンと私たちのつきあいは長年にわたりますが、彼は地に足がついていて、ユーモアがあり、あらゆることを賢く見通す人でした。彼がいないのは寂しいことです。

(スティーブ・フォードによるコメントは省略)

ジュリアン&キャサリン・ノイス
ノンデュアリティプレス
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追記(6月17日午後): キャサリン・ノイスがFacebook上で明らかにしたところによれば、死の詳細は不明で、「suspicious death (不審死、疑わしい死)」として扱われているが、suspicious deathは一般的には自殺を意味するとのこと。

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ネイサン・ギルの死」への20件のフィードバック

  1. こんにちは。
    ジョーン・トリフソンさんとネイサン・ギルさんの記事は、evernoteに個人的にコピペして何度も読んでいる一番のお気に入りでした。

    ですから、とても寂しい想いをしているのですが、ヒロさんのおっしゃるように、なぜ?という意味の感傷は私もありません。
    自殺という言葉はセンセーショナルで、現代社会ではいけないことの代表のように思われてはいますが、果たして本当にそうなんだろうか…という気持ちも一方でありまして、肉体が朽ちるまで待つだけが正解ではなくて、自ら進んで選択しようという人の気持ちは尊重したい思いも理解できます。もちろん一般的に、究極の逃げとして自殺を選ぶ人が多いことを考えると、なんでもかんでも容認すればいいなんてことは決して思いませんが。

    ただ、これから彼の文章が発表されることは2度とないのだと思うのは寂しいことです。大きな示唆を与え、開放してくれたネイサン・ギルさんに感謝を申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。
    また、このブログを通じて彼を紹介し、翻訳してくださったヒロさんにも、心から感謝申し上げます。これからも、素敵な方々をご紹介していただけることを楽しみにいたしております。

  2. ヒロさん、初めまして。
    TXと申します。
    なんか脱力(悪い意味で)してしまいました。
    自死されたお二人のことはよく知りませんが、残念というか不快というか・・・。

    >リチャード・ベイツの死の報には混乱しただけだったのを覚えている。「目覚めたと言っている人がなぜ?」と。「なぜ?」以外のことはほとんど思い浮かばなかった。

    お二人に対して、「なぜ?」としか感じられません。
    「目覚め」と「自死」が同じ人に起きるのなら、「目覚め」といわれているもの自体はまったく無価値な気がしている今です。
    自分がソレを求めているからでしょうね。
    「目覚め」とは?いったい何なのか?

    >ネイサンの死には「なぜ?」があまり起こっていない。「そうなのか」という感じがしている。死を選ぶということが驚きにつながらないような何かを。

    ヒロさんは、現時点においても両氏の著作などから「目覚めに関して」何かを学びたい気持ちが起きますでしょうか?
    今の自分には、ないです。

    いやはや。
    自分が少々混乱していることは事実です。

  3. カオリンさん、コメントありがとうございます。

    ジョーン・トリフソンは今回のネイサンの自殺について、Facebookにこんなことを書いています (これがすべてではありませんが) 。

    ==
    「生命をみずから断つ権利を私は完全に支持しています。扶養している家族がいない人が 、回復の見込みのない衰弱性の疾患や重い慢性疾患 (身体的なものにせよ精神的なものにせよ) にかかっているケースでは特にそうです。このテーマについて私はFacebookでも何度か書いていて、自殺と幇助自殺の権利を支持すると表明していますが、自分自身が同じような選択をする状況は容易に想像できます。もちろん、もっとも深い意味では、そのような死は稲妻に打たれて死ぬのと同じくらい自然であり避けられないものです。ネイサンが言っていたように、「間違えるということはありない」のです。
    ==

    ジョーンは自分でも認めていますが、どんな問題についてもはっきりした意見を持っている人です。なので、これはこれでわかります。僕などは、こういう明確な意見表明にはかなり戸惑ってしまう方ですが。

    なお、ネイサンが2012年秋に書いた文章の中にこんな一節がありました。

    ==
    生という劇は、DVDの上にすでに記録されている映画のようなものだ。それは変えることができないもので、終わりのない見かけの現れの中でずっと終わりなく映されつづけている。
    ==

  4. TXさん、はじめまして。

    自殺した人の教えには価値を見いだせないという感じは僕はしていません。

    「たぶんこの人は自殺しないだろうなあ」と感じられる人が自殺してしまったら、それはショックだと思います。今回のネイサンの件は、彼の健康状態がイマイチということをしばらく前から聞いていたこともあって、僕にとっては「そうなのか」になっているように思います。

    それと、知恵とか目覚めのメッセージと言われるものが個人に属しているという考えそのものを相当疑いはじめていることもあります。不倫していたクリシュナムルティ、娘の就職のことで不安いっぱいだったニサルガダッタ、弟子に性的関係を迫ったラメッシ・バルセカール等のエピソードを聞いて、すぐに本を捨てたかと言えば、そうはしていません。ネイサンについても、同じように感じている気がします。

