生き地獄とこれ ジョーイ・ロット

 
書籍の翻訳をしつつ、ブログでも記事の和訳をするということを続けている。(何の本かは、まだ言わない)

さいわいなことに、「そんなことしてるヒマがあったら、本のほうを早く進めてください」とか言われることはないから (少なくともこれまでは) 、これからも並行作業は続けるんじゃないかと思う。たぶん。

それにしても、ジョーイ・ロットの記事は人気がある。ほかの表現が表しきれなかったものを彼の表現はもっているのかもしれないと感じる。と言うよりも、ほかの表現が余計に背負ってたものが片付いていると言ったほうがいいのかも。ジョーイのガンガジ評を読むと、そんな印象が強まる (ガンガジのファンは多そうだから訳さないが) 。あと、訳していると勝手に日本語が浮かんでくる感じでかなり気持ちいい。

ジョーイのブログの記事をひとつ和訳した。パワフルでいい記事だ。

原文: Obsessive Thinking, Compulsive Behavior, and Hell (joeylott.com)

== 以下、訳 ==

強迫観念、強迫行為、生き地獄

以前僕の人生は強迫観念や強迫行為に支配されていた。熟睡してるとき以外はずっと強迫観念と強迫行為にはまっていた。生き地獄だ。

そうやって強迫観念や強迫行為や強迫性障害のひどい生き地獄の苦しみを経験してきたからこそ、本当のやすらぎと自由を見いだせる可能性について僕は熱く語ってきた。

なんといっても、この情報を伝えている人はほとんどいない。とは言っても、これを読んでいる人が想像しているよりもずっと簡単にやすらぎと自由は見いだせる。というより、簡単すぎてお話にならないほどだ。あんまり簡単だから、すること自体ができない。することじゃないってこと。

どんな強迫観念も強迫行為も、することだってことがわかるだろうか。すごく骨が折れる。きついことだ。

生き地獄。僕は強迫的に考えて行動するってことにあまりに精を出しすぎて ― それに、そういうことをどうにか止めようとして頑張ってもいた ― 、ベッドから出てもいないうちに毎朝すっかり疲れ果てていた。

「ああ、嫌だ! こんな生き地獄はもううんざりだ!」とか考えてた。それからもっと考えた。そしてそういうことを止めようとしてまた頑張った。強迫行為はそれでもまた続いた。それからまたそれを止めようとしてもがいた。

僕の過去のことをあまり知らない人がいるかもしれないから簡単に言っておくと、それは度を越したものだった。起きている時間のうち少なくとも半分は完全なパニック状態だった。不安をやりすごすための作戦として (相当ダメな作戦だ) 、荷物用の車で暮らしてた。生のサツマイモしか口にしない日々がときには何ヶ月も続いたりした。被害妄想がとてつもなくひどいせいで、手に入る水道水のすべてに誰かが毒を混入していると心底思い込んでいた。自分に危害を加えようとしている大きな陰謀に巻き込まれているんだと。

で、それは氷山のほんの一角だ。まったく正気の沙汰じゃなかった。

奇妙なことだ。というのは、そんな悪夢が20年以上続いたんだから、いまこうして完全にすっかりそういうことから解放されてるというのはすごいことだと思われるだろうから。

たしかにすごいことではある。

でも、それでいて。すごいことじゃない。なにしろこれが存在するすべてだってことはもう明白だからだ。

すべてはただこれなんだってことがわかると、これと比較できるようなものが何もなくなる。昔の記憶に戻ってそれと今を比較するなんてことはもうできない。それというのも、記憶だって単にこれなんだってことがはっきりとわかるから。そういう記憶も今と別のものじゃない。

そんなのおかしいとか、わけがわからんと思ってる人もいるかもしれない。そういう人はこの先を読んでほしい。説明していくから。

ここに書いてるのは理屈じゃない。新しい考え方じゃない。概念でもない。信じることでもない。

直接の経験だ。

たった今ちゃんと見てみれば、これが直接の経験だってことは間違いなくわかる。

強迫観念とつきあうのに僕がとっていた基本戦略について。以前は自分の思考を変えようとしてた。思考を取り除こうとしてた。思考をマシなものにしようとしてた。思考を静めようとしてた。思考を麻痺させようとしてた。

ひとつくらいは身に覚えがあるんじゃないだろうか。

強迫行為に対しても同じことをしてた。そういう行動を止めようとしてた。止まらないなら変えようとしてた。それもうまくいかなければ気を逸らそうとした。それもだめなら麻痺させようとした。

これも身に覚えがあるかな?

