夢と狂気

 
子どもの頃、「夢日記をつけると気が狂う」と言われ、それをずっと信じている。

実際、夢日記をつけているとか、つけていたことがあるという人に何人も会っているが、どの人も普通ではない。ただ普通ではないと言っても、それほど否定的な意味はない。

現実と思われている何かだけでなく、どこか他のところにも足場を持っているような印象。「現実」の相対性を見通しているような感じ。その人が語っていることの下に、実はたくさんの語られていないことが潜んでいるような感じ。そして、自分が思い出そうとしても思い出せないことのヒントを持っているような印象。そんなことを感じさせる。

だから、「気が狂う」という表現は当たっているのかもしれないが、一方的すぎるような気もする。

* * *

昨晩、印象に残る夢を見た。

夢の中で夢だと気がつくことはたまにある。が、昨晩の夢では、「10年前に会社員ではなくなったのだから、今の時点で会社員として困っているというこの場面は、現実ではありえない」ということに気づいた瞬間、すごいショックが襲ってきた。頭を殴られるようなショックという言葉があるが、まさにその感じで、自分自体が崩壊してしまうような恐怖を味わった。

まったく当たり前のこととして受け取っていた大前提が、まったくの嘘だったということに気づいたのだ。大前提とは、時間と共に進むような世界があるとか、時間の流れの中で一体化し続けていられるような実体があるとか、頭が納得するようなかたちで世界が存在できるとか、そんなことだ。たぶん。

なぜいつものような「なんだ、夢か」ではなかったのか、それはわからない。でも「じゃあ、自分は誰なの・・・・」という恐ろしい感覚はリアルに残っている。

もっともらしい顔で語る人がいちばん嘘つきなのかも・・・・

もっともらしく展開しているように見える世界がいちばん疑わしいのかも・・・・

などと考えてしまっている自分は、「夢日記組」に入ってしまったのだろうか。

下は、2年ほど前のツイート

夢の中でいつも同じところに行くと思っていたが、実はここに何度も来ているというラベルがくっついているだけなのだと気がついた。現実も実は…。

この「ラベル説」は夢の中で気づいたことだったが、その後も説得力を持ち続けている。夢恐るべし。

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