別のなにか ジョーイ・ロット

 
数は減ったが、非二元の本、目覚めの関係の本を読み続けている。新しい著者が出てくると、ついチェックしたくなってしまう。

それで、Mystic Girl In The Cityという変な名前のアメリカ人女性の本とか、Oliver Bosshardというスイス人の本とか、あとはKindleでも何人かの本を読んでみた。でも、どの本も少し物足りなく感じる。もしくは何かがうるさい。

ということで、しつこくジョーイ・ロットの文章の訳。

原文: Something Else (joeylott.com)

== 以下、訳 ==

別のなにか

よく考えれば考えるほど、すべてはますます単純に見えてくる。

以前の僕は不安を抱え、心配で、怯えていて、怒り、いらだち、うんざりしていた。それで、何をすれば幸せになれるのかをどうにか突き止めようとしていた。

あるとき、幸せは見つけられるものじゃないってことに気がついた。幸せ (といっても躁的な幸せじゃなくて、あるということの幸せのことだけど) はものじゃない。手に入れられるものじゃない。作り出せるものでも、考え出せるものでもない。

幸せというのは、複雑さが全部落ちたときに残る何かのことだ。

僕は別のなにかを探していた。これは違うはずだと思っていたからだ。「だって、これだよ? これこそが問題なんだ。僕がうんざりしたり怒ったり心配したりしてる原因はこれだ。これは避けるべきものだし、逃げなきゃいけないものだ」

だから、止まろうとか、くつろごうとか、手放そうとか、ただあろうとかいったメッセージが耳に入ってくることがあっても、それは、いつか止まったり、くつろいだり、手放したり、ただあろうと決心したりすれば、別のなにか、もっとマシな何か、以前は隠されていて見えなかった何かが見つかるってことなんだと僕は解釈していた。

でも結局、それは実はただのこれだ。本当に。本気で。間違いなく。

じゃあ、もしこれが十分だとは思えないとしたら。もしくは、これが問題みたいに思えるとしたら。そうしたら、これを歓迎できるかどうかやってみてほしい。完全に、徹底的に、無条件に歓迎する。まるでこれが永遠に続くみたいに。

というのは、ある意味ではこれは永遠だからだ。僕が実際に経験してるかぎりで言えば、これは永遠だ。別のなにかはない。別の時も別の場所も別の物も別の感覚も別の経験も別の人たちもない。ただこれがある。たったいま何が起こっているとしても。

これがそれだ。

本当に単純だ。別のなにかがある可能性なんかないんだから。

もちろんだけど、これがあるだけだから、これを歓迎したり、これを許したりしても、変わることは何もない。以前の僕が完全に間違っていたのは、だからだ。歓迎できれば変わるはずだと思っていたんだから。そう思っていれば、失望することになるのは当然だ。

といっても、そのときは完全には歓迎してなかった。

自分がどのくらい歓迎できるかやってみてほしい。別の人のことは何も言ってない。環境のことでもない。自分の経験以外のことは、ここでは何も言ってない。自分自身の経験や自分自身の感情をどう巧みにしりぞけているか、経験や感情から自分自身をどう守ろうとしているかに、ただ注意を向けてみるだけでいい。

そして、止まったときに何が起こるかを見る。ただ完全に歓迎する。抵抗せずに。抵抗すら歓迎する。抵抗にも抵抗しない。

で、つぎは?

これに終わりはあるんだろうか?

僕の知るかぎり、終わりはない。

僕の知るかぎり、これはずっと歓迎し続けること、終わりなく手放し続けることだ。そして、歓迎すればするほど、手放せば手放すほど、それをやっている人はどこにもいないってことがますますはっきりする。これはひとつのものとして起こっている出来事なのだ。

境界を見つけられるかどうか、ちょっと見てほしい。自分と経験の間に境界はあるだろうか? 自分と感情の間に境界はあるだろうか?

ようやく、これだけしかないってことがわかっただろうか? 他には何もない。行ける場所もどこにもない。逃げ場所なんかない。

== 訳は以上 ==

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別のなにか ジョーイ・ロット」への3件のフィードバック

  1. ヒロさん
    確かに、これ以外何もないことがわかります。
    でも、その気づきが私にもたらしたものは、胸の詰まるようながっかり感でした。
    気づきは至福を連れてくると思っていました。
    「逃げ場所なんかない」って言っちゃうんだ、ふ~む。

  2. 刺激が来たらマインドが処理する”だけ”のものが人間である
    (トニパ的に言えば人間がないのだから刺激もない)
    人間はずっとオートメーションの刺激処理機械であった
    しかし何かが刺激処理機械を見たり感じたりしている
    それが気付きだ 私たちのは人間でも機械でもなかった
    見たり感じたりしている意識こそが探求のゴールなら
    私たちはゴール以外にはなりようがない
    “ただこれ”とか”それ”とはこういうことだったのだ

    うーんこの古くさいSF

  3. 始まりも終わりもないのだから楽しむだけですね今を。
    そう振る舞う様になったらむしろ別の何かがこの意識(世界とか?)に繋ぎ止めようとするような現象が起きるのが面白いです。
    今回も楽しかったです。
    これからもよろしくお願いします。

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