ジョーイ・ロットへの質問 ガンガジ編

 
ノンデュアリティプレス (Non-Duality Press) から発売されたジョーイ・ロットの新刊 The Best Thing That Never Happened を読んでいる。

その中に投影についての章があって、エックハルト・トールを盲目的に崇拝するときに何が見落とされているかということが例として書かれている。

それで、ジョーイが前にガンガジに触れていたことを思い出して、こんな質問を送った。

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ガンガジについての見解がjoeylott.comに書かれているけれども、その意味についてもう少し詳しく教えてほしい。特に以下の点について。

1. 「ガンガジのイメージのほとんどは探求者に無用の混乱をもたらしていると思う」という表現の意味
2. 「ガンガジの外見やイメージにある見かけ上の特別さを見透すことができれば、ありのままの自分自身に会うための招待を受けられるだろう」という表現の意味
3. 上記2.はガンガジやアジャシャンティ、あるいは英語圏で使われるRoshiやSesshinといった特殊な呼称だけでなく、大文字で書かれる気づき (Awareness)、プレゼンス (Presence) 、観照者 (Witness) といった表現にも関係してくると思うが、それについては?

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そうしたら、すぐに以下のような返事をもらった。もっと激しい内容かと思っていたら、そうでもなかった。

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質問1. 「ガンガジのイメージのほとんどは探求者に無用の混乱をもたらしていると思う」という表現の意味

異国風の名前を使うのは混乱につながると思う。特別さの感覚が必要以上に作り出されてしまうから。日本の人たちがアメリカ人の名前にどのくらい詳しいのか僕は知らないけれど、ガンガジというのは相当変わった名前だ。ガンガジの本当の名前はアントアネットで、それを縮めてトニと呼ばれていたんだけど、トニならアメリカではすごく普通の名前だ。で、ガンガジというのはインドの有名なガンジス川 (ガンガー) を丁寧に呼ぶときの名前。トニが名前をガンガジに変えたのは、彼女が師匠のパパジからこの名前を授けられたときだって言われている。

ガンガジのイメージや外観で混乱につながることの一つが、まずこの名前のこと。ガンガジのメッセージはすごくシンプルで美しいもので、その内容は、あなたははじめから自分が求めているものそのものだってこと。このメッセージは特殊なものじゃない。偉大な成就について語ってもいない。このメッセージが指し示しているのは、本当にすごく単純で普通のことだ。だから、普通じゃない名前は気を散らすだけというのが僕の意見。

もうひとつは、僕はガンガジのイベントに何回か行ったことがあるんだけど、何か特別なことが起こっているという印象がそこで醸しだされていたってこと。たいていのイベントには探求者が何百人も来ていた。ガンガジが入ってくると、部屋はシーンとなる。決まった形式で会は進んでいく。静寂の瞬間が起こる。ひとりひとりが自分の役割を果たす。ガンガジも。

そのどこにも問題はない。何かが間違っているとか言ってるわけじゃない。ガンガジを批判する気も全然ない。僕は、何か特別なものを求めているかもしれない探求者に対する警告として書いただけだ。なんでそう書いたかと言うと、特別なものを求めている人たちは、もしそういう特別さの罠を見透かすことができたならば、ガンガジが指し示しているものをもっとよく見ることができるはずだと僕は思っているから。ガンガジも僕らもまったく変わらないんだってことを認めたらどうだろう、と。ガンガジは特別な何かを手にしたわけじゃない。ガンガジは女神じゃない。特殊なスピリチュアルパワーを伝授しているわけでもない。ガンガジはただ彼女自身でいる。それだけ。そこには何の特別さもない。

