経験はそれじゃない ジョーイ・ロット

 
ジョーイ・ロットのブログ (http://joeylott.com/) の文章をもうひとつ訳して紹介する。2013年11月に書かれたもの。

原文: Why That Isn’t It

==以下、訳 ==

それは違うよと言う理由

経験は大層な扱いを受けている。良い経験。悪い経験。うっとりする経験。ぞっとする経験。で、僕らは悪い経験、ぞっとする経験は避けようとしながら、良い経験、うっとりする経験を追い求める。

でもそれは考えものだ。というのも、特定の経験しか求めず、そうじゃない経験からは逃れようとすると、経験よりもずっと近いところにある何かを見かけの上では (本当は違うんだけど) 見逃してしまうからだ。

なぜそんなことを最近考えていたかと言うと、いわゆる「スピリチュアルな覚醒」について書かれたものをいろいろと読み続けていたせいだ。(自分が書いたものをどうやったら出版できるか調べている中で、これまでに出ている本に書かれた話をたくさん読んだのだ) それで正直言うと、そういう話のほとんどは勘違いなんじゃないかと思った。ワンネスの経験、やすらぎの経験、完全性の経験なんかが強調されていたり、さらには境界が溶け去ったとか、愛が溢れたとか、深遠な静寂を感じたとかそういうあれやこれやが出てくるような話は、どう少なく見積もっても誤解のもとだ。

どうして誤解のもとになるかと言ったら、そういう話で語られているのが普通じゃない経験だから。僕らがついつい追いかけてしまいがちな種類の経験だ。LSDやMDMAがすごいと言われるのは、だからだ。つまり、そういうドラッグは普通じゃない経験をもたらす。でもLSDやMDMAを一度でも経験したことがある人ならわかると思うけど、トリップは終わる。ひとつの経験だ。

経験が悪いと言ってるわけじゃない。経験はいつだって起こっている。それに僕だって目玉にフォークが刺さる経験よりは、幻覚剤でハイになって気持ちよくなる経験の方を間違いなく選ぶ。そう、僕らは不快に感じられる経験よりは、心地よい経験や、最低でも当たり障りのない経験を自然に好むようになっている。僕のこのブログをずっと読んでくれている人なら、僕自身が不快な経験をそれなりにしてきたってことを知ってるはずだ。そういう不快な経験を積極的に求めるなんてことは、僕も絶対にしない。

ただ、経験が「それ」 ― 答え、解決策、あらゆる苦しみを終わらせるもの ― なんだというのは勘違いだ。苦しみが終わるってことは、経験とは関係ない。経験よりも近いところにあるものとなら関係しているけど。

で、いわゆる「目覚め」の話の大半が単なるたわごとなのは、だからだ。そういう話は、「スピリチュアル・ティーチャー」を、誰もが求めているものを手にした特別な存在にしてしまうものだ。でも本当に求めているのはものじゃない。人が手にできるようなものじゃない。それに、特別になるってこととも関係ない。その反対に、本当に求めてるのは特別さがまるでないってことだ。まったく普通。これがそれだ。はじめからあるこれ。

ビジョンを見たり、恍惚状態になったりしたいなら、そのための方法はいくらでもある。ちょっといい品種の大麻なんてどうだろう? 一晩中続くバガヴァン・ダスのキールタンは? アヤワスカの儀式もいいかも。

でも、何かをしてビジョンを見たり恍惚状態になったりしたところで、それは今あるもののシンプルさを認識すること ― それが苦しみの終わりだ ― とはまったく関係ない。それに、自分にとっていいことにもならない!

そこで聞きたい。本当に一番求めているのは何だろう? 恍惚感とかビジョンとか強烈な経験を求めているんだろうか? それとも本当のやすらぎと自由を求めてる?

そう聞くのは、このふたつは同じものじゃないからだ。

といっても、いつも言うことだけど、ふたつは同じものだ。なぜって、存在するものすべては本当のやすらぎ、本当の自由だから。

ただし、普通じゃない経験、これじゃない何か別のもの、特別な自分が経験する何かを求めているあいだは、もっと近くにあるものを見落としてしまう。

どんな経験をしているかに関係なくここにあるのは何だろう? 特別な気分を感じているかどうかには関係なくここにあるのは? 自分自身に気づいているかどうかにすら関係なくここにあるのは?

