件名の書き方

 
会社員だったころ、メールの件名にいちいち【重要】とか《至急》と付ける人がいて、それが嫌いだった。わざと読まずに放置したりした。

重要かどうかを勝手に決めるなよ、こっちも忙しいんだから、と。

それと同じ気持ちを今、悟りとか覚醒と言われるものに対して感じていることに気づいた。

何でもないことなのに大層な名前を付けるなよ。分厚い本とか出すなよ。ミーティングとかリトリートとかするなよ。ヨーロッパやアメリカにまで行っちゃったよ、と。

「非二元」であっても「それ」であっても、名前をつけてしまえば何かになる。何かに対する何かになる。でも本当は何かは何もないし、「本当は」なんてこともありえない。全部本当なのに「本当は」なんてない。

悟りや目覚めや非二元について語ること自体が相当な不親切だ。「ここで言うことは真実ではありえない。言葉だから」と言われたって、不親切さは変わらない。そうやって語ってるじゃん! しかも何年も!

そういう無神経さに多少イライラしている五月のある午前。

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件名の書き方」への11件のフィードバック

  1. 2度目の書き込みになります。
    (キリスト教の方の所のコメント欄で書き込みさせていただきました。)

    押し付けたりする気はまっったく無いんですが、ヒロさんは仏教(ここでは特にテーラワーダ仏教)って興味ないですか?

    もし、クリシュナムルティのいうように、既成の宗教はスピリチュアルの残り屑でしかなくて無意味、有害、嘲笑すべきゴミ、とかの強い主義を持っているわけではなかったら、
    たまーには目先を変えて、非二元も大切にしつつも、
    無常、苦、無我の三法印や、十二縁起、そして五戒や八正道といった、既成の’ツール・技術’を使う、いまここ、も試してみてはいかがでしょうか。

    いや、差し出がましいのはわかってるのですが、非二元の手法?は、いつか(それは本当はもういまの丸出しでそのまんまいまらしいですけど、実際はよくわかんないのだからいまではない以上いつか)にわかるのを、じーっと待ってる状態ではないですか。

    これは悟り的なことに限らずどんなことでもとおもうのですが、何か精進し昨日より今日、さっきよりいま向上している感覚なしに、待ち続けるのはとてもストレスフルなことだと思うのです。

    悪をなさず善をなす。
    苦受も楽受も等価に気づき、ただ見送る。
    いま去来している、このこれも、俺はこのこれなんだ!と握らず、ただただ、ああこのこれがあるなあと気づくetc

    こういう’訓練’の手法で、非二元の方たちが語る のとほとんど同じ体験ができると思うのですね、一般論としてもそうだといいますし、少なくとも私はそうです。
    (私は絶対に悟ってませんが笑、非二元の方と同じ感覚はあります。)

    ヒロさんの膨大な非二元の翻訳や勉強など、本当に頭が下がるばかりです。
    でも、もし、お時間が許すのでしたら、ブッダ(覚者つながりで言えば、この方も元祖覚者ですし仲間です)の考えなども、
    取り入れてみたらいかがでしょうか。

    テーラワーダと非二元、私の中ではとても仲良く高め合う関係として並存しています。

    押し付け宗教気持ち悪い、と思われましたら、本当にそれはすみません。

  2. YMさん、こんにちは。

    仏教は既成宗教だから嫌いだとか学ぶことはないはずだとか、そういうことは感じていません。(正直言って、原始仏教やテーラワーダと称するものを実践する何人かに会った経験から言うと、まさにこの記事で書いた【重要】というラベルを貼っている感じがして、素直に聞く気にはならないのですが。妙好人的なあり方には惹かれます)

    ただ、何か方法があるはずだ、それを探したいという感覚が今は弱くなっていて、僕に何かの方法を勧めるというのはタイミング的には最悪です(笑)

    非二元と呼ばれているものにこだわる気持ちも全然なくて、むしろそういうような括り方は【重要】ラベルの一種だと思って、ペッペッ!という気分になっていたところでした。

    でもたぶん、非二元というものは優れたものなんだ!という【重要】ラベルを自分で貼りまくっていたために、それがこのブログのいたるところから臭っていたんだと思います。その無自覚さは反省しています。

  3. はじめまして

    今はイライラしてないわけでしょう?
    イライラは過去に起こったことですよね?
    私自身はテーラワーダというよりはヴィパッサナー瞑想だけを実践してるのですが、ラベリングしてる奴と思われてもかまないのですが。

    イライラは消えますよ

  4. crazydoctor (@yumefantasy)さん、イライラするのが嫌だと言っているように聞こえたかもしれませんが、それはありません。たぶん、関心の領域が違うんだと思います。

  5. そー言えば、20数年前、会社をさぼって多摩川べりでのんびりしていたとき、目をきらきらさせて声をかけてきたおばさんが
    あなたは神に出会ってないとか、こうすれば出会えて幸せになれるとか、穏やかな口調でしつこく説教を続けるので、話を終わらせたくて
    わたしが神ですが何か?
    と言ったら、キョトンとして絶句したあと、この人は頭がいかれていると思ったらしく、ニコニコしながら去っていきました(笑

