苦しみを終わらせる 前半 ジョーイ・ロット

 
ジョーイ・ロットはKindle本を何冊も出している。その中に、Discovering Freedom from Obsession and Compulsion: My Journey and Discovery of Freedom (「強迫観念と衝動からの解放 ― 探究の旅、そして自由の発見」) というのがある。苦しみつづけていた強迫性障害 (OCD) から解放された体験と、そこから抜けるために誰でも簡単に取り組める方法が語られている。

その本を読んでからジョーイのブログを見ていたら、本で示されている方法がほぼそのまま説明されている記事があった (一部の補足的な技法は本にしか書かれていない) 。ブログ記事では「苦しみ」という一般的な言葉が使われているけど、だからこれはOCDや他の依存症状にも適用できるはずだ。

Q&Aを含んだちょっと長い記事のため、2回に分けて訳すことにした。ちなみに、「悟り」や「覚醒」を追いかけるのも苦しみの代表的なケースだから、強迫神経症には縁がないやという人でも読んでみると面白いんじゃないかと思う。

原文: How to End Suffering. Seriously. (joeylott.com)

== 以下、前半の訳 ==

苦しみを終わらせるには。冗談ぬきで。

もう苦しみたくない? じつは、いい知らせと悪い知らせがある。どっちを先に聞きたいだろうか?

なるほど。悪い知らせは、誰かの苦しみを終わらせることは僕にはできないってこと。それは僕のできることの範囲を超えている。

いい知らせというのは、どうやったら苦しみを終わらせられるかを教えられるってこと。詳しいやり方を伝えられる。誰でも何でも保証するものだけど、僕も保証する。そのやり方のとおりにちゃんとやったら苦しまなくなるってことを。

というか、書いてあるとおりにやれば、苦しみがなくなるだけじゃない。自分が歓びの本当の源泉だってことにも気づくはずだ。でもそれは、こうなるんだろうなあと思い描いてるような感じになるってわけじゃない。じつは、たった今の状態とまったく何も変わらない。要するに苦しみは置かれている状況とは関係ない。苦しむかどうかは、どこに注意を向けるかによって決まる。存在するあらゆるものの源泉にとどまるかわりに、今までは、生のすごく限られた部分にしか注意を向けていなかったということ。

まだわけがわからない? それで結構。というのは、方向感覚がわからなくなることは、苦しみを終わらせる上ではたぶん欠かせない要素だから。その理由? 今まで歩いていたのは間違った方向を向いた道だったからだ。でも、その道にあんまりはまっているせいで、道が見えているあいだはその道を歩き続けてしまう。だから、正しい方向に歩き出せるように、わざと混乱させてるってわけだ。

それで、いま何に苦しんでる? 僕らは苦しみにいろんな名前をつけている。僕は強迫性障害 (OCD) だったし、不安も抱えていた。偏執的だった。化学物質過敏症だった。拒食症も。

自分の苦しみにどんな名前をつけてるだろうか?

これを読んでる人に、すごい秘密を教えよう。ちゃんと聞いたら人生がすっかり変わることになる秘密だ。準備はいい? 僕はまじめだ。苦しみを終わらせたいなら、これは本当に本当に大切だ。

これがその秘密。答えを求めることこそが苦しみだ。

めったに耳にしないもうひとつの秘密がこれ。すべては求めてるってことだ。

自分は不安とかポルノ中毒とか強迫性障害とか過剰な怒りみたいな問題を解決しようとしてるんだと思っていても、もしくは、神やニルヴァナやブラフマンや宇宙意識や、まあ好みによっていろいろだろうけど、そういうのを切望してるのが自分の問題だと思っているとしても、いずれにしてもそれは求めてるっていう点では同じだ。意味がわかるかな? どんな苦しみでも、求めるってことが共通点になっている。求めている対象は違うとしても、求めてるってこと自体は同じだ。