ここでうなずいた人にとっては、僕がここで言うこと (正確に言えば書くことだけど) はすごく役立つことになるかもしれない。

今あげたような作戦はうまくいかなかった。結果的に。どれもだめだった。僕がいちばん求めてたのは、本当のやすらぎと自由だったからだ。で、僕の作戦は結局時間とともに苦しみを増やしただけだった。思考はもっとやかましくなって、さらに邪魔になった。強迫行為もどんどんひどくなった。

ついに気がついたのは、どの作戦にもその中心には同じ前提があるってことだった。どんな前提かと言えば・・・

・思考には力がある

・感覚には意味がある

・思考は問題を解決してくれる

・行動は問題を解決できる

・何かが間違ってる

・すべて自分に関することだ

それからもっと大きな前提。

・この今起こっていることから切り離されて自分ってものが存在してる

これだけがあって、これが存在するすべてだってこと ― これと別に自分がいるなんてことはないってこと ― がわかると、どの前提も崩壊する。すべてがすっかり明白になる。そしてそこには明晰さがある。

思考は変わる必要もないし、消える必要もない。感覚は変わる必要も消える必要もない。すべて歓迎だ。なんといっても、すべては単にこれだってことがついにわかるんだから。

それから、これっていうのはものじゃない。〈これ〉でもない。ただのこれだ。たった今のそのままのこれ。まさにこれ。

これって何だよという思考が起こる前に、ただこれがある。思考も単にこれだ。

僕が勧めるのはこんなことだ。強迫観念と強迫行為に苦しんでいる人へ。何が起こっているかとか、それは何を意味してるんだろうという思考の前に、いま起こっていることを自分が直接じかに経験してるってことに気づいてほしい。それはあまりに近くて直接的すぎるから、思考にそれを表現させようとすれば、見逃してしまうことになる。だから、表現することも理解することもできない直接の経験があるってことにただ注意を向ける。表現も理解もできないけど、それが起こってるということはわかる。それは否定しようがない経験だから。

それから、いろんな作戦を使って解決しようとしてきたけど、それはじつはものじゃないってことに注目しよう。強迫行為なんてものはないってことに気づくだろうか。感覚があるだけだ。でもその感覚だって絶えず変化を続けている。だからそれに強迫行為とか感覚っていう名前をつけてしまえば、実際にいまあるものを見逃してしまう。

実際にいまあるものを知るためのただひとつの方法、それはそこにじかに留まるってこと。

これはいつも起こってる。そこに注意を向けるだけでいい。何も付け足そうとせずに。

で、起こってる思考とか感覚は誰のものなのか、その人は誰なのかってことを見てみよう。

そりゃ自分だよと思ってるだろう。すべて自分のことだと思ってる。自分の経験。自分の思考。自分の感覚。自分の強迫観念。自分の人生。

でもとにかく見てみよう。このすべては一体何を参照しているのかってことを見てみる。

何が見つかる? 何かが見つかるだろうか?

僕が発見したのは、誰もいないってこと。

それがわかっても何も変わらない。なぜって、いつだって今あるものがあるだけだから。何がどうなってもこれがあるだけだ。

だから、派手なドカンとか、幻覚とか、体外離脱とか、そういうことじゃない。

いま目の前にあるものをただ見るってことだ。自分という名前の何かが独立して存在してるなんてことはない。自分っていうのははじめからずっと単なる幻だ。

思考は起こる。感覚は起こる。なんでも起こる。でも誰かに起こってるわけじゃない。誰のものでもない。

これにはどんな意味もない。自分がマシになるっていう話じゃない。「存在してない自分」とかいう進化したニューバージョンの自分になるわけじゃない。いまあるものをそのままただ見るってことだ。どこまでいってもそれだけしかない。以前と何も変わらない。なにしろ、以前なんてものはないってことは明らかなんだから。

「以前」も単にこれだ。いつだってこれしかない。誰かについての話じゃない。ただこれ。

で、ちなみに僕の経験のことを言うと、それが苦しみの終わりだった。思考が止まったわけじゃない。強迫的な感覚がなくなったわけでもない。ただ、それが自分のことじゃないだってことが今はわかるっていうだけだ。自分に起こってるわけじゃない。自分のものなんて何もない。でも、昔と同じパターンとか癖が起こらなくなるとは言ってない。ただ、苦しみはない。ただこれだってことがわかるから。それで、面白いことに、強迫観念とか強迫行為と呼ばれるような古いパターンとか癖が起こることがかなり減ったような気がする。

でもそれはどうでもいい。それが目標ってわけじゃない。それが目標だとずっと考えてた。でも、僕の経験から言えば、強迫観念や強迫行為が減るってことは、本当のやすらぎとか自由にはまったく全然関係ない。そういうことは大したことじゃないとわかると、単にあまり起こらなくなるというそれだけの話だ。ただ単に、そういうことはいま起こってることだ。

いつものことだけど。コメント、質問歓迎。

== 訳は以上 ==

読んでいると、わけもなく泣きたくなる。美しさがやってくる。美しさがずっとあったことに気づく。気づかなくても、やっぱり気づいている。

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生き地獄とこれ ジョーイ・ロット」への10件のフィードバック

  1. ジョーイ・ロット・・・なんか凄い!なんかいいい!
    有名な覚醒者と違って、心?マインド?に直接響いてくる感じがします。(もしかしたら、突き刺さってくる?)
    是非、著作も読んでみたいです。

    翻訳中の本も気になります。

  2. ヒロさん
    ジョーイ・ロットさんの記事を読むと
    私も訳もなく涙が出ます(笑)
    わかっちゃった人たちも
    読んでいるところです
    この出会いに心から感謝します
    ありがとうございます

  3. ヒロさん、いつも素敵な記事をありがとうございます!