質問2. 「ガンガジの外見やイメージにある見かけ上の特別さを見透すことができれば、ありのままの自分自身に会うための招待を受けられるだろう」という表現の意味

この質問にもすでに答えてしまったかもしれない。ガンガジは自由を誠実なやり方で指し示してるんだと僕は思っている。ただ、メッセージの伝え方の特殊さが邪魔になっているように感じるというだけだ。だから、その特殊さの罠を見抜いたらどうだろうというのが僕の見方。メッセンジャーや伝え方にはあまり注意を向けないで、指し示されているものをただ見たらいいんだと思う。指し示されているものとは、ありのままに今あるものだ。

質問3. 上記2.はガンガジやアジャシャンティ、あるいは英語圏で使われるRoshiやSesshinといった特殊な呼称だけでなく、大文字で書かれる気づき (Awareness)、プレゼンス (Presence) 、観照者 (Witness) といった表現にも関係してくると思うが、それについては?

そのとおり。それはすごく言えてる。アジャシャンティもガンガジと同じように、たいていは真実を指し示しているんだと僕は思うけれど、メッセージの伝え方 (名前も含めて) が注意を逸らす原因になっているかもしれない。

それから、気づきプレゼンスといった言葉が注意を逸らしてしまうというのもそうだと思う。それは何か特別なものなんだという印象を与えるから。こういう大文字で書かれた言葉を日本語でどう表現するのかは僕は知らない。知っているのは、日本語には大文字、小文字の区別はないってことくらい。でも、日本語で表現されるときでも、特別に扱われているんじゃないかとは思う。いずれにしても英語で書くときに僕は大文字で表現することはない。誤解の元だと思うから。何か特殊なものなんだっていう印象を与えてしまう。

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ということで、ジョーイの「ガンガジ批判」と言うほどのことでもないのがわかった。受け取る側が明らかに誤解するような伝え方、表現方法はどうなの?という疑問なんだろう。

同じ文脈で、袈裟を着た老師なんていうのも僕は生理的にダメで、「それって、自分を尊師と呼ぶのとあまり変わらないんじゃ」とすら思ってしまう。OSHOサニヤシンのローブも苦手だ (本当はサニヤシン名も苦手だけど、そこまで言うと敵を無用に増やしそうだ。言ってるけど) 。ジョーイのように、完璧に自分の役割を演じているんだな、とシンプルに思えればいいけれど。どうでもいいことなのに、ひっかかるところにはひっかかる。くせヒゲみたいなものなのかもしれない。

記事タイトルに「ガンガジ編」と書いたけど、次があるかどうかは不明。

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ジョーイ・ロットへの質問 ガンガジ編」への11件のフィードバック

  1. かなり前からブログを拝見しておりましたが初めてコメントさせていただきます。

    覚者と呼ばれる方々の本に長年触れてきて、特別感を醸し出す先生はもうあまり好みませんし、美しくパッケージングされたものや甘い味付けものはとても魅力的ですがもうお腹いっぱいです(笑)
    そこでダイレクトパスの登場は強烈でした。
    ダグラス・ハーディングの実験でわかったつもりになっていたものが、よりクリアになった気がします。
    グレッグ・グッドの著書を翻訳してくださったヒロさん、ありがとうございます。
    すでに愛読書です(笑)

    あ、ジョーイ・ロットの話からズレてしまった・・・

  2. 以前は押しつけがましい真似をし、
    大変失礼いたしました。
    それでもどこかワンネスの方たちに興味があり、拝見させていただいています。

    聖者然とした存在を崇拝することが、金が欲しい女が欲しいと同じく、聖なる存在が欲しいという欲であることは、自戒も込めてとても感じています。
    貪欲(ローバ)と意欲(チャンダ)の関係として難しいところではあるのですが。

    ただ、少しおもったのですが、
    ポロシャツ、チノパンの山田太郎さんの言うことなら聞けるけど、
    黄衣に剃髪の比丘の言うことは聞けないのは、なんか逆にもったいないのではないか、なんて思いました。

