これって?

 
ここにあるこれを表すのに、プレゼンスとか「今ここ」とか真我とか〈意識〉とか「ビーイング」とか「それ」とか、いろんな言葉が使われる。

どれもミスリーディングだ。プレゼンス! アートマン!と言われると、それはここにはないものとか、今起こっていない何らかの状態なのかなという想像が生じる。

今ここ!と言われれば、今ここ以外にいることができるという滑稽な仮定が生じる。

「それ」というのも微妙で、これじゃないという感じがする。

ジョーイ・ロットが「これ」でも〈これ〉でもこれでもなく、これなんだと繰り返すおかげで、これなのか、ということが自明なことになっている。

これがそうなら、探求など成立しようがない。おわりだ。

でも平気な顔で「これって何だっけ?」と探求が起こる。見事としか言いようがない。

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これって?」への7件のフィードバック

  1. いつもありがとうございます

    これは、どれでもないこれ

    という言葉が起こりました

  2. ヒロさん、こんにちは!
    「これ」とか〈これ〉なら、あ~、気づきとかプレゼンスとか意識のことね!で終わりそうなんですけど、思考や何もかもが、ただのこれだと言われると、マインドは「???」って、なってしまいます。 で、ジョーイがわざわざ「これ」とか〈これ〉でもなく、これなんだと書いているのには、ちゃんとした意図があるように思えて、尚さら知りたくてしかたありません(笑)
    でも、これがなんなのかがわかるときは、きっと気づきとその内容(見かけ)という偽の分離を見破ったときなんでしょうね(笑)
    そういう意味では、5月に出版予定のグレッグ・グッドの邦訳本「Standing as Awareness」すごく楽しみです。日本語でのタイトル(仮)が「気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?」となる予定みたいですけど、まさにジョーイはこの視点から言っているんだろうと思います。

  3. いつも楽しく拝見してます。
    ジョーイロットの表現のしかたがポップで特に気に入ってます。

    探求というのは何だかんだ言っても楽しかったり、生きがいになったりしていて、早々に終わりにしてもらったら困るよ!ってのがどこかに本音としてあるのかなあ、とちょっと思いました。

  4. tetsuyaさん、こんにちは。

    「気づきの視点に立ってみたら〜」というのはじつはこの本の方便で、最後にはそういう視点も・・・と、楽しみが減るといけないのでここでやめておきますが(笑)、プレゼンスとか〈意識〉とか「在る」といったいわくありげでミスリーディングな言葉も、それがポインターでしかないことがわかったら自由に使ってかまわないというのがグレッグの見解で、そのあたりの自由さはとても魅力的です。

    NAさん、コメントありがとうございます。

    ジョーイの表現はユニークですね。非二元の決まり文句にかなりうんざりしていたところだったので、彼の表現は文字どおりフレッシュエアーのように感じます。

    探求についてはまさにそう感じます。逆に言えば、すでに終わっているということにどこかで気づいている面もあるのかなと思います。その気づいている何かが自分をじっと見ていることに気づいてギョッとして、という感じを体験しているからこそ、無駄な努力であっても探求を続けるという感じもします。

  5. ヒロさん、はじめまして。
    いつも楽しく読ませて頂いております。

    ここにあって、
    今起こっていること…。
    これって、これですか!?

    しかしこれにくつろぐことができるのか…。
    ひとまずグレッグさんの本が出るまでこれにくつろぐ試みを…ってまた探求しちゃいます笑

  6. TKさん、はじめまして、こんにちは。

    「くつろぐ」とか「とどまる」といったこともこれで、全然くつろいでいない状態、あるいはジョーイのように強迫的思考にやられている状態もこれだ、ということをジョーイは言っているんだと思います。

    それじゃあ何も言っていないのと同じだよ、というつっこみもまたこれなのでしょうが、グレッグのStanding as Awarenessはこれを「何か」にしようとする動きの足場を優しく崩してくれますので (というよりも足場などありえないことを示してくれます)、その意味ではジョーイの言葉で足りない場合は面白いと思います。

  7. やることなすこと、全部が全部、これな訳ですね。
    確かにそうなったら探求が成立しようもないです笑
    「じゃあどうする?」という足場がどうしても出来てしまいますが、それを優しく崩してくれるグレッグさんの本、本当に楽しみです!

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