    残念に感じているのはたしかです。残念だと思います。

  5. ヒロさん、こんにちは。

    「無秩序でなんだって起こりえる」 誰が言っていたか忘れましたが非二元の先生の言葉が浮かびました。生まれて死んでいくという二元的な観念を持つボクにとって死はネガティブで重苦しいものです(しかも自殺は)。
    でも、当のネイサンにとっては自殺もありという自由への選択がわりと軽やかになされたような気がします。不謹慎かもしれませんがボクはそう思いました。
    (ジョーン・トリフソンさんのコメントと最高です。なんか涙出ました)

  6. ヒロさんはじめまして。
    正確には二度目なのですがその時のHNはあまりにも書き捨てめいたもので今回のようなテーマにはちょっと……ということで名を変えましてのはじめましてです。

    それはさておき。
    自分にはショックというかやりきれない気持ちです。
    「目覚めたからといって全てがバラ色になるわけではない。人生の苦悩は続く」「覚醒しても完全無欠の人間になるわけではなく、人間的な弱さも欠点も残る」
    わかっている、わかっているんですよ頭では。
    でも目覚めというものが人生で起こるあらゆることに逃げも抵抗もせずにありのままに受け入れるということなら、覚醒した人が、それも先生とまで呼ばれていたような人が人生からの究極の逃避ともいえる自死を選んだということをどう受け止めればいいのか……。
    目覚めたいうのは嘘だったの? それとも目覚めなんて所詮一時の経験で人生においては何の意味もないものなの?
    どうしてもそう思ってしまいます……。

  7. 〉しんいちろうさん

    しんいちろうさんがどうとか批判では全くなく、しんいちろうさんをきっかけにして、自分に向けて書いています

    目覚めとか悟りとかを言っていても、
    現金10億円と性格最高の絶世美女と
    不動産とetcが手に入ったら、
    目覚めとかぶっ飛ぶだろう人(もちろん僕を筆頭)にとって、目覚めも悟りも全部、よくてサブカル趣味、率直にいえば現実がうまくいかないことのすっぱいブドウ(逃げの対象がパチンコかお悟りかの違いでしかない)だなあと最近とみに考えます。

    だから、本当に目覚めた人、悟った人のことは、わかんないし、わかる必要もないし、そんなこと考えてるよりも、日常のいま眼前にあること(仕事でも家事でも恋愛でもなんでも)を一所懸命やってれば全然御の字で、
    なんか勝手に目覚めてたら儲け物くらいに思います。

    目覚めのために目三角にして本読んでするなら瞑想して、そんで目覚めないっとか(日常含め)腹立ててる暇あるなら、落ちてるゴミ拾ったり丁寧に皿の水気拭いてるほうが大切だなあと。
    僕の思うところです。

  8. 二度目の投稿になります。

    縁があって「分かっちゃった人達」を読みました。皆さんがどんな考え方に立っているのかは分かりません。

    この方の「死」に関して思考を巡らすのは妄想ですね。妄想が概念を作れば、分かっちゃった人ではなくなる。

    私も分かっちゃった人ではないが。

    あるのは、
    「これは事実である」
    「こういうことは起きるのである」

    ただそれだけだと思います。

  9. ネイサン・ギルさんは大好きでした。
    ヒロさんのおかげです。
    彼のYouTubeの映像は現在のところ見れなくなってますが、彼の飄々とした鋭さは、まさに画期的でした。
    「個人(故人)として分離したものなんていない」などと頭ではわかってても、やっぱり通夜に行って、みんなと静かに酒飲みたいという不謹慎な気持ちもあります。
    やはり、少なからずショックです。
    ややこしい非二元的な表現を離れれば、ひとこと、ただ、「悲しいだけ」です。

  10. 人生においてコントロール出来ることなど、本当に限られている。(か、ほとんど無い)
    歳を重ね、病気や介護、家族親族友人の死を経験していく程にその思いが強くなっていっています。
    そもそも、日々刻々変化していく自らの肉体の状態をすべて知覚し把握することすら出来ない、そんな風に生まれついているのだから無理も無いのだなぁ、と。

    自死に関しては、私は否定も肯定も出来ません。
    (幇助は他人が手を出す領域を越えると思うので肯定出来ません)
    肉体的に著しく衰弱し、絶え間無く苦痛に苛まれる様な状態に陥ったら解放を求めてもやむを得ないでしょうし、自分にも十分起こりうる衝動だと思います。
    しかし、本当に「間違えるということはありえない」のだろうか?
    回復の見込みは無くとも、変化することも無いのか?
    それは。。。ストーリーでは無いのか?

