グル、ガイド、友人、ミートアップ

 
繰り返し現れてくるように見えるテーマのひとつに、先生あるいはグルというものがある。(翻訳ばかりしていたら、翻訳みたいな文体になってしまった…)

車の運転を習うために教習所に行くのはOKなのに、非二元については先生の意義を否定するというのはおかしい気もする。しかも教習所に20万円請求されても問題にはならないのに、この分野ではお金はいつも微妙なポイントになるというのも納得しづらい点ではある。

それでも、やっぱり自分にとってはこの問題は問題であり続けるようだ。

ちなみに以前は、「これぞ自分の先生」と思える存在を探していた。よし見つかった!と興奮したことも一度ではない。それが、下のような記事を読んだりしているうちに、そういう特定の存在を求めることが徐々になくなっていった。ジョーイ・ロットの著作で繰り返されるグル崇拝に対する批判の影響もある。

グルの時代の終焉 グレッグ・グッド
ナチョ・サットサン グレッグ・グッド
スタディグループのすすめ アジャシャンティ

それと、教えるのをやめた人たちの存在も自分にとっては興味深い。たとえばネイサン・ギルは数年間ミーティングやリトリートをした後、教えるのをやめた。最近再開したと思ったら、数回ミーティングをしただけで、またやめたようだ。教えていること自体が、わかることには価値がある (=わからない状態には問題がある) という観念を強化する気がする。実際には何かが何かを強化するというのはありえない話だからそんなこと気にしなくてもいい、という立場もあるかもしれないが、それはちょっと美しくない感じもする。

でもまあ、需要があるところに供給があるという単純な話として放置しておけばいい気もする。それがたぶん「正解」で、先生ゲーム、生徒ゲームはしたい人がすればいい。袈裟を着たければ着ていればいい。(一言余計か)

そこで興味は移る。グルじゃなくて友人もしくはガイドだというのなら、そういう環境はどこにあるのか、と。

それについては、じつは経験豊富な先駆者がいる。その先駆者の知恵がまとめられているページがあって、翻訳の許可をもらったから、つぎの記事で訳して紹介することにしたい。

How to Start and Run an Independent Nonduality Meetup Group (Jerry Katz)

Jerry Katzというのはグレッグ・グッドの『気づきの視点に〜』の序文を書いている人。

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グル、ガイド、友人、ミートアップ」への1件のフィードバック

  1. 階層化があるように見えるのはマインドによるもので、

    それが階層化されていないという規制を設ける事で、その階層化というマインドが崩れていけばとても良いと感じました。

    選択肢が増えるのは良いことだなと感じます

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