トニー・パーソンズ SANDヨーロッパ2013での講演

 
6月にオランダで行われたSANDヨーロッパでのトニー・パーソンズのトークの動画が公開されている。

トニーはいつもSANDをはじめとするカンファレンスの類を冗談のネタにして、こけにしている。だから、5年にわたる講演要請に今回初めてトニーが応じたと聞き、どんな話をするのか興味を持っていた。

(ちなみに、今年も当初はトークの依頼を断ったらしいのだが、その比較的長い断りの手紙を読んだ主催者から「感動した。まさにこの内容をみんなに語ってもらいたい。こういう話を求めていた」という熱心な誘いがあってついに折れたと本人は説明していた)

内容を聞くといつものトニー節だが、レジデンシャルやウィークエンドミーティングとは違って、トニーのメッセージに慣れていない人が質問している様子が興味深い。なかでも質問者がいささか感情的になっている部分が面白く、抜粋して訳してみた。(13:40から)

== 以下、文字起こし&訳 ==

Q. 私たちがどんな質問をしたとしても、結局は座って認識が起こるのを待っているしかないというわけですね。

A. 座って待っていようと思うのは結構ですが、それもまた、「する」ことにほかなりません。どれだけ話をするのも、座ってずっと待っているのも全部同じことです。探求者が何をしたとしても、それによって最初から自由である〈それ〉に近づくことはありません。探求者がすることすべては、ある意味では自由から逃げるための便利な手段なのです。探求者は自身の不在を猛烈に恐れています。それと同時に、探求者は自身の不在を切望しているのですが。ですから、探求者はこのメッセージを聞くと、おもいっきり走って逃げます。こうしたミーティングに来る人のほとんどは、ミーティングが終わると、自分が知っていると思っていることや自分がしていると思っていることに逃げ込みます。つまり探求です。

Q. では、手に入れられるものも探すべきものもないとして、私がすべてを手放したとしたら・・

A. いえ、あなたが手放すのではありません。

Q. そうですね、じゃあ、私はただあるとしたら、えーと・・・

A. そこが問題です。あなたはいません(笑) 「ありたい」と思っているもの、それがあなたです。

Q.ということは、えーと・・・

A. 絶望的です (笑)

Q. でも問題は、食べるためにはお金を稼がないといけないということです。なにかをしようという気持ちがもし全然起こらなかったら、どうすればいいわけですか?

A. こういう場所で起こっているなかで一番顕著なのは、導いてほしいとか、自分のためになる何かを見つけたいと誰もが基本的には考えているということです。スピリチュアルな探求は、物質主義の単なる一形態です。スピリチュアルな探求とは、「自分」のために何かをつかもうとしているだけの動きです。ここで言っているのは、その向こうにある何かのことです。それは理解することはできませんし、抱えることもできませんし、わかちあうこともできませんし、そもそも手に入れることもできません。

Q. それでも、お金は稼がないといけませんよね。

A. うーん、そうでもありません。といっても、私のミーティングに来るためのお金は稼がないといけませんよ。それは非常に重要なことです (笑) 。言ってみれば、起こっていることが起こっている、それだけです。お金を稼ぐことにしようと決めることのできる人は存在していません。それに、お金を稼ごうと決めた人はいまだかつて一人もいません。というのは、自由意志をもって何かを選択できる人が存在しているというのは、まったくの幻想だからです。お金を稼ぐということは起これば起こるし、起こらなければ起こりません。起こらない場合は、あなたは私のミーティングに来ない。それだけです (笑)

Q. こういう話はたしかに面白いのですが、それでも私たちは生活していかなくてはなりません。生活があるんです。

A. 生活があるというのはあなたの考えです。

Q. (すこし興奮気味に) 私はこのあと家に帰ります。帰らなくてはならないし、これから帰るところです。帰るためにはその手段も必要です。やらなくてはならないことがあるんです。

A. ええ、わかります。でも、あなたが家に帰らないという可能性は考えられないでしょうか。 (質問者のほうを指しながら) そこに誰も座っていないという可能性はないでしょうか。(質問者の身体を指して) それが椅子から立って部屋を出て車に乗り家に帰りますが、それをしている人は誰もいないという可能性は考えられないでしょうか。それは、ただ起こっている。それだけです。

Q. はあ。

A. 見てください。この部屋には今この瞬間だれもいません。誰も座っていないんです。(聞き取れず) いる人も、しゃべっている人も、「なんだこのデタラメは」と思いながら聴いている人も、だれもいません。この部屋にあるすべて。それはただ起こっています。椅子に座り、雑音を聞き、あたたかさを感じる。すべてです。

Q. でもそうは言っても・・・(トニーがここで、すべてが無意味で無目的なエネルギーで、すべては起こっているだけだといういつものジェスチャーをする 17:40) ・・・(質問者、苦笑)

== 文字起こしは以上 ==

文字だけを読むと、厳しい言い方に聞こえる部分もあるかもしれないが、実際の様子を見るとトニーが面白がりながら熱心に「探求者」につきあっているのがわかるのではないだろうか。

トニーはネオ・アドヴァイタの筆頭として (口の悪い人からは「似非アドヴァイタ」の代表として) 批判されることも多い。でも、アドヴァイタとはなんぞやという頭の中の遊び (それもまた探求者が自身の不在という現実から逃げるためのひとつの手段になりえる) から離れてみれば、こんなふざけた爺さんが熱心に話を続けているというのは単純に面白いとしか言いようがない。

