やあ、自分

 
わかってしまった瞬間の表現に接するのは面白い。そんな、かなり新鮮さにあふれた表現に出会った。紹介したい。

フレッド・デイヴィスという人がブログで紹介しているものだ。マサチューセッツ州に住むポールという人からの最近のメールらしい。

Letters from Ground Zero

==以下、訳==

やあ、自分 ^_^

今は世間で言うところの2013年9月10日の午前4時。この体はいま目覚めたところ。あれ、ポールがいない。何もない・・・時間もない・・・空間もない・・・誰もいない。
自分がワンネスなんだ!!!そうだ!!!なんてこった!!! ^_^ まったくなんてことなんだ・・・
すべてが自分だ。2008年に戻ったようなものだ。と言っても2008年なんてものはないけど。2013年もない。なんてことだ。今はただの今なんだ。あるのはこれだけなんだ。これはすごい。
ここにいるいわゆる体、いわゆる自分の妻を起こしたい・・・って、こんなことあるか。それも全部自分だよ。
このいわゆる体はいわゆるキッチンにいるんだが、全部自分だ・・・外に出てみたら・・・全部自分・・・それから鏡を見たら・・・これは参ったよ・・・・見てるのは誰だ? 自分、自分、自分、自分、自分、全部自分。笑ってしまう・・・なんてこった・・・自分で自分にこれを伝えてるんだ・・・ああ・・・存在してるのはほんとうにひとつのものだけ・・・自分だけなんだ・・・

やあ自分、オレ、自分だよ!!! ^_^ 自分、ありがとう !!!!!!!!! ^_^

自分より ^_^

==訳は以上==

これに近い話をジェフ・フォスターなどいろいろな人から聞いたことがあるが、新鮮さという意味ではこれはなかなかすごい感じがする。

ちなみに、フレッド・デイヴィス氏はDPS (Direct Pointing Session、直接指し示すセッション) というのをやっており、多くの人を目覚めさせていると言っている。その種の力技的な目覚めさせ方にはちょっと抵抗があるのだが (そのパターンで目覚めると、目覚めた自分と目覚めていない他者という感じのところに留まる人がなぜか多い印象がある) 、とにかく一度わかりたいという人たちがセッションを受けているようだ。

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やあ、自分」への11件のフィードバック

  1. ヒロさん。

    顔文字の翻訳を初めて見た気がします。

    >やあ、自分 ^_^

    原文 > HI ME:)

    意訳なのかな…?

  2. トトさん、こんにちは。

    英語の文章でも顔文字が使われることがありまして、こんな一覧もあります。
    http://allabout.co.jp/gm/gc/59252/

    :) はどう訳すか迷ったのですが、^_^ だとちょっとニコニコすぎるかもしれませんね ;-)

  3. ヒロさん。
    おや? ヒロさん、最後にさりげなく顔文字使われましたね。:-D

    英語の顔文字は、横から見ないといけないのでちょっと面倒な気がしますね。
    日本の顔文字が優秀に思えてきました。^_^

  4. ヒロさん。こんばんは。

    昨日あたりからブログのタイトルの下に「塩人間の海底探検」と
    副題が付いてますが…。
    これ、どんな意味なのでしょうか…?

  5. 翻訳いつもありがとうございます。
    コメントさせていただくのは初めてですがもうだいぶ前から楽しみに読ませていただいておりました。

    今回の記事は本当に面白すぎてクソ笑ってしまったので思わずコメントさせていただきました。

    これからも素敵な翻訳や記事を楽しみにさせていただきます。

    P.S.
    副題の「塩人間の海底探検」も面白いです。
    広大な海に跡形もなく溶けて消えてしまいますね。
    僕も海底探検して気づいたときには跡形もなく溶けて消えていたいです。

  6. まつたけさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

    わかったばかりの人たちの表現は独特の魅力がありますね。

    「塩人間の海底探検」というのは以前使っていた副題ですが、ピンと来ない気がしてやめていたのを、でもいいかなと思い直してまたつけなおしたものです。大学の頃に読んだ中公文庫のラーマクリシュナの本だったと思いますが、その中の塩人形のたとえ話がずっと印象に残っていました。