    いや、押し付けの気は全くないんですが、どっちの世界にもいいこと言ってる人はいると思ったので書き込みさせていただきました。

    応援させていただいています。

  3. はじめまして。
    『わかっちゃった人たち』を読んでこちらのブログを拝見するようになりました。
    『わかっちゃった人たち』が好きで、もう何度も何度も読んでいます。黄色い表紙の本をグレープフルーツみたいに絞って飲みたいくらいです。
    ヒロさん、出版してくださって本当にありがとうございました。

    こういうことを教えている先生たちがいるということもこちらに来るようになってから初めて知りました。でも、私としては悟って先生になった人より、普通の生活を続けている方々の方が魅力的です。実際その方がスキルが高い(笑)という感じがします。悟って先生になるって、なんだかまだまだっていう感じがしていまうのですが、不遜でしょうか。

    まあでももちろん需要があるから先生としての職業が成り立つのでしょうし、そういう人たちの会に行くのは楽しそうですが。特別さの感じを求めて、イベントに参加したい人たちも多いと思います。実際、覚醒した人と交流することでなにかしら覚醒のプロセスに影響もあるかもしれませんし、先生の存在は覚醒を目指す人達にとってはありがたいことだと思います。それになにをどう理解してようとあまり覚醒には関係ないような気もします。だから覚醒することや覚醒した人は特別なことなんだと思っていても別に差し支えないような気もします。覚醒には関係ないけど、でも生きていく上で、まずいのかもしれませんね。

  4. 同意。宗教のエライ先生様やカリスマさんが身につけた我特別装飾は正直もういらんです。だがそういう“投影ホイホイ”にものの見事にホイホイ寄ってしまうのも正直自己責任というか、先生生徒お互い様だろうなと。そのさ中にいる人はまことに聞く耳もたないので、本人が「なにこのときの自分痛いw」と気づくそのときまで、そっとみているしか無いです。
    昔親の宗教信じさせられていたが、正気に返って辞めた経験より…

  5. ぞんさん、はじめまして。コメントありがとうございます。僕は翻訳させてもらっただけですが、やはり出版を決めたナチュラルスピリットがすごいなあと思います。でも、禅の修行を続けていたジョーン・トリフソンが突如バクティに夢中になった話を読んだりすると、「甘い味付け」がいつ魅力的に見えてくるかは誰にもわからないというのも面白いことです。

    YMさん、こんにちは。僕はまさにそこにひっかかるんです。「すごい美人で性格も最高なんだけど、服装のセンスがなあ。あの袈裟みたいなワンピース。しかも肩パット入り」という感じで、もったいないなあと思ってしまいます。受け取られ方に無頓着というのはもったいないです。他のありようがないというのもわかる気はしますが。

    お茶の子さん、はじめまして、こんにちは。Amazonで「中身はない。悟り商法ようのサンプルのような本です。自費出版だけある。」というレビューを発見し、多少凹んでいたところだったので、地獄に仏の気分です。「訳した本と完全に同一化してるじゃん」という感じですが、仕方ありません。「なにをどう理解してようとあまり覚醒には関係ないような気もします」は、ハッとしました。ありがとうございます。

  6. 皆さんのコメント趣深いですね。いろいろ面白いです。YMさんの普通の山田さんと袈裟の僧侶の話は一理あるかな、とも。自分の理想の不二一元論体言者像を普通人姿に求めることもないかな、と。自分の理解が深まればそういうチグハグな先生に引っかかりを持たずに、変な袈裟や変なホーリーネームもアホのご愛嬌だな、くらいにスルー出来るようになるかもなあ。

    ただ一方で、ダライ・ラマやマザーテレサのようなタイプの人が、あの一目見てキャッチーな臙脂色に黄色い袈裟や、白にブルーの修道服を脱いで宗教組織の権威の力を全く借りずに普通のオジサン・オバさんの姿でも相変わらず同じ事をやりつづけられたのなら、ああ本気なんだなとは思うかな。
    普通姿の人は始めからそれが無いとこからスタートしてるからな…とは思う。

