願望実現あるいは引き寄せの呪いと祝福

 
10年ほど前から数年のあいだ、いわゆる願望実現というものに夢中になっていた。

関連する古今東西の本を読み、英米の関連フォーラムにも頻繁に目を通し、コースの教材も買ったりした。セドナメソッドやリリーステクニック、EFTのようなタッピング、コア・トランスフォーメーションなども併用していた。その結果、紙に書いたことがかなり実現するようになった。万能感すらあったかもしれない。

だが、ある日ふと「あれ、実現してるのに全然幸せじゃない」と気づいた。一気にすべてむなしくなり、「願望実現熱」は完全に冷めた。

いま考えてみれば、当時の願望は「自分」がどかんと中心にあって、「自分」が何を手にいれるか、「自分」がどうなるか、すべて「自分が、自分が、自分が」だった。非二元のメッセージに触れることで最近気づいたのが、存在しない「自分」のまわりをぐるぐる回っていれば結果は徒労でしかありえないということだ。

でもだからと言って、じゃあ「自分」を消そうとか、「自分」があるという勘違いをどうにかしようという正面からのアプローチはうまくいかない。それもまた「自分」のまわりをまわっているだけだからだ。

それにそもそも現状に問題があってどうにかしないといけないという思考そのものが「自分」なのだから、願望実現にせよ引き寄せにせよ、「自分」を生かしつづけるための巧妙なメカニズムだとも言える。

そんなことを最近改めて思い出したのは、ある本を翻訳させてもらったからだ。

その著者の本 (日本での一冊目) を書店で初めて見かけたときは「ああ、よくある引き寄せか。しかも横文字のエネルギーヒーリング系ね。アメリカで賞味期限が切れたニューエイジのがらくたをまた日本に持ってきたってわけだな」と思って、通りすぎた。だが、あるきっかけがあってしばらく後に買って読んでみると、最初の印象はかなり間違っていた。

そこでは、現在の完璧さがわからないとしたらそれは思考に過ぎず、思考は自分ではなくあくまでも思考であり、思考を落とそうというのも思考に過ぎず、それから問題というものは思考の産物であり実際には問題は一切存在していないといった、非二元のミーティングで語られているのと似たメッセージが展開されていた。(実際、その著者の本ではニサルガダッタやラマナ、それにトニー・パーソンズの言葉まで引用されている)

そして、それを言葉で伝えるだけでなく、実際に感じるためのエクササイズもいくつか紹介されていて、やってみると驚いたことに「自分」の枠がゆらぐような感覚が生じた。宙に放り出されているのにそれが快感というような面白い感覚だ。

興味深いのは、その状態にあると「自分」の願望とか希望などどうでもよくなり、「自分」というのがなにか余計な人工構築物のような気さえしてくることだ。

読み方によっては、願望実現や引き寄せ系の本にも見えるかもしれない。だが、つぎつぎと新しい欲望 (「悟り」への欲求も当然含まれる) を生みだすサイクルを否定せずそのまま生かしつつ、じつはそのサイクルの原動力は勘違いの産物であり存在すらしていなかったということがいつの間にか腑に落ちてしまうという意味では、かなり楽しい本だと感じた。

訳させてもらったのはその同じ著者がそのあとで出した本だが、基本は同じで、読者等からのフィードバックや教えた経験を元にして、より洗練され幅広いものになっている。

実現させたいことがある人や、逆に引き寄せ系で疲れてしまった人だけでなく、願望を持っている「自分」ってそもそも何なの?という疑問を抱えだした人、それからresonanz360で翻訳をいつもタダで読ませてもらってるけどこの本を買えば少しは彼に印税が入るのかなという心優しい人にもおすすめしたい。

今月発売される予定になっている。発売されたら題名等を紹介したい。

(7月5日に一部削除。願望実現についてグダグダ書いた部分)

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願望実現あるいは引き寄せの呪いと祝福」への6件のフィードバック

  1. いよいよですね!

    ところでresonanzの意味をさっき初めて知りました。
    (訳者の名前はこれか?と思って検索をかけてみた)

    勝手に持っていたイメージと違ってたのでかるい衝撃でした!笑

    何の本かは特定できませんでしたけど、たのしみにしてます。

  2. ブログの名前は適当です。なにか名前をつけようとしたときに、ナーラーヤン内垣氏の『21世紀はひびき人間』の書名が頭に浮かび、響きかぁと思って横文字にしただけです。どうせ響くなら360度に、と欲張りました。

    こんどの本は、いろいろな意味で面白いと思います。

  3. 質問なのですが、「5. その反応や抵抗をひたすら感じきる」の反応とは、完了形でイメージしたときに出てくる喜びや幸福感すらも感じきってしまうということでしょうか?そして抵抗だけでなく、喜びとか快の感情が出てこなくなるまでステップを繰り返すという意味ですか?

  4. すみません。記事の趣旨を伝わりづらくしていることに気づいたので、該当部分を削除しました。

    ご質問に対する直接の答えにはなりませんが、実現したいと思っているのは誰なのかが問われているか、問われていないかという点がポイントなのかなと今は感じています。

  5. ご返信ありがとうございます。私自身、今までそういった問いをほとんどしていたなかったと思います。誰が実現したいかのか?と自問すると「私」が出てきてしまいます。願望自体がテレビや本、周囲の人間の言動・考えに影響されたものの可能性があるかなとも思いました。自分の本質からの願望もあるかもしれませんが、生活に直結しているように見えることがほとんどなので……。
    一方で「願望自体はエゴではない」と何かで読んだことがあるのですが、願望に余計な「私」がたくさんくっついてややこしくしているのかなと、書きながら思いました。
    ありがとうございました。

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