これだ。これはいつでもここにある。名づけられるようなこれじゃない。特別な経験としてのこれじゃない。自分は何者かっていうこの考えとも違う。この場所でもない。このビジョンとも違う。

ただこれだ。

本当にシンプルだ。何だろうと、あるものがそれだ。ものすごく高揚しているかもしれないし、心の底からうんざりしているかもしれない。これ。

背中と首がすごく最悪な感じだ。手も指も痛い。音。泣いている子どもたち。餌を欲しがる犬。鼻の穴のあたりを流れる空気。唾液。まばたきする目。

これ。

これが何であっても。

それは名前を付けられるようなものだったり、想像できるものだったりすることはない。「背中と首がすごく最悪な感じだ」っていう考えでもない。それは、あとから名前が付けられることはあるけれど、直接じかに出会う何かだ。

それはものじゃない。

これだ。

これは特別じゃない。これ以外には一切何もない。これを他の何かと比べるなんて無理だ。どう比べたとしても、それも単にこれだ。

それでも人は特別なものを欲しがるだろう。これ以外の何かを。幻覚剤のハイを求める。ずっと続くものすごい絶頂感を求める。絶対に便秘したくないし、痔も嫌だ。ガンなんてまっぴら。ずっと続く至福状態と優しさを欲しがる。

そうやって探し続ける。そして止まる。そのとき、これがただある。そしてこれだけがあったんだってことに気づく。そう、これが本当のやすらぎ、本当の自由だ。

なんともありがたい。

==訳は以上 ==

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経験はそれじゃない ジョーイ・ロット」への5件のフィードバック

  1. きたーっ♪───O(≧∇≦)O────♪

    まさにこれだっ!てのを久々に味わいました。

    大分昔にヒロさんが紹介してくれたカールレンツの動画思い出したです。

    ダグラスハーディングの本読んで実験した時な感じだな〜

  2. わかっちゃった人たち、読んでいます。
    翻訳が素晴らしく、すんなり読めて有り難いです。

    実は私は、覚醒に関することで
    どうしても腑に落ちないことがあります。 
    こちらのサイトも、ちょこちょこと読んでいますし
    わかっちゃった人たちも半分ちょっと進んでますが
    そのことに誰も触れてはいません。
     
    何が疑問なのかというと、犯罪者に関してです。
    世の中には、とんでもない事件がたくさんありますが
    被害者が最終的には殺されてしまったような事件とかで
    その犯人が覚醒した場合は、被害者に対して、
    そして、自分が起こした事件に対して
    どのように思うのか?ってことです。
     
    わかっちゃった人たちもそうですですが
    他の覚醒関係の本などでも、過去は無かったとか
    全ての現象は、その人に必要だから起こったとか
    そう書かれています。
     
    では、事件の犯人が覚醒した場合、
    自分が起こした事件も、必要だから起こったとか
    事件があったという過去は幻想だったとか思って
    被害者に対しての罪悪感とか無くなるんですかね?
     
    わかっちゃった人たちの内容からすると
    罪悪感は残るし、感じたりもするけど
    そんなのはただのキャラクターの反応だから
    放っておけばいいって感じなのかな?とも思いますが
    それって、何だか相当無責任な気がします。
     
    そうした、加害者側のことを書いてある本とか
    ブログなどは、海外にはないのでしょうか?
    私が調べた限りでは、日本には無さそうです。
    被害者側の目線のものはありますが。
     
    下手な事を書くと、マインドに支配されている
    多くの方々からの攻撃対象になりかねない事柄ですので
    誰も触れないようにしてるんですかね? 
     