    僕は相変わらずジョーイ・ロットさんの記事を読んでいると訳もなく声を出して笑ってしまいますwwwwww僕も涙が出るような清い感受性がほしいwwwwww

    ガンガジ大好きなので逆にジョーイ・ロットがなんと言っているのか少し気になりますwwwwもし気が向いたら今度そちらの記事も訳していただけたらうれしいです!

    先ほどわかっちゃった人たちが届きました。まだ少ししか読んでないのですがめちゃくちゃ楽しいです。やっぱり読んでいるだけで笑いが込み上げてきます。

    現在翻訳されている本、以前コメントさせていただいたときにおすすめしていただいた本かなって思うのですが、今度は出版された瞬間に買うって決めてます。本当にすごく楽しみです。

    いつも素晴らしい翻訳をありがとうございます!

  4. KOJIさん、こんにちは。突き刺さる感じはたしかにありますね。自分でも急所だと認識してなかった場所をふいに突かれるような。彼の本は何冊か本当にいいものがあるので、日本語になるといいなと思います。

    hanaさん、コメントありがとうございます。どこから来る涙なのかわからないのが面白いなあと感じます。『わかっちゃった人たち』も楽しんでください。

    まつたけさん、こんにちは。僕も彼の本で笑いがとまらなくなったことがあるので (気味悪いほど止まらない) 、涙と笑いは同じことなのかもしれません。

    ガンガジについては、どの本に書かれていたのか思い出せないのですが、当然そんなにひどいことではありません。ちなみに、ジョーイのサイトの推薦リンクのところにはガンガジのサイトもあるのですが、そこにはこんなことが書いてあります。

    「ガンガジのイメージの大半は探求者に無駄な混乱をもたらす。それでも、ガンガジの伝えていることはすごく直接的で正直だと思う。だから、ガンガジの表現の仕方とかイメージがかもしだす特別さに惑わされずにいられる人なら、本当の自分に会うための招待状を受け取れるだろう」

  5. あ・・・いいですね。ジョーイロットさんの現し。
    細胞単位に響きますね、実感として。
    イメージは、イメージですものね。
    一見としては、わからないところと
    ひなたはわかりやすいけど、影の控えの美しさは背景
    ヒロさんの
    「読んでいると、わけもなく泣きたくなる。美しさがやってくる。美しさがずっとあったことに気づく。気づかなくても、やっぱり気づいている。」

    全くもって、「はい」です。

    先日、ルパートさんの陶器が浮かんだのは
    一見としてでなく、なんとも、何も無さからかもしれませんと
    思いました。

  6. いいですね、ジョーイさん。
    ヒロさんもロンドンまで行ってたんですね、周りのベテランの参加者の目に狂気の色が見えるってのでちょっと笑ってました。
    わかんないときはわかんないんですね・・・。

  7. ヒロさん、おはようございます。
    なんだかヒロさんとジョーイさんが完全に同調しているようなリンクしているような
    そんな勢いがありますね!
    ほんとジョーイさんの言葉は、破壊力ありますね(笑
    破壊力といっても、どかんと壊してしまうようなパワーじゃなくて、
    余計なものを自然に気づかないうちに瞬時に吹き飛ばして全部を顕わにしてしまうような、軽さというか瞬間マジックというか。。
    今年の”春一番”と命名しますた^^
    愛があふれてるね。すごく。

  8. 青雀さん、こんにちは。コメントありがとうございます。

    春一番はいいですね。破壊力と一緒に新しい季節の到来を告げる役割もあって、言い得て妙です。

    石工がみごとにスポットにノミを入れて巨大な岩を割るような、そんなイメージもあります。いろんな現れがあるものだなあと、本当に感心してしまいます。

  9. あ~これでよかったんだ~と思いました。

    途中、泣けてきました

    最近、こちらを訪問しましたが、とても有難いです。

    ジョーイもヒロさんも大好きです!

  10. いはらじゅんこさん、コメントありがとうございます。

    ジョーイの記事はひとつひとつに気合いが入っていて、ラジカルでありながら優しさもあって、すごくいいですよね。

    彼は本をいっぱい出していますが、本の場合は構成とかそういう方面に注意がいってしまうせいなのか、こういう短い記事にある勢いが少し欠けている感じもあります。ですが、最近はブログ記事はあまり更新せず、もっぱら本ばかり書いているようです。

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