でも、自分の苦しみはそんなんじゃない、と言う人もいるだろう。子ども時代の出来事のせいで苦しんでると信じているかもしれない。もしくは栄養失調のせいだとか。経済的な状況とか社会的な環境が原因で苦しんでると思ってる人もいるかもしれない。もしそう思ってるなら、求め続けたらいい。なんと言っても、そういう人たちが探してる答えは僕にはわからないんだから。というか、僕はどんな答えも知らない。存在してない問題についての答えを探すのを僕はやめたっていうだけの話。まあいいや。これを読んでた人の99%はもう興味を失ったはずだ。それでいい。答えを探し求めるのをやめる準備ができてる人なんてほとんどいないんだから。

求め続けるっていうのがどんな感じか、今でも覚えてる。それがどれだけ苦しいか、僕にはわかる。ヴァーモントのアパートの部屋で、何時間も何時間もぶっとおしで苦しみが終わりますように ― 探し求めなくてもよくなりますように ― と祈ってたのを思い出す。寝るときは、眠っている間に魔法みたいなことが起こって翌朝目覚めたらすべてが変わっていて苦しみが消え去っていますように、と毎晩祈っていた。答えを探し続けなくてもよくなりますように、と。

僕は探して、探して、さらに探した。Oshoの本を読んで、パパジを読んで、エックハルト・トールを読んだ。サットサンに行きまくった。毎日何時間も瞑想した。どうしても答えがほしかった。真実が知りたかった。必死だった。消えることのない本当のやすらぎを求めて燃えていた。

それなのに、毎朝目覚めてみると、変わり映えのしない自分がまだそこにいた。探し求めている自分、強迫神経症の自分、強迫観念にとりつかれた自分、不安な自分、恐れている自分、分離した自分。はじめから全部やり直しだ。

何年か続けるうちに、事態はどんどんひどくなっていった。僕は混乱そのものだった。手を洗って両手をきっかり9回こすりあわせなければ、神 (人格を持った神を自分が信じているとは思ってなかったけれど・・・ なんせサットサンの世界では人格神なんてあんまりかっこいいとは思われてなかったし) が自分を罰するんじゃないかと怯えていた。悟りをさらに先延ばしにする刑じゃ!

そんなことが何年も続いた。メイン州の森の中にあるすきま風の吹く小屋で、痛みで悶え、夜は眠れず、ライム病で寝込んでいた。頭がすっかりいかれてしまって、帽子を落としただけで激怒するほどだった。被害妄想だ。自分が経験している心理的な苦悩にまともに向き合うなんてことは全然考えられない状態だった。そんな状態なのに、真理があると思い込んでそれを探し求めていた。ニルマラやジョーン・トリフソンの本を読んだ。YouTubeでトニー・パーソンズの動画をいくつも見た。それから、プリペイドの通話カードを買って、イギリスにいるリチャード・シルベスターに国際電話をかけるなんてこともした。

というわけで、苦しみについてなら僕はけっこう知ってる。それが最低だってことも知ってる。だからもし自分に能力があったら、苦しんでる人の額を指でとんとんと叩いて目覚めさせてあげるだろう。そうやって苦しみを終わらせる。でもそのやり方を僕は知らない。そんなやり方ができるなら、みんなとっくに真実に目覚めてるはずだ。

ただ、額を叩いて目覚めさせるのは無理だけど、正しい方向を教えることならできる。案内もできる。僕は道を歩いたことがあるから、手をとって道筋を示せる。だけど、僕の言うことに耳を傾けてもらえるか、信じてもらえるか、わかってもらえるかどうかは僕にコントロールできることじゃない。手を携えて一緒にこの道を実際に歩いてもらえるかどうか、それは僕にはわからない。