    もしも、そのようなことを書いてある本やブログ記事などを
    みつけたとしたら、是非、翻訳して頂けると幸いです。
     

  3. ふーみんさん、きましたか(笑)

    ジョーイ・ロット、きますよね。それぞれの単語とか文字を見ると、これまでほかの人が書いた文章と何も違わない気がしますが、通して読んでみるとちょっと違うので面白いです。

    maiさん、こんにちは。犯罪について語られることはけっこうあります。とくに「アウシュビッツでの犯罪は免罪されるというわけですか? 幼児虐待も?」といった質問は、ミーティングではよく出る質問です。そのときの答えもたいがいは同じです。

    ですが、過去(とされているとき)に犯罪を犯した(とされている)個人(とされているもの)自身が悟ってからそれについて語ったというのは、僕は知りません。ダグラス・ハーディングの方法等について本も出しているJ・C・アンバーシェルというアメリカの受刑者が、いくつかエッセイを書いているものはあります。でも彼は麻薬関係のはずなので、maiさんがおっしゃるような意味での被害者が存在するかどうかはわかりません。
    http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/99_blank037.html
    http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/99_blank044.html

    責任とか罪悪感ということについては、ラメッシ・バルセカールの本ですっきりしたという人もけっこういるように思います。

  4. ヒロさん、レスありがとうございます。
     
    リンク先を読んでみましたが
    私が知りたかった内容とは違った感じでした。
    でも、興味深かったです。
     
    大罪と思われる行為や、幼児虐待なども免罪されるのか?
    の質問に対して、マスターの方々がいう同じ答えとは
    どんなものなのでしょうか?
     
    実は私は、罪を犯した側の人間です。
    この日本で、私の犯した罪は逮捕とはなりません。
    ですが、私の中では大罪なのです。
     
    その罪に対し、何年もずっと罪悪感を感じていて
    毎日が苦しいです。
    相手が生きていればいいのですが、他界していて
    その人の身内や、親しい人もいない状況の中
    どのように罪を償えばいいのか?
    そればかりを毎日考えています。
     
    覚醒したら自分が楽になるかもという
    浅はかな考えから、探求に走ってる気もします。
     
    ラメッシの本なのですが、アマゾンでのレビューを見ると
    「どんな現実も決まっていて、それを避けることは出来ない」
    といった内容だというレビューがあり
    なら、私が犯した罪も決まっていて、相手も私に
    そうした被害に合うことも決まっていた。
     
    最初からそういう筋書きが出来ていて
    それに抗うことは出来ないという感じだと受け取りました。
     
    そんなことを、反省も後悔もしない犯罪者に伝えたら
    それこそ、世の中は犯罪だらけになってしまうのでは?
    そう思ったので、この著者の本を読むのはやめました。
     
    ただ、読み手側の解釈次第で変わるものですので 
    食わず嫌いはやめて、その内読んでみようかと思います。
     
    よろしければ、犯罪に対してマスター達が仰ってることを
    簡単にで構いませんので、教えて頂けると幸いです。
     
    質問ばかりで、すみません。
    よろしくお願いします。

  5. maiさん、おそらくですが、悟ったと言われている人がどう答えているかは、助けにならないように思います。端的に言えば「犯罪も問題も存在しない。存在するという思考があるだけ。過去に何かが起こったという思考が今起こっているだけ。そしてそれについての思考だと主張する思考が起こるだけ。そういう思考と一体化したり、しなかったりという現象が見かけの上で起こっているが、実際には何も起こっていない。それに犯罪を犯した誰かがいるというのも今起こっている観念であって、実際は過去はないし、誰も存在したことはない」という感じです。言葉は助けにならないということの見本のような言葉だと思います。

    すでに試されているかもしれませんが、悟り云々よりも、むしろバイロン・ケイティの方法のほうが役に立つのではないかという気がします。

    もしくは、今日からこのブログで記事にする予定ですが、ジョーイ・ロットの苦しみを終わらせる方法もいいのかなと思いました。彼の方法は、バイロン・ケイティの四つの質問やQEだと頭のレベルでストップしてしまうような傾向がある人 (けっこう多いはず) にも有効じゃないかなという気がします。あまりにシンプルすぎて「こんなので苦しみがなくなるなら苦労しないよ」と言われそうな方法なのですが。

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