トニー・パーソンズ 2013年春

 
半年ぶりにトニー・パーソンズのレジデンシャルに参加した。

wales 2013 april

ウェールズでのレジデンシャルは今回で3回目。アイルランドでのレジデンシャルも入れると4回目だから、見知った顔もだんだん増えてくる。だが、始まる前は少しナーバスになっていた。

でも始まってみるとミーティングはトニー節全開で、食事はおいしく、緑に囲まれた環境も素晴らしい。ミーティング中は外から小鳥のさえずりが聞こえてくるし、たまには窓から爽やかな風も入ってくる。

探求ということを抜きにして考えれば、本当に文句のつけどころがない経験だ。だが問題はその探求で、何かが欠けている、何かをわかりたい、何かを掴みたいという感覚が、ミーティングやリトリートに来ると強まる気さえする。前にいるトニーの方を向いて聴衆がずらりと並ぶというフォーマットも、探求者というアイデンティティを強化するのに一役買っているのかなという思いもよぎる。

自分 (me) というエネルギーこそが探求そのものだと感じる。トニーは「探求はmeの生き残り戦略だ。探求をしているかぎりは、meは安全なのだ」と言う。でも奇妙なことに、meと言ってもそこには個人性はない。そのあたりが面白い。

それと今回は、real and unreal (現実に存在すると同時に現実には存在しない) とか、nothing being everything (何もないものが同時にすべてとしてある) とか、そういう表現を何度も聞いた。マインドはAかBのどちらか、あるいはAが起こってからBが起こるとか、AがBに変わるとかいったかたちでしか理解できないが、実際にはひとつのものしか存在していないから、すべてが同時にすべてなのだと言う。このあたりはマインドには絶対にわからないと断言するのだが、マインドは関係なく忙しく動き続けていた。ご苦労様です。

もうひとつ面白いと思ったのは、こんな対話だ。

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Q. me (自分) があるという思考がなくなったとしても、身体レベルでエネルギー的に残るものがあるのではないか?

A. 思考はどちらかと言えば身体の感覚の確認にすぎない。

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これを聞くと、じゃあ、身体を緩めようという発想がすぐに出てくるのだが、その思考も身体の感覚の確認だとすると、鶏と卵のようで面白い。そして、鶏と卵には順番はなく、同時に (というか時間を超えて) 存在する (そして存在しない) ということなのだろうから、本当に意味不明で楽しい。

あとは、レジデンシャルにはなぜか探求がすでに終わっている人たちもいくらか来ているのだが、そういう人たちと話すのは楽しかった。あまりに余裕を見せるので一瞬イラッとしてしまうこともあるが、その「イラッ」が持続しないのは、やはり変なひっかかりどころがないからだと思う。

いわゆる生悟りとか生焼けの状態 (覚醒とか一瞥の体験はしたものの、探求が続いている) の人の場合は、「こっちはわかっているけど、お前はわかってない」という嫌な感じのエネルギーを時に感じる。が、もう探求していない人たちからはほとんど感じない。勝手な投影かもしれないが。

ともかく、そんなことで結局は「探求が終わった状態」に対する憧れの気持ちが大きくなっただけなのかもしれない。向かう場所などどこにもないという言葉は、いつも通り右から左に通り抜けてしまったようだ。何をしに行っているんだか。

多分本当のところは探求が終わらないほうがいいとどこかで思っているんだろうなあと、ロンドンへ向かう列車のなかで感じていた。

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トニー・パーソンズ 2013年春」への2件のフィードバック

  1. はじめまして。
    アジャシャンティさん関連キーワードでこちらのブログにつながりました。
    素晴らしい発信を本当にありがとうございます。
    深く共鳴するところが沢山あります。
    同じものである私たちが、こうしてお互いに触れ合うという体験ができることに感動ばかりです。
    この素晴らしいイリュージョンの世界でお逢いできて嬉しいです。
    どうぞ宜しくお願いします。

  2. Mayumiさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

    そのような見方を自分ではしたことがなかったので、新鮮に感じました。

    最近ちょっと更新が滞り気味ですが、またみてやってください。

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