    何かの手法とか構造的な枠組みに興じるのは、それぞれに起こるプロセスだし、そこで体験できる世界というものはあるとは思いますが、こと精神世界系や宗教的な特定の枠組みに興じているとき、大きな勘違いが前提にある場合も多いとおもいますね。
    このおばさんのように。
    まずは、自身の経験から、その枠組みが絶対だと確信すること。
    それが他の人も潜在的に望んでいることだと思い込むこと。
    それを普及することが絶対善だと思い込むこと。

    何者かになろうとすること、それ自体のエネルギーが存在しない有り様というものが彼らの世界のなかにはないのだと思います。
    何者かになろうとすること、そのための枠組み手法を持たないことは、無知だとか未熟だとか怠慢だとか意味がないとか、ある種の思想に囚われているとか、特定の枠組でしかその有り様を理解できないのかなと。

    特定の枠組み、手法に興じ、そこを基点に世界を解釈する有り様それ自体に不自由さと違和感を感じる人種もいるのですよ。

    あなたはキリシタンですか、私は仏教です、こちらは引き寄せ系ですが、あちらは非二元ですね。あっこちらは今ここ系ですか。
    いろいろな世界があってそれぞれでしか体験できない世界があると思いますし、実際に起きてることでしょう。
    で、そのどれでもないとしかいいようのない人種もいるのですよ。

  6. >本当は何かは何もないし、「本当は」なんてこともありえない。全部本当なのに「本当は」なんてない。

    このお言葉がすべてだと感じました。
    これまで「本当のこと」を探すのにひどく忙しくしていたぶん、
    ふつうに目の前のお仕事して、ゆっくりお茶でも飲みます…

  7. イライラして周りの何かに反応してしまう時と、イライラせずに受け流したり興味を持ったりする時、自分自身はそれを繰り返しているなぁと思います。
    そう思いつつも最近は、イライラは身体からのシグナルを脳がそう解釈しているだけだなと理解出来る様になり、また何にどう反応するかが自分を知る手掛かりにもなるなと思える様になったので、前より楽にイライラしていますが(笑)。

    非二元の世界に詳しくないのですが、『覚醒』している人達はこのパターンから解放されていて、イライラしたりすることはないのでしょうか?

    【重要】や《至急》付きのメールにイラッと来る感じ、もう少ししたらやろうと思っている時に「宿題はやった?」と母親に聞かれてとやる気を削がれる感じを思い出しました(苦笑)。
    あの時味わう『今やろうと思ってたのに。。。』を、気づいたら他人に強いていたりするんですよね。。。この刷り込み、相当根深いなと思いました。それから解放されるのであれば、『覚醒』も良いかなぁ。。

  8. ヒロさんこんにちは。

    ふとたまに「わかっちゃった人たち」を読み返してみると、真っ白感というか空白感というか、コレジャナイ感とはまた全然違う、意識の焦点をキャンセルされてしまうような感じを受けることがあります。

    そんな感じに浸っていると、身体や脳やその他の世界も、ほんとに働き者なんだなぁ、という思いが浮かんできます。

    私にとってはいい意味で不思議な本です。「わかっちゃった人たち」は。

  9. 青雀さん、「会社をさぼって」はまずいです(笑)

    目の前にあるこれから逃れて何かになろうとする動きも、純粋に非個人的でエネルギー的なものなのでしょうけれども、個人的な性質のようにしか見えず、そのあたりが絶妙で面白いです。季節がめぐって花々が咲いてというのもすごい話ですが、好き嫌いがあるというのもすごいなあと感じます。

    ひかりさん、こんにちは。

    まさにリチャード・シルベスターのDrink Tea, Eat Cakeの世界ですね。お茶を飲むということの奇跡に気づかないというのも、またありえないレベルの奇跡だと感じます。

    inglewolfさん、こんにちは。

    「覚醒したら〜になる」というのは、吉永小百合はウンチをしないという伝説と同じ類の与太話だと僕は思っています。「うちのテレビさあ、部品をふたつばかり中国製から日本製に変えたわけよ。そしたらテレ朝のドラマの筋がめちゃくちゃ面白くなっちゃって。」といった感じのデタラメです。

    過去も未来も思考としてしかありえず、その思考は今この瞬間にしか起こりえないという単純な理由で、「覚醒したら〜」は成立しようがありません。ニサルガダッタの短気を引き合いに出すまでもなく、イライラは起こり続けるはずです。(適当に書いてみました。)

    voxさん、コメントありがとうございます。

    「意識の焦点をキャンセルされてしまう」というのはすごい表現ですね!

  10. なんというか、意識の力みが解除される感じでしょうか。意識の偏りを力む意識でバランスとろうとしてる自分がわかりますね。

    度々のコメントすいません。グレッグ・グッドの新刊楽しみにしております。

  11. 「悟りに関して語ることは相当な不親切」 確かにそうですね。
    しかし私の場合は語られなければそういうことにもづきませんでした。

    悟りに関する理屈を知って「あ、そういうことか」じゃ何の役にも立たない。そんなことを知っても本当は何にもすっきりしていない自分がいる。ここからが本当の勝負な気がします。
    こんなもんだってお茶を濁すか、真剣に自分自身と向き合うか。

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