本についての雑記

 
最近読んだ本、気になっている本について書く気になったから書きたい。順番は適当。

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Deepest Acceptance (Jeff Foster)

ジェフ・フォスターの本はいくつか読んでいるが、これが最新刊。ジョーン・トリフソンに「ジェフはどうも好きになれない」と伝えたら、「じゃあ最近出たDeepest Acceptanceを読んでみて。とても成熟していて、かなりいい本よ」と勧められた。

ハードカバーの本があまり好きではないからペーパーバック版が出るのを待っていたが、出る様子がない。だからハードカバーのものを買って、読んでいる。確かにこれまでのジェフのものとは毛色が違い、原理的な表現がない。ミーティングやリトリートで出会った人たちの話なども織り交ぜられているが、眼差しがやさしい。どのページもかなり冗長でうんざりするが、妥協のない非二元の表現をしていた人が今はこんなことを語っているというのは面白い。先日ロンドンの書店で彼のThe Revelation of Onenessというもう絶版になっている本を購入したが、その本はラディカルなメッセージで満載で、表紙にトニー・パーソンズと書いてあってもおかしくない内容。それを考えると変化がすごく大きい。

From Self to Self (Leo Hartong)

レオ・ハートンの一冊目Awakening To The Dreamのあと、彼の元に寄せられた質問とそれに対する答えで主に構成されている本。ひとつの項目が数ページしかなく、寝る前に読む本として重宝していた。読者からの質問が、自分としては頷けるものばかりで、自分が質問しているような錯覚に何度も陥った。

レオの表現はとてもやさしく、ラディカルな表現者にありがちな刺々しさがない。さらにユーモアにあふれている。ショッキングなことを言わない物足りなさは多少あるが、じわじわとしみてきて気がつくと「あれ!?」という感じは何度か味わった。

Kinfolk Japan Edition

おしゃれな感じの雑誌をたまに買ってしまう。表紙買いもあるし、特集が読みたいと思ったりもする。だが、たいていは5分でパラパラと読んでしまって、二度と開くことはない。ひどいのはサーフィン雑誌で、まったくサーフィンになど縁がないのに表紙のデザインと紙質にしびれて何度か買ってしまった。

Kinfolkという雑誌が話題になっていると聞き、数号前に買ってみたがまったくそのパターンだった。日本語版が出ると聞いて懲りずに買おうと思ったが、やめておいた。でもやっぱり読みたくなって注文しようとしたが、もう完売していた。だが、それでよかったのかもしれない。

ユリイカ2005年1月号 翻訳作法

最近翻訳をしているため、翻訳関係の本を何冊か読んでみた。最近読んだこの本がいちばん良かった。手法的、技法的な面よりも、個性豊かな翻訳者の人たちがそれぞれまったく勝手なことを言いっぱなし、という雰囲気にひかれた。

自我の終焉 (J・クリシュナムルティ)

ことあるごとに開く本 (というかトイレに置いてある唯一の本) 。どこを開いても、どの段落もハッとする言葉で満ちている。実にパワフルな本だと思う。でも「自我の終焉」という題名はいただけない。そんなことは語られていない。

これ以外にもクリシュナムルティの本は何冊か目を通したが、結局この本だけが手元に残っている。

“それ”は在る―ある御方と探求者の対話 (ヘルメス・J・シャンブ)

スーフィー系の人の新しい本なのかなと思ってジュンク堂で手にとってみたら、日本の人だった。帯にはやたらと魅惑的というか扇動的な言葉が踊っている。買ったあと、まず後書きを読んで、やられたと思った。セント・ジャーメインに感謝するとかそんなことがいきなり書いてあった。それを先に言ってくださいという感じだ。(サンジェルマンが悪いという意味ではなく、混ぜてほしくないものは混ぜてほしくないという自分勝手な話)

グレッグ・グッドも観音とか鎌倉の大仏の話をするんだから別にいいようなものだが、どうも騙し討ちにあったような気分にさせられる。というわけで今のところ積んである。

The Book of Undoing (Fred Davis)

フレッド・デイヴィスの二冊目。一冊目は読んでいない。この本は彼のダイレクト・ポインティングというダイレクトパスの応用のような方法を説明したもの。擬似セッションの模様が収録されている。

フレッドのダイレクトポインティングの個人セッションでは、何人もの人が自分の本質、リアリティの本質に目覚めたという。そんな宣伝文句を読み、スケベ心が出てきて買ったのだが、まあそうかという印象。本の限界なのかもしれない。

あとはリアリティの本質の認識に価値を置きすぎている感じが強すぎて、ちょっと合わない気もした。結局どっちでもいいんだけどね、という軽さが自分には必要だ。

For the Children 子どもたちのために (ゲーリー・スナイダー)

学生の頃からゲーリー・スナイダーにあこがれている。彼の詩はまったく思い出せないし、詩人としてどうかということは全然興味がない。ただ、かっこいいなあと思う。まだ読んでいない本だが、写真も多いというから、ぜひ読みたい。