    ちなみに、今更どの神様も信じてはいませんが、自ら人生に終止符を打つのは最も不遜な、範を越えたことの様に捉えている自分がいました。
    (自分勝手な真似をしては休み無く働き続ける身体に申し訳無い、という感じかも)
    死という圧倒的な事実は人の信念を揺さぶりますね。

    結局のところ何一つ選択出来ない圧倒的に無力な存在であることを受け入れ続ける、その上に立つことのない目覚めは若者が頭に思い描く青い夢物語に過ぎないのでは?
    そんなことを思いました。

  11. コメントいただいた方々、どうもありがとうございます。

    inglewolfさんのコメントは特に心にしみました。答えに飛びつかずに受け入れ続けるというところにしか居場所はないんだなあ、と。深刻な意味ではありませんが、概念や解釈に逃げない覚悟、ここにいる覚悟をもらった気がします。ありがとうございます。

  12. 自死かあ。
    他の立ち位置の方なら、特にはひっかからなかったけれど、いわゆる霊性に関して公で、なにごとかを一時とは言え、教えたことがあり、しかも少数とは言えコンセンサスを得ている人が
    自死を選択したのは、何か飲み込めないものがあるなぁ、正直。

    雨宮第二氏も自死の可能性が高かったと個人的には思ってますし。

    うーん、目覚めって本当に何なんですかねぇ…、うーん。

  13. ネイサン・ギルさんお亡くなりになったんですね。自死ということよりも
    >彼は衰弱性の疾患でかなりの期間苦しんでいて、働くこともできず、回復の見込みもないと感じていました。
    という状態だったという方が驚きました。そういうことであれば安楽死と同じようなものかなとも思います。もちろんわかりませんが。
    ご冥福をお祈りいたします。

  14. はじめまして。非常に失礼な言い方ですが、生悟りの人たちの言動に惑わされるのはもうやめたほうがいいのではないでしょうか。いろいろな人に会いましたが、運命論を唱えたり病気になることを正当化してる人たちは己を制限したり痛めつけていることから目をそらしてる感じがします。参考になる部分はあるのでしょうが、ある程度距離を置いた方がいいし、まず自分がどんな在り方でいたいのか、そしてどんな人生を送りたいのかを明確にしたほうがいいとつくづく感じます。自戒を込めて。

  15. 星の旅人さん、はじめまして。アドバイスをありがとうございます。

    「生悟り」というのは重要な指摘と感じます。「悟った」と言っている人は (直接そうは言っていなくてもそう受け取られるままにしている人も) 、終わりのない何かに終着ポイントを設定してしまっている (しかも全体とは別の何かが何らかのポイントにたどり着けると言っている) という意味で、どこかに無理があるんだろうと思います。本人にとっては無理がないとしても (徹底的に無自覚なだけかもしれませんが) 、それを受け取る側が、おっしゃるように「ある程度距離を置く」というのはいつまでも必要になることかもしれません。

    どこかに正解を語る人がいるはずだという幻想にやさしく光を当てていただいて、とてもありがたく思います。

  16. う〜ん…。生悟り…すごく言い得て妙でニュアンスは判るし注意したいその意図も分かるのですが…。
    逆に、星の旅人さんが、完全に悟った人というのを実際よく知っていて、悟り半ばの人(生悟り?)とその区別がつかないと成り立たない注意文ですよね…。もし本当にご存知なのなら、嫌味でもあげ足でもなく、あなたが知っていると思われる完悟りの人が何者なのか具体的に示してくださると…。あなたが完悟りだと判断したその理由も知りたいです。

  17. LotusWandさん、このブログのコメント欄は他の人に議論をふっかけるスペースではないので、以後控えていただきたくとありがたいです。

  18. えーと、返信の内容にかなりびっくりしまして…。議論をふっかけているように見えたんでしょうか? 常々自分が疑問に思って知りたい事を星の旅人さんの文にみかけたので、本当に完全に悟った人とまだ半ばの人の区別を本気で教えてもらいたかっただけなのですが…
    でも確かに、ヒロさんのブログで他人のレスに質問するのはマナー違反かもしれませんのでそれについては気をつけます。

  19. はじめまして、Lotusさん。お返事が大変遅れてすみません。

    ひとつ注意点があるとすれば、「悟っても人生(感情的・肉体的・経済的な側面)は変化しない」や、あるいはプロセスを否定するタイプの主張は少し注意したほうがいいかもしれません。
    というよりほとんどの非二元論はコインの片側しか見てない気がします。

    僕自身お会いして圧倒的だったのは日本の方です。「ベイツメソッド」で検索すると引っかかるかもしれません。(現在はワークの名前を変えてらっしゃいます)。

  20. ユーフィーリング、クォンタム、気づきの視点に…、わかっちゃった人たち、そして今すでに目覚めているをバックに入れて読んでおり、ウェブをみつけて、ただそのままでいるための…を注文したばかりで。ウェブを読み進めるうち、翻訳の方とヒロさんという方が同じ…流れに驚いて、コメントに同じあおさんがいらして、驚いて、ネイサン・ギルさんの死に…苦しんだというところに反応してまた驚いていて、そうやって繋げてるのは思考でとか、起きてるとかフレーズを持ってくるとコメント出来ない気持ちになったり…名前はRay に変えます*湧いてくるものを書いていたらどこを切り取って書けばいいのかわからず、思考だと流せば一言も書けず…すみません。。

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