時間と占星術 リンダ・ジョージ

 
時間についてのちょっと面白そうな文章に出会い、訳してみた。占星術をする女性のエッセイだが、彼女のブログ記事から伝わってくる雰囲気にひかれた。

魂とか過去生とか、ちょっとと言いたくなる部分もあるが、たまにはこういう毛色が違ったものもありだろう。

原文 The Timelessness of Time (Waking Times)

==以下、和訳==

時間は時を超越している リンダ・ジョージ

妙に興味をひかれる何かが科学にはある。まるで取るに足らないような事実から、ごっそり大量の推測をひねり出すのだから。
〜 マーク・トウェイン

動脈沿いのダンス。体液の循環。星の動きに表れるそれら。
〜 T・S・エリオット

世界は「外側」にあり、観察者とは別のもので、観察者は他のあらゆるものから切り離され分かれて存在しているという科学的パラダイムは、量子革命の発見のおかげで破綻した。そうしたしつこい思い込み、物質主義的な世界が大いに依存してきた思い込みが誤りであることは、今では私たちも知っている。世界は「外側」にだけあるわけではない。そのレベルは表面的であって、現象のレベルだ。そしておそらく、外側にあるように見えるのは全体のうちのごくわずかな部分だ。それはまるで宇宙、創造者、オーム、神が私たちをからかっていたようなものだ。ほんとうにわからないの?と言いながら! でも実際は、見えない世界こそが、「現実」がほんとうの意味で存在している場所だ。見えない世界を顧みないと (無知のために) 、私たちは自分の魂の中に分裂を作り出す。身体の中にもだ。そうなると、それを癒やすまで一生かかってしまうこともある。

時間の研究は興味深く、そうした分裂をもっとはっきりと見る上で役に立つものだ。物質主義者にとっては時間は直線的で、過去から現在、そして未来へと順番に流れる。神秘主義者、詩人、夢想家にとっては、時間とは単一性、永遠性、無限性だ。時間は今起こっていて、いつだってそうだ。つまりふたつの異なる世界観、現実を知覚するふたつの方法がある。時間についての真実は、誰が時間を見ているかによって異なる。ニュートンの世界観では、時間は複雑なものではなく直線的で、それで済んでいた。そのあとアインシュタインが現れて、この考え方の骨組みを打ち砕き、時間と空間を永久に結びつけてしまった。時間は相対的なものだという真実に私たちの目を開いたのだ。実際にはそれは事実というより概念なのだが。と言っても、物質主義者はあいかわらず時間を直線的なものとして扱い続け、そして、実質的には私たちの大半も日常生活においては同じように扱っている。物質的な世界観が優勢の現実を生きていく中でそう強いられながら。意識の異なるレベルへの入り口に到達しないかぎりは (ドラッグやスピリチュアル的な手段で) 、私たちは時間が経つのを「感じる」。そして過去から現在、そして未来へと動いているように感じる。

人は時間が経過すると言う。時間は人が経過すると言う。

占星術師にとっては、時間という問題は特に重要なものだ。誕生チャートあるいは出生図は、生まれてくる存在が最初の呼吸をする瞬間を図にしたものだ。カール・ユングが見事に言い表したように「何が生まれても、何がなされても、その瞬間にはその瞬間ならではの質がある」。時間の流れの中での一瞬一瞬には、それぞれ固有の質、パターンがあり、それは宇宙の惑星エネルギーで構成されている。そしてこのパターンは新生児のDNAに刻まれ、その後に続く人生のスピリチュアルな、そして物理的なテンプレートを形作る。だから、時間の中での瞬間は、占星術の知識体系 ― 物質的なものとスピリチュアル的なものを見事に結びつけるものだ ― の中では絶対的に重要なものとなっている。時間の中の瞬間という入り口、物質世界への誕生という入り口で、人間は直線的な時間という通路に置かれる。分離の世界、二元性の遊び場、分裂の場に入ったのだ。だが魂や個人としての存在を形作っている他の「身体」 (感情的、心理的、高次) は、そのまま別の現実 ― 単一性、永遠性、時間を超越した場所 ― にあり続ける。