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トニー・パーソンズ SANDヨーロッパ2013での講演」への7件のフィードバック

  1. 翻訳ありがとうございます。かなり刺激的ですね。質問者との温度差がビシビシ伝わってきます。以前の記事で吐き気がした…と仰ってたことを思い出しました。メッセージは直接的で感じるものがあるのですが、生活が逼迫している、またはこの質問者のように金銭的余裕がないと感じている人には、「あなたは経済的に満たされているからそんな風に言えるんだ」というような「私」の声が聞こえてきそうな気がしました。というより、これは私の「私」の声ですね(笑) こういったお話ですら(こそ?)マインドの餌になるというのが面白いです。

  2. はじめまして
    最近トニーパーソンズの動画にyoutubeで出会って以来すっかりファンになってしまい、その流れでこちらの記事も拝見していました。
    いつも貴重な情報をいつもありがとうございます。過去記事も豊富なので少しずつ楽しませていただいています。
    こちらで紹介されている(いわゆる)先生もそれぞれ個性が合って魅力的ですね。
    おかげさまでいろんな方の動画や記事にふれることができました。

    そんな中でもやはりトニーのオープンシークレットは個人的に一番納得がいく説明に思えます。(あくまで理屈レベルなのが残念なのですが)

    訳中の「探求者が何をしようが、そのことで最初から自由である〈それ〉に近づくことはありません」の部分と、後半の質問者の「一種の明け渡しですね」に対する彼の反応が特によかったです。

    少しも聖人っぽくない、まさに「ふざけた爺さん」の話がこれからもたくさん起こってほしいものです。(「私」にはなんの足しにもならないのでしょうが。)

  3. naoさん、コメントありがとうございます。

    「生活が」とか「子どもが」とか「親の介護が」とか「病気が」とか、いろいろな人からいろいろな言い訳が出てくるものですが、ガンガジのように気づかせるやり方もあれば、トニーの「そうは言ってもそこに誰もいねーし」的な指摘もあれば、ダグラス・ハーディングのように「まあいいから、ちょっと見てみろ」というやり方もあるのに、そういうメッセージには全然関係なく、ちゃんと言い訳は言い訳としてみごとに表現されきっているというのは、また面白いなあと思います。

  4. whataさん、はじめまして、こんにちは。ブログ読んでいただいてありがとうございます。

    トニーのメッセージに惹かれるというのは、いったいどういう現象なんだろうといつも思ってしまうのですが、わかりません。

    ずいぶん前にリアリティの本質を垣間見ていて、でもそれが何であるのか分からずにある種の探求がつづいている人たちが、なにかの拍子にトニーのメッセージに接して「そうか!」と納得して探求が落ちたりすることも多いと聞きます。逆にトニーのメッセージに対する批判は、いわゆる「見ていない人」からのものであることも多々あるような気がします。

    そんなわけで、そこには何かがあるんだろうと思ってしまうのですが、結局はどうにもこうにもです。

  5. こんにちわ。
    ヴェータンティスト達のお金に対する考え方を知りたくて、このブログを思い出し来ました。
    ちょうどその話題が書かれていて、グッドタイミングです。

    過去記事を検索してみましたが、ヴェータンティスト達はあまりお金に対するアプローチについて語ることはないのでしょうか?

  6. こんにちは。ヴェーダンティストというのが何を指しているのかちょっとわかりませんが、このブログで取り上げているような人たちがお金に関する質問を受けたとしたら、たぶんこんなことを言うのではないでしょうか。

    「お金について気にしている思考が起こっています。どんな思考も現れては消えていきます。あなたはその思考でしょうか、それともその思考を見るもの、その思考が起こる空間でしょうか」

    「お金の不足の感覚、パートナーに対する不満、外の騒音に対する批判の思い、悟りに対する欲求、そのすべてがいまここにあるものから離れようとする動きです。そしてまた、その動きも今あるものです。そこから逃げられる人はいませんし、そもそも人はいません。よく見てごらんなさい」

    でも、ミーティングで何と言われたとしても、休憩時間になれば「お金がないから次のミーティングにはたぶん来られない」「お金さえあれば今の仕事なんかすぐやめるのに」といった会話が始まりますから、面白いものです。

    さらにその当の先生たちの中には、ウェブサイトに「寄付」ボタンを置いて、それについてのみっともない(失礼!)言い訳をぐだぐだ書いたりしている人たちもいます。ラメッシ・バルセカールも晩年にはお金に関して長年の信者も呆れるような態度をとっていたと元生徒から聞いたことがあります。お金のことになると (たぶんセックスについても) 言行不一致になるというのは、どこにでもあるようです。簡単なテーマではないことは確かだと感じています。

  7. 禅や不二一元哲学の道のグルのつもりで指しました。
    う~ん、難解、やっぱりそういう独特の言い回しになるのですね。 
    ひさびさに不二一元論を聞くと、他の修行体系とアプローチ方法がまったく別物に感じます。

    ラメッシ・バルセカールでも、そんな人間臭いところあるんですね。
    お金に触ることのできない程に潔癖な聖者の話も聞きますけど、いろいろですね。
    悟り系の本は何冊も読んできていますけど、お金についてあまり書かれていません。
    ニームカロリババあたりの伝記を読んでみようと思いました。たぶん物質に無頓着でしょうけれど。

    ありがとうございました。とても参考になりました。
    あとは自分で調べてみます。

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