音の神秘―生命は音楽を奏でる (ハズラト・イナーヤト ハーン)

平河出版社のこのシリーズが好きだ。装丁も組版もいい。長く読まれる作品が多いのも魅力だ。この本はまだ読んでいない。Amazonで見たレビュー (このはさん) を見て、そうかあ、読みたいなあとすごく思った。

永遠の哲学―究極のリアリティ (オルダス・ハクスレー)

『自我の終焉』の訳者による解説で触れられていた。まだ読んでいない本。いわゆる名言集とか箴言集という種類の本は苦手で、たぶんこれも同じだとは思う。それに、ハックスレーの本はこれまでに何度か挑戦して、いずれも挫折している。だから、読まないかもしれない。だが、気になるからここにあげてみた。

覚者を求めて―恩寵の扉が開くまで外伝 (天野清貴)

一瞬買おうとした。でも、やめた。自然に手が伸びても不思議ではないし、天野清貴さんの本はこれまで全部読んでいる。が、もういいやという気がする。と言っても五井昌久氏のことを知ったのは彼の本を通してだから、読めばなにかあるのかもしれないが。

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最後にこんなのがあったらとちょっと考えた企画について。

トニー・パーソンズのカリフォルニアでのトーク (非二元ブックレットシリーズ)

トニーのアイルランドのリトリートで、彼のCDが並んでいるのを眺めていたら、複数の参加者から「California 2」を買えと言われた。買ってみたら、最高だった。

たぶん10年ほど前にカリフォルニアで開かれた、複数の「グル」が参加したイベントでのトニーの一時間ほどのトークの録音。彼のユーモアの真髄が見事に表現されている。これまでに出ている彼の本には、ここまで面白いものはない。だから訳して小冊子にしたら楽しそうだな、と思った次第。

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本についての雑記」への4件のフィードバック

  1. この記事を読むと五井氏に好意的なようですが、何か理由があるのでしょうか。
    他の記事から読み取れる管理人さんの趣味からすると、五井氏が説く素朴な霊魂実在論、守護の神霊への感謝、金星人による救済等の教えは好みに合わないのではないかと思われるのですが。
    プンジャジを始めとしたギャーナ・ヨガのグル達が説く創造主もいなければ、世界の創造もない、名前と形を持った世界は全て偽りである、全体から分離した「我」と言う妄想を楽しんでいる間だけ霊界や神霊が存在しているように感じられると言った教えを学んだ後では、五井氏の教えには従いにくいと思います。

  2. TKさん、こんにちは。

    「教えに従う」という意識は全然ないのですが、本や講演CDから伝わってくる感じはけっこう好きです。

    たぶん、自分としては非二元的な真実からしてどうこうということはなく、素晴らしい景色や音楽や食べ物、あるいは誰かの素敵な笑顔に接して「いいなあ」と感じるのと同じ感覚です。

    ちなみにプンジャジは (彼の流れにあるムージもガンガジも) 僕はあまり好きではなく、そう考えると「非二元的正しさ」というのは荷物以外のなにものでもないのかもと思ってしまいます。

  3. 迅速な返答ありがとうございます。
    私も十年前は五井氏の著作を愛読していて、今でも書架に四十冊並んでいますし、図書館で借りて読んだ本も含めると五十三冊読了しています。
    生長の家から受け継いだ人間神の子という教えや、生長の家の問題点を改善するために編み出された消えてゆく姿という教えは今でも好きなのですが、金星人に関する発言が素直に五井氏を信じることを難しくしています。
    アダムスキーが流行していたから、五井氏や弟子の白光真宏会の幹部達は金星人を霊視しただけで、もし現在まで生きていたなら、プレアデス、オリオン、シリウス、二ビルといった星からやって来た宇宙人について語っていたのではないかと。
     フーマンは五井氏のCDを聞いて、五井氏が天照大神と繋がっていることや、口笛を吹くことによってヒーリングのエネルギーを降ろしていることが分かったと言っていましたが、管理人さんも同じようなことを感じておられるのでしょうか。

  4. TKさん、こんにちは。53冊はすごいですね。僕は図書館にあった分だけで、せいぜい10冊くらいです。

    たぶん僕の場合はいわゆる「正解」を全部知っている人を求めているというよりも、五井先生の勢いとか明るさとか真っ直ぐさに惹かれているんだと思います。先日地元の祭りで高校生の和太鼓の真っ直ぐさな響きに感動したのですが、それと似ているかもしれません。

    なので、金星人云々やなんとか科学の話などは完全に読み飛ばしていました。

    どのエネルギーとつながっているとか、そういうことはまったく僕は分かりません。と言いつつ、エネルギー的になにか感じるかと思い、富士聖地に遊びに行ったりしたこともあるのですが(笑)

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