これは現実離れしているように聞こえるかもしれないし、もしかしたら面食らう人もいるかもしれない。だが誕生チャートは、時間について考えるふたつのやり方が交差する完璧な例だ。科学と魔法が誕生チャートという象徴の中で一体になる。物質が垂直と水平のふたつの軸で交差し、物質世界を作りだす四つの要素に分かれ、そしてその交差を囲む円は自分の尾を食べる蛇で、それは始まりも終わりもない永遠性を象徴する。私たちという全体性を表現する上で、これ以上完璧なやり方は私には考えられない。私たちはたしかに、人間としての経験をしているスピリチュアルな存在なのだ。円の天球には数々の惑星があって、そのそれぞれが情報の固有の領域で、そこには私たち自身の領域と直接交流して影響を与える周波数がある。そうした惑星は円の中に存在しているため、惑星にも私たちと同じように時間に制限される側面と時間を超越した側面がある。繰り返しになるが、どう見るかによって、つまり時間のどの面を見るレンズを使うかによって見え方が違ってくる。

誕生チャートは、一回の人生という文脈、直線的な時間という枠の中でも、極めて多くの情報を与えることができるし、たいていのリーディングではそれができている。だが、各象徴は別の視点 ― 無限で永遠の時間を超越した視点 ― からも読み取ることができる。この「リーディング」ではチャートに表れるすべてが因果にもとづいてたものだ。どういうことかと言えば、すべては過去に起こったことから表れているということだ。惑星の配置の中に大昔の傷を見ることができる。そしてさらに、視点をシフトさせれば、その同じ惑星が持っている癒しの潜在力もわかるのだ。

進化的占星術(Evolutionary Astrology) では、魂が存在していることを認め、魂が時間を超えていて無限であることを受け入れている。魂が、経験したあらゆることと共にあり続けていると信じている。だから、これまでに生きてきたすべての人生は今でも私たちと共にあるのだ。魂について言えば、過去も現在も未来もない。すべてはただ今にある。魂は今この瞬間に人間としての経験をしているが、この経験には分裂という傷の暗い影がいつでも必ずさしている。無数の人生を歩く長い旅の途中のどこかで負った傷の影が。魂には身体を持っていることで生じる傷があり、それは記憶という形で残り、後に続く身体の細胞構造に埋め込まれることになる。意識に上ってきて解放されないかぎりは。

人は自身の限界を知ったとき、大いなる自由を得る。
〜 アンソニー・ストー

スピリチュアルな法則と、人が作った決まりがある。どちらを破っても必ず罰を受ける。私たちの自由意志が自由であるのは、自分が究極的には自由でないということを認識しているときだけだ。私たちは、すべての過去生の傷跡を抱えてこの世に生を受ける。そうした傷跡はエネルギー的に保持されたパターンとして今でもあるのだ。ホロスコープは言ってみれば地図で、そこにはそうしたエネルギー的なパターンが記されている。そしてチャートについての今日の私たちの理解を超えたものがもっとたくさんある。おそらく占星術を超えたものだろう。それでも、チャートは今の人生を支配する個別の法則を明らかにする。それは好むと好まざるとにかかわらず私たちの運命の地図なのだ。私たちの自由意志は、そのことを認識しそれに取り組むために与えられた能力なのだ。自分の運命に不満を言ったりすることがあるかもしれないが、絶望するのはやめよう。身体の傷が治るのと同じで、魂の傷も治るのだ。たしかにそれは簡単ではないかもしれないが、それは魂の傷を治すために求められるもっとも重要な資質が忍耐だからだ。時間から出る必要がある。時間を超えるのだ。それができると、心と身体が緩み、私たちは自然界とつながる。オープンになり、安心し、正直になる。それは時間に縛られた状態と反対だ。時間に縛られていると、窮屈で忙しく不安で恐ろしくなる。

この短い人生で、時間は過ぎていき、歳を重ねるほど速度を増し、その背景にはいつも切迫感と忙しさの感覚がある。私たちにとって、問題や痛みや傷の根っこに到達するのに必要な時間を確保したり我慢したりするのは容易なことでも気が進むことでもない。即効薬がほしいのだ。だから医者や精神分析医やあらゆる種類のセラピストを頼みにする。みずからを癒やす身体の知性を信頼するようには教えられていないのだ。落ち着いて、自分のハートの知性に耳を傾ける方法を知らない。自然とつながるための時間もない。輪廻についての真実を抑圧してきた文化の中では、過去生からの傷が今生に影響しているとか、感じている痛みがじつは多くの場合昔の傷が今痛んでいるものだということは見当もつかない。私たちの抱える傷は、発見して癒やすのに一回の生では十分でないほどのものかもしれない。この癒しの旅は私たちすべてが歩んでいるもので、それは生まれてきた理由のひとつでもある。