僕にできるのは、差し出すことだけだ。

受け取ってもらえるといいんだけど。受け取ってほしいと思うのは、これを読んでる人が自分自身をありのままに見るところに立ち会いたいからだ。自分は本当のやすらぎであって本当の自由なんだってことを知ってほしいからだ。そう願うのは、それがどんなに素晴らしいか僕にはわかるからだ。それに僕は、見る場所さえ間違わなければ、それが本当に誰にでも手に入るものだってことも知ってる。難しいことじゃない。時間もかからない。そのシンプルさと簡単さは、実際のところ想像をはるかに超えている。本当に瞬間的だ。それと、これは今この瞬間にしか起こらない。

やり方は教えられる。教わった人がそれを実際にやるかどうか、理解するかどうかは僕にはまったく約束できない。

混乱している人がいる理由はわかる。混乱していたらそのことを認めてほしい。というのも、それが大事な第一歩だからだ。自分はわかってると思っている人はすでに満杯だ。でも本当の自由というのは空っぽさだ。だから今だけでいいから、自分は混乱してるってことを認めてみてほしい。

混乱しているのは、「どこか」にある答えを求め続けてるせいだ。でも求めれば求めるほど混乱は深まっていく。

ちょっと考えてもらいたい。明晰さって何だろう? それはものごとが・・・はっきりしてるってことじゃないだろうか。明晰さはものじゃない。視界を散らかさなくなったときに明らかになる自然な状態だ。

でも誤解しないでほしい。これは何かをやめるってことじゃない。すべてをやめなきゃいけないとか、すべてを捨て去らなきゃというようなまた別の強迫観念を身につけましょうなんて言ってない。そんなのはうまくいきっこないからだ。そんなことをしようとすれば、さらに散らかるだけだ。がらくたの山の中から答えを見つけだそうとするかわりに、視界をきれいにしようという努力で視界を散らかしてるだけだからだ。

伝えようとしてるのは、それよりずっとシンプルで、ずっと近いものだ。

僕自身が混乱していたとき、混乱をどうにかする方法を知ろうとすること自体が混乱に拍車をかけていた。いろんなことを試した。LSDも瞑想も祈りもサットサンも。リバーシングもしたし、アラン・ワッツの講話も聴いた。ヨガもやってみた。呼吸法も。気功も。そのすべてが何かをわかろうとする試みだった。答えを見つけ出したら問題は解決できるだろうと思っていた。

そうやって探し求めることが混乱だった。混乱していると、本当の答えを見落としてしまう。本当の答えは、求めるのをやめるってことだ。答えを探すのをやめると、前提がすべて誤っていたことに気づく。問題なんてあったことはなかったのだ。というよりも、存在してない問題の答えを見つけだそうとしてたのが問題のすべてだった。自分の尾っぽを追いかける犬と同じだ。答えを手にしたと思っても、それは結局自分の尻に噛み付いたってだけだ! そんなのは本当の答えじゃない。問題なんて本当はないんだから。

そんなこと信じられないと思うだろう。私は本当の問題を抱えてるんだから、と。わかる。僕もそうだったから。僕も実際に問題を抱えていた。本当だ。死にかけてた。文字どおり。本当に具合が悪かった。頭が混乱してただけじゃなくて、生理的にも病気だった。あんまりひどくて、立ち上がれない日が何日も続いたりするほどだった。それでも答えを探し求め続けていた。

でも、信じられないかもしれないけど、問題なんて本当はない。起こってることが起こっているだけだ。起こってることが、いまあることという全体性だ。これは問題じゃない。答えを探してるせいで問題みたいに見えてるにすぎない。ちょっとだけ考えてみてほしい。答えを探しているときは、問題があるってことが前提になっている。

さてこれは、トラクターが迫ってきて自分を今にも刈り取ろうとしているときもそこから飛び退いちゃだめだっていう意味だろうか? そうじゃない。当たり前だ。問題はないとわかったからといって、いきなり死にたくなったりとんまになったりはしない。と言うか、僕の経験ではその正反対だ。自殺衝動は (自分の経験から言ってるけど) 探し求めることで生じる。

でもちょっと待ってほしい。なぜなら、問題なんか存在していないっていうまた別の信念にしがみついてしまうリスクがあることがわかるからだ。そんなのはうまくいかない。それはまた求めてるってことだ。「問題は存在していない」という新しい答えがぴったりくるかどうか試してるだけだ。そう信じたとしても、問題はあるってことが前提になったままだ!

