道元とジョーン・トリフソン

 
ジョーン・トリフソンのウェブサイトには、「ジョーンの注釈付き推薦図書リスト」という膨大なリストがある。いわゆる現代の非二元的表現にとどまらず、禅やチベット仏教、そしてルーミーや老子、良寛やデヴィッド・ボームに至るまで幅広くとりあげられている。

JOAN’S ANNOTATED RECOMMENDED READING LIST

僕自身もかなり参考にさせてもらったり、一部疑問があるところについてジョーンに質問して、彼女の考え方を教えてもらったりもしている。(エックハルト・トールを褒めすぎではという疑問に対しても、かなり親切に答えてくれた)

このリストの中の、道元に関する項目が面白かったから、ちょっと訳してみた。道元自身の原文は昔の表現だから当然まるでわからないのだが、英語に訳されてみると (訳がどの程度妥当なのかもわからないが) なんとなく興味深い。

== 以下、和訳 ==

Moon in a Dewdrop (露のなかの月、棚橋一晃編) は、13世紀の禅のマスターで曹洞禅の開祖である永平道元の多くの著作をもとに編集された優れた本だ。この本のなかで個人的に一番好きで特におすすめしたいのが、「現成公案」(この題は「根本的性質の実現」「絶対的現実の実現」「今の瞬間の公案」「ただあるがままのこれという逆説」「形而上の問いの具体的展開」「究極の現実の実現」などと訳されている) だ。道元の他の著作と同じように、「現成公案」も繰り返して読むたびに以前は気づかなかった、あるいは理解できなかった面が新たに見えてくることだろう。

非二元についての道元の解釈は深遠で微妙な差異をとらえるもので、包括的でもある。包括的すぎて二元性まで包み込んでしまっている。「仏道は多と一を超えて跳躍することだ」と。道元はこう問う。「ひとつの対象をいろいろな見方で見ているのか、それとも、様々な心象をひとつの対象だと勘違いしているのか?」と。道元にとってはスピリチュアルでないことはひとつもない。道元に「壁、瓦、小石は心だ」という言葉がある。この過激な見解においては、地図さえもが土地そのものだ。「法界も虚空も描かれた絵にほかならない。(中略) 月もそれを指す指もどちらも唯一の現実なのだ」と言う。

若かりし日の道元にとっての重大な問題は、もしすべてに仏性がある (あるいはすべてが仏性である) としたら、修行の必要がどこにあるのかということだった。道元が導き出した答えは、修行を将来達成すべき悟りのための手段とみなすのはまったく的はずれだというものだ。修行とは悟りが今ここで表現されているものなのだ。曰く、「風の本質は不変であるから扇であおぐ必要などないし風は扇がなくとも吹いている、と言うのであれば、それは風の本質も風の永遠性もわかっていないということだ」

悟りとはただ迷妄を見抜くことだ。道元曰く、「迷妄を悟った者が仏である。悟りについて迷妄に囚われている者は衆生である」

道元は詩的であり非常に精緻で達識だ。Moon in a Dewdrop や、同じく棚橋一晃氏の編んだ Enlightenment Unfolds (悟りが開く) に加え、道元の言葉を集めた本や注釈書はたくさんある。私が長いこと親しんできたのは、前角大山の Appreciate Your Life (人生に感謝しなさい) 、フランシス・H・クック編の Sounds of Valley Streams (渓流の音) 、内山老師の How to Cook Your Life (人生料理の本) と The Wholehearted Way (辦道話を味わう) 、奥村正博の Realizing Genjokoan (現成公案を理解する) といった本だ。スティーブ・ヘイゲンも道元についての優れた講義を収めたCDあるいはダウンロードファイルを出しているし、ノーマン・フィッシャーとローリ大道も素晴らしい解説をしている。道元の著書を大いに推薦したい。

== 和訳は以上 ==

(原文には改行がまったく無いが、読みづらいから適当に入れた)

親の法要のたびにお寺から仏教のパンフレットなんかをもらってくるせいか、このところ少しだけ仏教づいている。未読本が山になっているというのに、この Moon in a Dewdrop も読みたくなってしまった。

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道元とジョーン・トリフソン」への6件のフィードバック

  1. こんにちは。いつもヒロさんのブログには助けられています。ありがとうございます。いつも様々な方を紹介していただいているので、道元の話題が出たのをきに、おせっかいとは承知の上で私からも井上義衍老師という方を紹介させていただきます。おそらく近現代の日本の禅宗の方できちんとされているのは井上老師系統の方だけでしょう。道元関連の本を読まれるのであれば井上義衍老師の書かれたものをおすすめいたします。  ネット上でもいくつか井上老師の書かれたものが読めます。
    http://www.artofawareness.jp/library/gien.html
    http://tosenin.e-tera.jp/mondou/mondou.html

    残念ながら義衍老師は既に亡くなっておられますが、弟子の方が数名、坐禅会を開催されています。禅会での質疑の様子を「浜松で禅修行さん」という方がブログで公開されていますのでよろしかったらそちらもどうぞ。
    http://ameblo.jp/hamamatsu-zen/entrylist.html

    長文失礼いたしました。参考になれば幸いです。

  2. かんざんさん、こんにちは。コメントどうもありがとうございます。

    井上義衍老師のお名前は何度か聞いたことがありますが、その言葉を読んだことはありませんでした。参考になります。

    浜松の会については、先日どなたかからメールで教えていただいたばかりでした。

    いま内山興正師の本を読んでいるところなのですが、禅の表現は特殊な感じでとっつきづらく、やはり本で接するというのは無理があるのだろうと感じています。と言っても、独特の勢いは感じられ、そのあたりは面白いです。

    どうもありがとうございます。

  3. そうでしたか。面白いご縁ですね。
    おっしゃる通り本で接するだけではなかなか難しい部分があると思われます。実際にふれてみるのが一番だと思います。

    坐禅会の日程の詳細等が必要でしたらいつでもお伝えいたします。

  4. かんざんさん、どうもありがとうございます。

    こんなことを言うと怒られそうですが、熱心に勧められると僕の場合確実に引きます。ネットワークビジネスや新興宗教や客引きと同じで、勧めるという態度自体に何かを感じてしまうわけです。(特に今回については連発だったので)

    まったく関係ない話ですが、郵便局で個人国債を熱心に勧めていたことが、逆に国債のいかがわしさを知るきっかけになったということもありました。(これではまるで浜松の会がいかがわしいと言っているように聞こえてしまいますが!)

    まあ中にはそう感じる人間もいるということでご容赦願えたらいいのですが。

  5. いえいえ、私もヒロさんのおっしゃる感覚はよくわかります。今回はやっとはっきりした人に会えたという嬉しさのあまりつい話たくなってしまいました。
    以前ヒロさんの紹介されていた、頭の中を占有していることを誰かに話したくなるという記事の内容を改めて実感しました笑

    以後気をつけます。失礼しました。

  6. どうもまったく勝手なことで申し訳ありません。

    僕などもルパート・スパイラに出会ったときは、喜びと興奮で数ヶ月ごとにリトリートに行ったり、記事をつぎつぎと訳したりしていたので、その感じはわかる気がします。

    おそらく、その興奮ぶりを冷ややかに見ていた人も多かったんだろうと今は思います。

    ですが、実践されている人のすることにはいつも興味を持っているので、矛盾するようですが、また教えていただけたらと思います。

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