  7. 僧侶の方が袈裟を身に付けたり法名を名乗ったりすることは、ビジネスマンが普段着ではなくてスーツを着用するのと同じことではないですかね。
    そういった衣装によって話を聞きにくる人が増えるなら上手く利用すればいいだけのこと。人に本当に伝えたいことがあるならなおさら。
    そこになにか嫌らしさを感じるというのは、逆に、「普通の人」という姿を崇拝しているようで気持ち悪さ感じます。

    まあ、宗教的権威を利用している人であろうが、「普通」の姿をした人であろうが、本物は本物です。本気で求めているのなら否応なしにぶつかってみるのではないでしょうか。

    服装云々を問題にしているのは勿体ないというか、なんだか、余裕あるんだなーと思いました。

  8. もしかしたら、ですが、
    本人も意識しづらい部分に刻まれた記憶が作り出すヒストリー、それが求める人々を引き寄せ、独特なコミュニティを作り上げてしまうのかな、と思いました。
    置いたことすら忘れているクローゼットの隅の匂い袋の、衣服に移った残り香がふとした瞬間香って、そしてそれに魅きつけられ集う人々の熱で増幅される。
    精神世界系のセミナーで醸し出される『特別な』空気って、こんな感じかもと。

    人間って意識化で色々と共鳴し合う所があると思うので、師を求める人が師が辿った道に倣ってしまっても致し方無いかもしれませんね。例えそれが自分の物語を手放す過程であっても。

    これはベタで身もフタも無い話ですが、民族衣装ってどうしても異民族には馴染まないと思うんです。特に白人種にアジア、アフリカ等の民族衣装は、私にはどうも浮いて見えて。生まれ持った個性を覆ってしまう様な服装を選ぶその感性にどうも違和感を感じてしまいます。(人の内面って良くも悪くも全て表に現れると私は思うので)
    とは言え矛盾があるのが人間であって、ジョーイの言う通りその『誰か』の言葉だからではなくそこに提示されたものだけを受け取れば良いんですよね(苦笑)。
    確かにくだらないことが気になるのはその余裕がある証拠。くだらないことつぶやくの、好きですが(苦笑)。

    ちなみに今回の記事を読んで、ぜひジョーイとヒロさんのインタビュー形式の書簡集を読んでみたいと思いました。(ヒロさん→ジョーイ だけでなく、ジョーイ→ヒロさん もある形で)
    こんな企画、いかがでしょう?

  9. inglewolfさん、どうもありがとうございます。

    残り香という表現、すごく見事です。すっきりしました。ほんとうに綺麗な詩ですね。

    インタビュー形式のやりとりというのは面白いかなと僕もちょっと思ったのですが、ジョーイが出版しているQ&A集やふたつの対談で、思いつきそうなことは全部カバーされています。ただ、彼は似たようなことを聞かれてもあまり気にしない人みたいなので、聞きたいことが浮かんできたら質問はしてみたいと思っています。ひとつ考えたのは、ニサルガダッタやラマナの本を読んでいて「あれ、これどうなの?」と疑問を感じる点、ひっかかる点について聞くというものですが、そういうのはどうでもいいときは本当にどうでもいいんですよね。彼の本を読んでいるとそうなることが多いです。

    提案どうもありがとうございます!

  10. ヒロさん、こんばんは。

    今また読み返してます。ボクみたいな探求者には最高の実践本ですね。
    グレッグの言葉は具体的でハッキリしていて「??」のまま置き去りにされることはありませんでした。もちろん実験では「?」はありますが(笑)。
    ボク的には一番だったのは直接の経験とはどういうものかが明確になり、すごく助けられたことです。で、気づきと恋に落ちましたっ(笑) 甘美さっていいですね~(笑)

  11. tetsuyaさん、どうもありがとうございます。

    恋、いいですね。ブログ記事も拝見しました。本ではダグラス・ハーディングにも言及しているので、tetsuyaさんはどう読まれるのかなあと興味深く思っていました。

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