スピリチュアルの権威 ジョーイ・ロット

 
ジョーイ・ロット和訳センターと化している。以前はルパート・スパイラ非公式ファンサイトだったり、トニー・パーソンズ教団日本教会だったり、ジョーン・トリフソン案内所だったりしたから、その流れの続きと考えればいいのかもしれない。

原文: Authority (joeylott.com)

== 以下、訳 ==

権威

僕は反権威主義の傾向が強い。そういう偏りがある。そのことは正直に言っておきたい。

「スピリチュアル」業界全体で、この権威ってものがゲームを支える役目を果たしている。探求者たちがいて、それから先生やグルがいる。ゲームの中ではグルに権威があるとされている。

でも、何についての権威なんだ? それに、どんな根拠がある?

誰が決めた?

僕の経験から言うと、権威ってものそれ自体が問題だ。なぜなら、分離があるとか到達レベルの差があるっていう誤った考えを権威は強化してしまうから。グルに権威があるっていうことは、つまりそのグルは自分たちとは違うし、ほかの人たちにはない特別な知識や知恵や能力を持っているということになる。グルは高いレベルにおられるんだ、と。

もちろん、伝統的な意味での、あるいは本当の意味でのグルという概念はもしかしたら問題じゃないかもしれない。本当に優れたグルであれば、レベルも分離も到達度もないってことを明確に伝えているかもしれないし。

でも今のスピリチュアル市場を眺めると、そうは見えない。それに、どちらかと言えば、誰が本当の権威なのか、誰が真理へ到達する唯一の道を独占しているのかということをめぐって議論や争いが絶えないようだ。

それが間違った印象につながっている。僕らは、到達段階に差があって深刻で重要な霊性と呼ばれるような何かがあるんだと思い込まされている。そこで成功するってことは、永遠に続くオーガズムとアイスクリームという素晴らしい賞品を勝ち取ること。逆にそこで失敗すると、間断なく続く苦しみにさらされることになる。地獄の刑罰。業火。歯ぎしり。もしくはラクダか何かの「低級」な生き物に生まれ変わる。それはまるで、自分たちは「人間としての一生という尊い贈り物」を無駄に費やしたりしかねない分離した人間なんですと言ってるみたいに聞こえる。

僕はこう言う。アホか。

そんなのは、ばかばかしいエリート主義にすぎない。僕はエリート主義が大嫌いだ。さっきも書いたけど、これは個人的な好みの話だ。

それでも言わなきゃならない。率直に、心から。エリート主義のストーリー、権威主義のストーリーを裏づけるようなものなんか、ほんの少しも僕には見つけられない。それにぶっちゃけてしまえば、そういう考えを伝えている連中は (a) 勘違いしているか、(b) 嘘つきか、そのどちらかに決まってるというのが僕の考えだ。

僕はこう見ている。スピリチュアルなストーリーはどんなものであっても文化的な偏見を反映していると思う。高度に洗練された人たちが生みだすスピリチュアルなストーリーには、堕落というテーマと、そこからの帰還あるいは救済という欲求がからんでくることが多い。それほど文明化されていない人たちのスピリチュアルなストーリーには、生との本来的なつながりというテーマがたびたび登場する。

それから、ストーリーから離れることを示し、あらゆるストーリーを受け取っているもの ― その中でそしてそれとしてすべてのストーリーが現れたり消えたりしているもの ― を指し示すストーリーもある。

で、ずっとここにあるものを指し示すそういうストーリーは、本質的に反権威主義だ。そういうストーリーが権威主義に反対してるってわけじゃない。そういうストーリーがシンプルに明らかにしてるのは、あらゆる種類の権威とかエリート主義とか分離のまさに土台が、からっぽで実体がなく形もない本質であって、それはそれ自体の中で、それ自体として、それ自体をとおして見かけの上で動きまわり、それ自体に出会い、それ自体にみずからの姿を現してるってことだ。分離はない。形はない。あるのはこれだけだ。

権威には確たる土台なんかない。

僕の見方では、僕らに必要なのは権威じゃない。必要なのは、自分自身を受け取る自分自身だけ、指し示している指の意味を理解しようとして頭を悩ませるのをやめて指し示されているものを見る自分自身だけだ。

ゲームが続くとしたら、案内をしてくれる友人たちのゲームが僕は好きだ。案内役には権威がない。案内役はすごく特別ってわけじゃない。案内役はたまたま道を歩いたことがあって、土地を知っているっていうだけだ。それだけ。

それで友人同士で一緒に歩みながら、見えるものを一緒に調べたり見たりするのであれば、権威が登場する場面なんかどこにあるっていうんだろう? 権威なんかたちまち無意味で無駄なものになる。

ほんの少しのあいだでいいから、たった今、手放してみよう。すべてが起こるままにしてみよう。どうしたら手放せるのかわからない? じゃあ手を丸めて、うんざりするまでぎゅっと握ってほしい。もうダメだと思っても、さらに数秒握りしめる。で、放す。これが手放すってことだ。ただ手放す。握るのをやめる。筋肉の緊張をすべて手放す。収縮したくなる気持ちに気づいて、そしてただ手放す。今だけでいいからやってみる。

ここで、こうやって手放しながら、手放すことのなかで見つかるものだけを当てにするとしたら、権威なんてものがあるという証拠が見つかるだろうか? 天国とか地獄があるっていう証拠は? 分離があるという証拠はどうだろう? ただ生きているというシンプルで楽な感覚以外のものが何かあるっていう証拠を見つけられる?

どこかに境界があるだろうか? レベルの差は?

僕と君のあいだに分離はあるだろうか? 付け足さなきゃいけないもの、獲得しなきゃいけないものが何かある?

自分がいまあるとおりにあり続ける。それが秘密だ。それにそれは既に起こっていることでもある。自分じゃないものになることなんかできない。

== 訳は以上 ==

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スピリチュアルの権威 ジョーイ・ロット」への3件のフィードバック

  1. いつも私が不思議に思うのは自分の体験を絶対的に正しいと思っている人たちです。

    外の権威を否定するのは結構ですが自分の体験を解釈するときに客観的に見れないのかと不思議に思ってしいます。

    瞑想などを長くしているといろいろな体験をしますが、ただの「ある体験生じただけ」であってアドヴァイタが真理だと導く証拠などにはなりません。

    ただ自分の体験を権威として信じているだけにしか見えません。

    > (a) 勘違いしているか、(b) 嘘つきか、そのどちらかに決まってるというのが僕の考えだ。

    勘違いしても本人が幸せなら良いですけど。
    嘘つきは騙される信者が可愛そうですが自己責任ですね。

  2. ヒロさん、こんばんは~!tetsuyaです。
    ホント、証拠なんて何もないですよね。今あるとおりにあるだけです。
    ジョーイのメッセージにはいつもシェアしたい!という思いがひしひしと感じられて、それがいつも胸に沁みてきて暖かい気持ちになります(笑)
    ジョーイの本、楽しみにしています!

  3. tetsuyaさん、こんにちは。

    暖かく楽しい気持ちになるという意味では、tetsuyaさんのブログにも本当にそんな感じを受けます。読んでいただいて、ありがとうございます。

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