経験と解釈 ジョーイ・ロット

 
ジョーイ・ロットの文章はけっこう好まれているような気がする (このブログを読みに来る人が増えているから、そう「解釈」している) 。非二元書籍専門のNon-Duality Pressが彼の本を出すと聞いて、予定を尋ねてみた。原稿はもう渡しているけれど、発売まで三ヶ月くらいかかりそうということだった。楽しみだ。

彼のブログで最近書かれたものを訳した。

原文: Meanings and Interpretations Are Arbitrary (joeylott.com)

== 以下、訳 ==

意味も解釈も恣意的

話をしたりメールのやりとりをしたりするなかで、共通するテーマが最近浮かび上がってきた。相手の人が具体的な経験のことを話したり、これこれこういう感じの経験ってものがあるけどと言ったりして、それからそこには意味があると言いだすのだ。

こんな感じで。身に覚えがある人はっけこういるんじゃないかと思う。恍惚状態を経験する。ものすごく素晴らしい経験だ。特別に劇的なものとは限らないけど、劇的だったりすることもある。僕自身について言うと、そういうすごい経験を一度したことがある。誘導瞑想を聴いていたときに宇宙と融合する感覚を感じたのだ。と言っても、昼寝みたいなシンプルなことでも、それが特に気持ちよかったりすれば同じような印象を受けるかもしれない。

起こったことはすべて経験だ。もともと備わっているような意味はそこにはない。

でも僕らはそこに意味づけをする。解釈する。1999年に経験した宇宙との融合体験について言うと、それまでに僕が経験したどんなこととも違ったから、解釈するための枠組みがなかった。だから僕はそれは「スピリチュアル」な経験だったんだということにした。その経験が刺激になって、「スピリチュアルな探求」がそのあと何年も続くことになったんだけど。

でも実際には、経験についての自分の解釈が正しいと証明してくれるものも、そもそもその解釈は信じていいのかどうかを示してくれるものも、まるっきり何もない。それというのも、起こったことはそのすべてが実際にはまったく無意味で一時的で実体のないちょっとした何かだからだ。単にそれだけ。まあ、それだって本当かどうかわからないけど。

宇宙と融合した体験がスピリチュアルだとか、崇高だとか、重要だとか、有益だとかってことを示すものはまったく何もない。なぜかと言ったら、スピリチュアルでも崇高でも重要でも有益でもないから。ただの経験だ。犬の糞を拾うのと何も変わらない。

というわけで僕が気づいたのは、人は経験に恣意的に意味づけしたり価値を置いたりして、それからそういう経験を規準にしたりものさしにしたりして自分が人生でどれだけ「進歩」したかを計るってこと。たとえばすごく拡がった感覚とかそういう感じの経験をして、あれは至福の経験だったんだと解釈する。でもそうじゃない。その経験は単にその経験だったというだけだ。意味はない。

それでこれが問題なのは、至福状態 (至福じゃなくても求めてることなら同じだ) をもっと経験しなきゃだめだと思って、あれこそ至福に違いないと思い込んだ経験を探し求めることになってしまうからだ。

でもこれは出だしから間違っていた。だから追いかけているのは幻想だ。

そのあいだずっと、僕らがそこから逃げることができない無限の生 (逃げられないのは、それは僕らそのものだからだ) はそこにある。僕らは自分を見落としている。ありのままの現実を見落としている。恣意的なストーリーを信じているせいで。

経験に意味はない。

意味なんか要らない。

本当の至福というのは、自分自身でいるという力の抜けた自然さだ。それは、自分自身として自分自身を自分自身に選り好みなしで迎え入れるという完全な受容性の歓びだ。自分という無限性を終わりなく見いだし続けることだ。特別な気持ちも感覚も状態も何も必要ない。至福はいつだってある。意味も解釈も全部捨てたとき、そのことがはっきりする。

生は、ある。何の解釈も要らない。

これがそれだ。

== 訳は以上 ==

内容的にはよく言われていることではあるけれど、かなりストレートでパワフルだ。

苦しみを終わらせるには」のエクササイズ「ビッグ・チル」をやってみた人なら、意味も解釈も捨てるということを(捨てようとしなくても)体感したんじゃないかと思う。

広告

経験と解釈 ジョーイ・ロット」への4件のフィードバック

  1. いつも楽しく拝見させて頂いています。滑らかな日本語訳がとても読みやすく非常に有り難く思っています。

    ジョーイロットさんの記事には、ラメッシを読んだ時のようなエゴをことごとく落胆させる勢いを感じます。心の奥ではそれを言って欲しいのが分かるので心地よいです。

  2. ラビットさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

    彼は本に「エゴについてさんざん語るエックハルト・トールには悪いけど、エゴなんてものはない」と書いています。エゴもマインドも無いというのはけっこう言われていることではありますが、ジョーイの表現で言われると「え!?そこまでスルーしちゃう?」という感じで、トニー・パーソンズの連打とはまた違った味わい、驚きがあります。

  3. このところ、仕事がらみで、あー、最後にこう来たか!、ちょっとショックっという感じの出来事が起きて、思考も動き出し感情も波打ち始めたので、車を運転しながら、ジョーイの身体スキャンをやってみたんですね。いい感じでした。胸のあたりがぎゅうーんって収縮していたり、みぞおちがぐわんとしていたり、少し涙目になっていたり、その瞬間に、身体中で、いろんなことが起きていた。これって、簡単だし、意味付け、解釈、創作、妄想しないで、出来事が起こった、、出来事を経験した自分にこうしたことが起こった、といったことだけで済ませられるので、とてもシンプルですね。波が立った、波がくだけた だけ。 

  4. 何時も翻訳ご苦労様です。

    ジョーイ・ロットなぜエゴなんてないと言ってるのか知りたいですね。

コメントは受け付けていません。