探し求めるのをやめるための秘密を聞く準備はできたかな? これから教えるけど、僕にわかってるのは、これを聞いた人の99%はすぐに笑い飛ばすだろうってこと。そんなの単純すぎると思うはずだ。もしかしたら試してみてから、うまくいかないと判断するかもしれない。問題が全部解決するなんて無理だよと言いながら。でもこれがうまくいくってことは約束できる。探し求めるのをやめて苦しみを終わらせたいなら、僕の知るかぎりではこれがただひとつの方法だ。本当に簡単だから誰にでもできる。すごく直接的だから、結果もすぐ出る。それにいつでも効果がある。ただし、華やかじゃない。たいていの場合、スピリチュアル花火大会は起こらない。借金が一夜にして消えることもない。一週間で20kg以上やせるなんてこともない。自分が求めていると思っているものが手に入ることもない。でも、本当の意味で求めているものが必ず手に入る。本当の自由が。僕は少なくともそう信じている。もしかしたら間違ってるかもしれない。でもやってみなきゃわからない。さあ準備はいいかな?

== 前半の訳は以上 ==

テレビCMみたいにかなり意地の悪いところで切れてしまったけど、続きは急いで訳す予定 こちら

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苦しみを終わらせる 前半 ジョーイ・ロット」への4件のフィードバック

  1. 記事が更新されてますので、こちらにコメントしますね。
    レスをありがとうございました。
     
    マスター達のいう、何も起こっていない系のことは
    やっぱりね・・・という感じでした。
    正直、思考(エゴ)レベルでも、それは理解出来てるんです。
    だって、実際に目の前では何も起こってませんから。
     
    でも、だから何?ってなっちゃうんですよね。
    今、目の前では何も起こってないから、
    過去は全て頭の中で作り上げてるから何だって言うの?
    全て幻なら、死んだ人たちを今すぐに
    この目の前に出してみてよ!となっちゃうのです。
     
    だって、生も死も幻で作り上げたものなのであれば
    生のほうを選んだっていいじゃないですか。
    なのに、起こってしまった過去は変えられない。
    死んでしまった人は生き返らない。
    だけど幻って、何だか都合よく聞こえてしまって。
     
    過去は変えられないし、現実として起こったこと。
    過去の現実は決して幻ではないけれど、
    自分の印象次第で、過去の出来事に対して
    別の感情を持って生きることも選べるんだっていうなら
    まだわかるんですけどね。
      
    ケイティのは、かなり昔に試したことがあります。
    けれど、私のエゴは「私は苦しむべき」というのを
    ガッチリと掴んでいるようなので
    なかなか一筋縄ではいかないようです。
     
    今回のジョーイ・ロットのワーク(なのかな?)は
    せっかくヒロさんが訳してくださってるのですし
    じっくりと読んで、苦しみがなくならなくてもいいと思うぐらい
    ゆったりとした気持ちで、長期目線で取り組んでみます。
     
    記事の更新ん&レスを、ありがとうございました。
     

  2. わあ。面白い。早く読みたいです。
    「わかっちゃった人達」読みました。すごくいい。なんていうか、それぞれの人の言い回しに、こう インスピレーションをもらえるというか、体感が起こるというか・・。普通の人ってすごい。

  3. mayuriさん、本を読んでいただいてありがとうございます。発売日にちゃんと発送されなかったりして、ご心配をおかけしました。

    初めて原書を読んだときは、あまりにだらだらと普通の人のしゃべりがまとまりなく続いていて、読みづらいなあと感じました。気の利いた小見出しとか、そういうものもついていないので。ですが、そのまとまりのなさが魅力なんだと後から気づきました。ひとつひとつのフレーズが、先生たちの本よりも印象に残ったりするので面白いです。

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