そうすると、物質主義的な考え方から出て、神秘主義者のレンズを通して時間について考えるのが役に立つかもしれない。時間は存在していない。私たちは無限だ。それを手にするための永遠性が私たちにはある。一人ひとり異なる現れ方をするとしても。ものすごく大変だと感じるときでも、気を落としてはいけない。その苦労は目的の一部であり、二歩進んでは一歩下がっているように思えたとしても、困難と無縁な人はひとりもいない。苦しみは自分にだけあるものではないのだ。忍耐、洞察、自分への思いやり、問いかけ、静けさ、信頼、自然界や動物やお互いのつながり ― 私たちにはそのすべてが必要だ。自分の人生、身体、困難、問題を実験として見る必要がある。人生は実際のところ実践訓練なのだ ― それが人生の意味だ。そこから出るのは簡単ではない以上、やるならきちんとやった方がいい。経験するのだ。良いこと、悪いこと、そしてその間にあるすべてのことを。

そして、そうしているあいだ、忘れないようにしよう。意識がこの生を離れて、無限の中に行き、そしてまた戻ってきた人たちから聞いたこと ― この直線的に進む人生を超えたところにある、宇宙の圧倒的な本質、ここを去ったときに私たちが行くところ、それは純粋な愛なのだ、ということを。

知覚の扉が清められたとき、すべてはありのままの姿を見せる。無限として。
〜 ウィリアム・ブレイク

筆者リンダ・ジョージについて

ニュージーランド在住のライター、進化的占星術師。35年にわたり、占星術、代替健康法、スピリチュアリティ、形而上学に関わってきた。意識と占星術について二冊の本を著し、どちらもアシュトン・ワイリー・マインド・ボディ・スピリット書籍大賞の決勝候補となった。この目覚めの時代にほかの人たちと共に「広く伝える」ことに取り組んでいる。一緒に取り組みましょう。ブログはwww.acosmicride.wordpress.com

==和訳は以上==

「今でしょ!」が流行語大賞に選ばれたが、面白い。「今でしょ! ここでしょ! これでしょ!」 それ以上は言う気にならなくなる。言ってもいいけど。

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時間と占星術 リンダ・ジョージ」への3件のフィードバック

  1. この方が何を指して「魂」と呼んでいるのかが今ひとつ分かりません。
    魂=アートマン=ブラフマンならば、魂が傷つくことはありえませんし。
    シャンカラが不可触民に論破された有名なエピソードがありますが、それを引用して、実在するものが実在するものを傷つけたり、傷つけられたりすることはないし、実在しないものが実在しないものを傷つけることもありえないと言われたらなんと答えるのでしょうね。

  2. 言葉もイメージも、そして知覚もそうですが。
    つまり現象はただ湧きあがってきますよね。
    そうしようと思って湧きあがっているわけではない。
    知覚は色や感覚、感情、形態などとして立ち上がってくるし、
    言葉やイメージは湧きあがる知覚に意味というか構造を与えるものとして湧きあがってくる。
    そうしているのは誰か?とか、それを見ているのは誰か?とか、こうしている自分とは何か?ですとか、そういう疑問も
    あるいは覚醒したい、という情動も、実在とか、非二元とか、ありとあらゆる言葉による規定も
    やはりどこからともなく湧きあがってくる情動と言葉で
    湧きあがると同時にそれ自体に規定された世界というか構造が立ち上がりますよね。
    世界から孤立し、他者と相対する自分、自らの意志で生きているこの私、という「自己主体感覚」すらどこからともなく湧きあがってくるもので。
    それは今、ここで起きている、という言葉も、やはり、ただ湧きあがってくるもので。
    それで、こうして書いている言葉もやっぱりそうです。

    逆にいえば、この刻刻の湧きあがりによって個々それぞれに世界が立ち上がっているというか、世界が交錯しているというか。
    なので、どの世界が正しくて、どの解釈が間違っているというのは厳密にはないのかなと。
    むしろユニークな規定によってユニークな世界を生きるという希有な体験かもしれない。
    もちろん、そのような判定すらただ湧きあがってくるものですが。
    とにかく世界は未知の湧きあがりの連続なのかなと。
    そんなことを感じました。

  3. 青雀さん、コメントをありがとうございます。

    「現れる」とか「ある」とか「あふれだす」とかよく言いますが、「湧きあがる」とは、魅力的な表現だと感じました。「希有な体験」がまったく何の変哲もない当たり前の日常になってしまうということ自体もまた「希有な体験」だとすると、まったく笑ってしまうほかありません。

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