秋の風

 
7月からずっと Linda Perhacs というアメリカ人のアルバム『Parallelograms』を聴いていた。ロック誌『ユリシーズ』で知ったアシッドフォークの名盤だ。

ここ数日、それが Fairport Convention に移りつつある。Unhalfbricking と Liege and Lief という二つのアルバムで、茅ヶ岳方面から吹いてくる秋の風にちょうど合っていて、とても心地よい。

自分が生まれた時代の音楽を中学生の頃から聴き続けてきたが、知らなかった音楽がまだたくさんある。Parallelograms などは、どうして知らなかったのかほんとうに不思議だ。 (このサイトで聴ける)

***

数年のあいだ続いていた渇望とも言うべき強い探求がここのところ形を変えている。探求が終わったわけではない。わかりたい!という衝動は強さを変えながら生じる。

だが、理解はいつかやって来るものではないし、そもそも自分にやってくるものでもないし、今ここにないものでもない、ということがなんとなく腑に落ちている。

「悟った人」という概念は今生じている思考に過ぎないというのは明白なことに思われる。そんなことを感じながら、10月に行く予定にしていたトニー・パーソンズの英国でのレジデンシャルをキャンセルした。

季節が巡るのと同じように、探求の風の吹き方が変わったのかもしれない。

***

週末に、このブログをしばらく読んでいたという人に出会う機会がたまたまあった。「いろいろ訳して紹介してくれてありがとう」というようなことを言われたのだが、自分では何もしていないよなあとしか思えず、かなり奇妙で不思議な感じだった。

誰が誰にしゃべっているのか、そのあたりの不思議さはそれをわかろうとする衝動がなければほんとうに面白い。

pointing

広告

秋の風」への5件のフィードバック

  1. こんにちは。はじめまして。
    今年初めに悟り(空)体験をして、怒涛の日々を過しておりました。
    経験と知識がなかなか自分の中で消化しきれずにワタワタしていました。
    翻訳していただいたユーフィーリングを読む頃には少し落ち着いていて、とても楽しめました。わたしのお気に入りの本です。
    自分を知りたい探求は終りましたが、また探求は続きますね。
    たくさんの覚者たちのことばをこのように翻訳していただき、英語の苦手なわたしには得るものが本当に大きいです。ありがとうございます。
    お礼を兼ねてコメントをさせていただきました。

    最後になりましたが、お母さまのご冥福をお祈りいたします。

  2. 中村さん、はじめまして。コメントありがとうございます。

    その「怒涛の日々」について詳しく聞いてみたい気もしますが、ここで和訳してきた文章が役立ったというのはとてもよかったです。

    目覚めて「ワタワタ」した人たちのインタビュー集の本をいま翻訳していますが、自分は何かという探求が終わっても他の探求は変わらず続くということが一様に語られていて興味深いです。

  3. 画像の手を見てダグラス・E・ハーディングを思い出しました。新しい翻訳本も楽しみにしています。

  4. ワタワタした人たちの翻訳本、楽しみにしています。
    ほとんどの人が絶対ワタワタするのに、そういう情報が少なくて試行錯誤です。
    なので、このブログはそういった方々にもとても貴重な場所だと思っています。
    何かしらそういった話す場があればいいなと思っているのですが・・・(だったら自分で作ればいいんですよね・・・)

    探求は渇望(自分とは何か)から好奇心(人生のすべてにおいて)に変化するのですが、外からみるとやっていることは変わらないかもしれません。
    本人の内面の動機が劇的に変化するという感じです。

    本当に素晴らしいブログをありがとうございます♪ 感謝!

  5. シェアする場があるといいなあというのは、同じように感じている人は他にもいるのかもしれませんね。

    アジャシャンティがスタディグループを推薦していて、そのことは以下の記事で紹介したことがありますが、特定の教えや指導役にこだわらないゆるい場はあるといいように思います。
    https://resonanz360.com/2012/12/31/

    米西海岸各地でのオープンサークルという集いもひとつのお手本になるのかなと感じますが、これは毎回異なるスピーカーを呼んでミーティングを開くという形式です。

    いずれにしても、「グルの時代から友人の時代へ」( https://resonanz360.com/2011/03/04/ ) でグレッグ・グッドが言っていたような流れを考えると、指導者や従うべき教えを固定しない水平な集まりというのも選択肢のひとつとしてあってもいいんだろうなと思います。

    グレッグの「ナチョ・サットサン」 ( https://resonanz360.com/2013/02/14/ ) の文章などを読むと、ずいぶん楽しそうですしね。

コメントは受け付けていません。