  7. 全てが自分であると認めてしまうことは、絶えず変化していくこの現象世界を認めていないことになります。

    全てが自分であると認めることは、いつまでたっても全てが自分のままであり、全ての自分が永遠に「有る」と言っていることになるのです。

    「有る」と認めていることは、対を成している「無い」を認めているからこそであって、まだ「迷い」に囚われている証しなのです。

    縁起による「空」の世界には、「全てが自分である」とか「全てが自分ではない」という想いは起こり得ないし、それが成り立つこともありません。

    何故なら、自分という存在は、有ることもなければ無いこともないからです。

    身体の五感である、視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚を、洞察によって一つ一つ消してみてください。

    そこには何が「有る」のでしょうか。

    身体どころか、自分=心も消滅してしまうのです。

    環境の一部である身体=五感と周囲の環境によって、自分=心が生じるのですから、時が過ぎれば滅していくのです。

    現世による、その人の人生とは永遠ではなく、生と死なのです。

    もし、来世があるとしても、その人の縁起を受け継いだまったくの別人として、新たな生を迎えるのです。

    短いスパンで人生を洞察するならば、一瞬一瞬の自分=心でさえも生滅を繰り返しています。

    生じることもなく滅することもない「生滅」を繰り返しているからこそ、実体があるように感じているだけなのです。

    例えば、暗闇で懐中電灯の光をグルグルと回転させると、光の輪のように見えます。

    しかし、実際は光の輪ではなく、一つの電球の光なのです。

    そのように、「これが自分である」「全てが自分である」と錯覚をしてしまうことが「迷いの世界」であるのです。

    龍樹の言葉を借りるなら、「自性と他性と存在と非存在とを見る者は、ブッダの教えにおいて真実を見ない」

    これは、ブッダが説いた「空」というものを言葉で表した、的を得た言い方だと思います。

    私は、決してブッダや龍樹を崇拝している訳ではありませんが、彼らはこの世で真実を見抜いた数少ない本物の禅師であると感じています。

    話がそれてしまいました…

    ですから、「全てが自分である」で終わらせてしまうのではなく、有ることもなければ無いこともないからこそ、自分という存在が成り立っており、自分という本質は「有る」とか「無い」という対を成すものではないと気づくことができれば、なんの迷いもなく「あるがまま」に生きていくことができるのではないでしょうか。

    ここ数年の間に、スピリチュアルや引き寄せの法則、そしてワンネスなどの思想が広がりを見せていますが、それらは逆に自己欲を肥大化させているのではないかと感じています。

    人類を覚醒させまいとする、または利益を得るための、何者かによるディスインフォメーションではないかとさえ疑ってしまうほどです。

    もちろん、さまざまな縁起=キッカケによってスピリチュアルから本質にたどり着く人もいれば、ブッダのように苦行をやめて悟りに達した人もいますから(私もその一人です)、頭ごなしにそれは良くないとは言いませんが、世の中の動きをよく観察して洗脳から目覚めることも必要だと思います。

    探求というものは、教団も教理もスピリチュアルもいっさい無用です。お金もいっさい必要ありません。

    何ものも通さずに、己の気づきを通して、たった一人で目覚めることが大切ではないでしょうか。

  8. シンさん、おそらくご自身の発信の場を持たれた方がいいのではないかと思います。

    以後、コメント表示の承認をしないことがあるかもしれませんが、ご容赦ください。

  9. 今後、このようなコメントは控えます。

    この場に相応しくないコメントで申し訳ありません。

  10. シンさんの書かれることをもっと読みたいという人たちもいらっしゃるはずなので、
    もしご自身の教えや発信の場を作られたら、あるいは既にお持ちでしたら、ぜひこちらで告知をお願いします。

    コメントという形には馴染まないのかもと感じただけであり、僕自身とても関心があります。

  11. ありがとうございます。

    発信の場を作ることがあれば、ぜひ告知をさせてください。

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