「自分」という重力

 
こんど出る『スターピープル』誌に、「ダイレクトパスについて」というものをはじめ、自分が書いた文が3つ掲載される。どれも短いものだけど、翻訳じゃないから初めての経験だ。

それ以外にも、『わかっちゃった人たち』がヨガ専門のフリーペーパーに出たり (と言ってもなぜかプレゼントコーナー) 、これは又聞きだけど、おしゃれっぽいライフスタイル誌でも紹介されたりする予定がある。

そうなると、「自分の文章」とか「自分の訳した本」という「自分」意識がいやおうなく刺激される。「こういうのいやだなあ」と思っていたそのままの感覚がやってきている感じだ。(雑誌の人たちに文句を言ってるわけじゃない)

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2回目にSANDカンファレンスに出たときに、カリフォルニア在住の20代の人が、誰かのセッション中に突然「わかった」ことがあった。そのあとしばらく床を転げながら爆笑していた彼と、その日の夕食で隣り合わせになった。

何をしているのか、なぜこのカンファレンスに興味をもったのか、どんな表現が好きかとか、そんな話をしていると面白いことに気づいた。気づきの広大さについて話すときの彼はどこに焦点があっているのかわからない印象 (いい意味で) なのに、彼のストーリーについての話になると急に「彼の顔」になるのだ。それでしばらく話したあと、口に入れてもぐもぐ噛んでいる食べ物の中に変なものが入っていることに気づいたときのような表情になる。

その行ったり来たりが面白かった。特に「自分」が戻ってくるときの、おかしな魔法にかけられたような顔が。

そんなことを思い出したのは、またジョーイ・ロットの本を読んでいたからだ。こんな意味のことが書いてあった。

「この本では、一貫した言葉づかいを避けている。ある言葉を使いつづけてしまうと、言葉に意味があるような錯覚が生まれやすいから。僕自身がそんな罠に長いことかかっていたから、そうならないようにしたいと思ってる」

トニー・パーソンズは、「それ」を表すのに、ワンネスとか気づきとか意識とか、最近ではエネルギーとか (これは個人的に嫌いだけど) 、いろいろな言葉を使う。ころころ変わる。彼はジョーイほどは明確には言っていないけど、同じような狙いがあるのかもしれない (何かを狙う個人などここには存在しない!と言われそう) 。

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誰がどう表現しようが、「自分」という現象には独特の重力がある。なぜ「自分」には独特の重力があるのか?とか、そこから解放されるにはどうしたらいいか?というその問い自体がけっこうすごい重力になっている。

でも、そういう現象を面白がる視点、もっと言えばそれが愛しくなる感じが出てくるときがある。ごくたまに。出てこい!と思っていないときに。面白い。

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